第67話 女辺境伯

 黄昏たそがれ時になってもまだ明るい日ざしの届く、夏至の夕べ。


 建国記念祭の会場となる王宮の大広間には、着飾った貴族たちが次々と集い始めていた。


 昼の叙勲式で爵位を得た者は、夜のパーティーで列席者一同から初めて新当主として扱われ、授かったばかりの新たな称号で呼ばれることになる。


 公式のパーティーは身分の高い者ほど後に登場すると決まっている。まずは男爵家、それから伯爵家と、家格の順に呼名は進んでいった。


「まさか本当に女が当主に……それも辺境伯になるとはな!」


 入場した下位貴族たちはあいさつもそこそこに、叙勲されたばかりの女辺境伯の話題に花を咲かせていた。


「男勝りで野蛮な令嬢だとは聞いていたが、本当に実現するとは……」

「バカバカしい。女に辺境伯が務まるはずがなかろう。無謀にもほどがある」

「前辺境伯には息子がいないからな。傍系から男子を迎えればよかったものを、実子に継がせたくて無理を通したのだろう」

「どこまで続くか見ものだな。賭けるか? 女辺境伯様がいつ音を上げるかを――」


 男性当主たちはそう笑いあったものの、顔はどことなく引きっていた。


 リートベルク女辺境伯は、四等級で言えば女侯爵でもある。男爵や伯爵である自分たちよりも高い地位に女性が就くという事態を前に、内心は動揺を隠せずにいた。


 男たちが新辺境伯について噂している間。

 女たちは新辺境伯の夫について噂していた。


「ご夫君は男爵家の私生児だった方なんですって?」

「ええ。平民出の成金だった上に、その男爵家はもう存在すらしていないのよ」

「どうしてそんな身分の低い方を選んだのかしら? 廃絶になった家の私生児なんて、庶民のようなものじゃない」

「おかわいそうに。そんな末端令息で妥協するなんて、よっぽど結婚相手が見つからなかったのね!」


 女たちは陰口にしては大きな声でそうささやきあい、おかわいそうにと言う割には愉快そうに笑いあう。


 しかし、楽しい悪口が一周して尽きると、人々の顔つきは徐々に曇っていった。


「……だが、あの夫とやらは生家の財産をすべて継いだのだろう?」

「ああ。男爵家の巨万の富は今、辺境伯家のために費やされている……」

「もしや血筋がいいだけの結婚より、よほど実入りがあったのではないか?」

「実際、今のリートベルクはおそろしく羽振りがいい。女辺境伯は自分に逆らえない格下の男と、財産目当てで結婚したというわけか……」


 打算に満ちた、愛のない結婚だ。


 そこまでして夫よりも上に立ちたいとは、噂以上に粗野で横暴な女に間違いない。


「……ふん。女のくせに爵位を得て護国の任に就こうという野蛮女など、度しがたい高飛車に決まっている……!」

「……何よ。男のくせに婿に収まるしか能のなかった末端男なんて、頼りなくて情けない腑抜けに決まっているわ……!」


 貴族たちがそう蔑む言葉を吐き捨てた時。大広間の扉がゆっくりと開いた。


「──アレクシア・ルイーゼ・リートベルク女辺境伯と、ご夫君のルカ・ヴィクトル・リートベルク卿のご入場です!」


 この日生まれたばかりの称号が、高らかに呼ばれた刹那。


――空気が一変した。


「「「……!!!」」」


 実に威風堂々とした入場であった。まっすぐに伸びた背筋が、アレクシアの高い身長をさらに高く見せている。


 王者の風格さえも感じるような毅然とした姿に、目撃した者たちは一人残らず目を剥き、息を飲み、呼吸を止めた。


「……素敵……!」


 アレクシアがこの夜会のために新調したのは、淡い金のレースドレスだった。


 きらきらと上品に輝くライトゴールドは、パートナーである夫の髪とよく似た明るい色。素晴らしい光沢とクラシカルな美しさをたたえていて、細部にまで隙のない手仕事が光る。


「二児の母でいらっしゃる……のよね?」

「この前見た舞台の花形役者よりも男前ですわ……」


 何頭身あるのかと思わず数えながら、女性たちはしみじみとつぶやいた。


 シンプルながら縦長のシルエットが生かされたドレスは、アレクシアの凛とした威厳を際立てせている。男装しているわけではないのにどんな男よりも勇ましくて、目が離せない。


「ご夫君も……こんなに見目麗しい方でしたの……?」


 女辺境伯のパートナーを務めている夫は、可愛いという表現がよく似合う整った目鼻立ちをしていた。


 朗らかで明るいまなざしは、思わず誰もが心を開いてしまいそうな天性の愛嬌がある。


 着ている礼服は混じりけのない純黒で、カフリンクスははっきりとした濃い青。どちらも妻の色だ。


「そんじょそこらの女より愛らしい顔をしているのだが……」

「……あれが本当に二児の父なのか?」


 彼は妻を大切そうにエスコートしているが、妻の尻に敷かれて従っている、という雰囲気は微塵もなかった。


 むしろ彼女のとなりに立てることを至上の喜びとしているような、誇りに満ちた晴れやかな顔だ。


「なぁ……あのご夫君、発光していないか?」

「ああ……そう見えるが……」

「人間が発光するはずないだろう! 目の錯覚か?」


 ルカは遠目に見てもまぶしいほど、煌々と光り輝いていた。


 いくら光を放散しても少しも妻の邪魔はせず、むしろ照明のように影を飛ばして彼女を引き立たせている。どういう原理なのかはさっぱりわからない。


「ま、まぶしい……!」


 夫の謎の発光現象も手伝って、女辺境伯はまるで一人だけスポットライトを当てられているかのようだった。広いホールでも格別に目立つし、つい注目せずにはいられない。


 目がくらんで周囲がたじろいだ時、誰かが人垣を越えてアレクシアを呼んだ。


「――リートベルク女辺境伯」


 王太子エドガーだった。妻のベアトリスと共にパーティーに入場するやいなや、公爵や侯爵をさしおいて、まずアレクシアに声をかけてきたのだ。


「いい響きだな。こう呼べることを嬉しく思うよ」

「殿下のご厚情に感謝いたします」


 アレクシアは王太子相手にも臆することなく、落ち着いた立礼を返した。


「おめでとうございます。今日のアレクシア様は特に素敵で、胸がときめいてしまいますわ」

「それは妬けるな……」


 ベアトリスがうっとりと言い、エドガーは危機感を募らせて妻の肩を引き寄せた。


「だって惚れ惚れするほど凛々しくていらっしゃるのですもの。ねぇ、リートベルク卿」

「はい、ずっと見ていたいです。いつもですけれど」

「ええ、わかりますわ!」


 ベアトリスが同意を求め、ルカは前のめりで共感する。


 二組の夫婦が楽しそうに歓談するのを、周囲の貴族たちは恐れおののきながら見つめていた。

 

「お、王太子ご夫妻と……親交があるのか……!?」


 粗野な辺境の田舎貴族と思っていたのに、次期国王夫妻の覚えがめでたいらしい。


 さらに王太子夫妻が去った後は、第二王子リュディガーがアレクシアに話しかけ、何やら軽口を叩いている。


「あのリュディガー殿下が……!?」

「あんなに親しそうに……笑っておられる……!?」


 氷の貴公子と呼ばれるほどクールな第二王子が、気を許した顔を見せることなどめったにない。


 この瞬間。貴族たちはプライドをかなぐり捨てて、新辺境伯にすり寄ることを決めたのだった。

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