第66話 叙勲式

 貴族の叙爵および襲爵しゅうしゃくは、国王による勅状ちょくじょうの発行と、本人が列席する叙勲式を経て正式に承認される。


 王宮の最上階に位置する玉座の間は、教会のように神聖な空気に満たされていた。


 染みひとつない四方の壁は、国名の由来である「真珠ペルレ」を体現するかのような清らかな乳白色。ほこりひとつない床に広がるのは、数万個もの石を嵌めこんで描かれた精緻なモザイク画。


 高い吹き抜けになった丸天井にはシャンデリアが吊るされ、こぼれる光が幾何きか学模様に織り込まれた絨毯に照り映える。


 巨大な王冠の形を模したシャンデリアの真下で、執式者──つまり国王フランツと向かい合ったアレクシアは、女性の最も正式な礼装とされる高い立えりのドレスをまとっていた。


 黒を基調とした優美なロングドレスで、閉じたネックラインには繊細なレースをあしらってある。丈も袖も長く仕立てられ、肩も背中も隠れているため、肌の露出はきわめて少ない。


「──アレクシア・ルイーゼ・リートベルクを、新たなるリートベルク辺境伯に任命する」


 神への祈祷文を唱えた後、国王フランツは厳粛にそう述べ、侍従が捧げ持った長剣を手に取った。


 叙勲式の要となる「佩剣はいけん」の儀式だ。


 かつてこの国がおこった群雄割拠の時代。王国の始祖たる初代君主は功を立てた臣下に自らの剣を与え、貴族の地位に叙したという。


 その故事にちなんで、現在でも国王は自らの手で新当主に剣を授けるのが慣例となっているのだ。


つつしんで拝命いたします」


 アレクシアは毅然と答えると、両手で剣を受け取った。


 ドレス姿の女性に剣など似合わない……はずがなかった。


 重厚なこしらえのつばは、アレクシアの鍛えられた手にしっくりとなじむ。鏡のように磨き上げられた刀身は、しなやかな長身にぴったりと溶け合う。


 鋭い刃先がシャンデリアの光に照り映えて、まぶしくきらめいた。まるで剣自身が、どんな男に持たれるよりも喜んでいるかのように。


 扱い慣れた様子で軽々と剣を捧げ持つアレクシアは、まるで戦女神のように凛々しく、勇ましかった。


 まさに辺境伯の使命にふさわしく、王の敵を討つ剣となり、国を守る盾となるであろうと思わせる説得力を備えている。


 アレクシアは下賜かしされた剣を鞘に収め、そのまま静かに下ろした。決して矛先を主君に向けることはないという、恭順の意を示す所作である。


 剣のはばきをしっかりと閉じたまま、アレクシアは颯爽と膝を折った。国王の前にひざまずき、漆黒の頭をうやうやしく垂れる。


 爵位を許されるための第一の条件は、何をおいてもまず国家への絶対の忠誠を誓うことである。


 アレクシアは王家に仕え、法を遵守じゅんしゅし、民の守護者となることを朗々と誓約した。


「──国王陛下」


 凛と顔を上げて、アレクシアはフランツに向き直った。誓言を締めくくる最後の言葉を、まっすぐに国王に捧げる。


「陛下が私の誓いを受け取ってくださることを願います」

「受け取ろう。リートベルク女辺境伯」


 国王の受諾の言葉をもって、叙勲は成立した。


 この瞬間、王国の歴史上で初めて、女性が辺境伯の座に就いた。


 国王は鷹揚に笑み、てのひらを高く天に掲げる。


「新たなる辺境伯に、神のご加護があらんことを──」




 ***




「……おめでとう、アレクシア……!」


 無事に叙勲式を終え、控え室に戻ったアレクシアを待っていたのは、感無量という言葉がぴったりな表情のルカだった。


「この日を迎えられて……記念すべき瞬間に立ち会えて、本当に嬉しいよ……!」


 ルカはすっかり叙勲された本人よりも感極まっている。


 先ほどの叙勲式でももちろんまばたき一つせずに一部始終を目に焼き付けてはいたが、指一本触れることはできなかったし、声を出すことも許されなかった。心の中では「綺っ……麗……!」とか「格好……いいっ!」とか「最っ……高……っ!」とか盛大に悶えていたけれど。


 ルカが愛する子供たちや義父と離れる寂しさに耐えて王都に同行したのは、ただアレクシアのこの姿を見るためだ。


 夢が叶った幸福感は、どれほど言葉を尽くしても言い表せなかった。


 アレクシアはそっと笑んで、夫の涙を指で拭った。


「ありがとう。ルカのおかげだ」


 貴族階級は男性優位の社会だ。女当主は侮られるし、女当主の夫も軽く見られる。男のくせに情けないと陰口を叩かれ、妻の尻に敷かれてみっともないと後ろ指をさされる。


 婿入りした男の中には、最初は納得して結婚しても、やがて世間の冷たい目に耐えかねてひねくれ、妻をやっかんで不仲になる者も少なくないらしい。


 けれど、ルカは変わらない。

 いっそ清々しいほどひがむことを知らず、いじけた部分や屈折した面のない男だ。


「ルカが支えてくれたから、私はあの場に立つことができた。本当にありがとう」


 彼は一片の曇りもなくアレクシアを支え、彼女が当主になるべきだと心から信じてくれている。


 そんな男はつくづく貴重で得がたい存在なのだと、アレクシアはしみじみと実感した。


「ルカにはいつも勇気付けられている」

「それは僕のセリフだよ」


 ルカは食い気味に答えて、アレクシアの手を取った。


「愛してる、アレクシア。大好きだよ」


 ルカは手先は器用だが、口先はいたってシンプルでストレートだ。技巧を凝らしたセリフを吐いたり、芝居がかった大仰な口上をひねってくることがない。


 それがよかった。歯の浮くような口説き文句をささやいてくる男だったら、アレクシアは反射的に殴っていたかもしれない。


 一番近くにいる夫が、いつも裏表のない態度でいてくれることが嬉しい。彼が素直で、正直で、率直であればあるほど、心が癒されるし励まされる。


 まだ濡れている水色の瞳をじっと見つめると、ルカは心臓を射抜かれたような表情をした。


 可愛い、と思った刹那、アレクシアはその顔に唇を塞がれる。


「……ルカ、今はだめだ……」

「……わかってる……少しだけ……」

 

 だめだと言いつつ、抵抗する手には力が入らない。


 ちゅっと音を立ててついばまれる。甘く吸われ、巧みに舐められ、奥まで深く蹂躙じゅうりんされる。 


「……っ……」


 深さを増す口づけに、頭の芯が痺れそうになった時だった。


 バンッ、と大きすぎるノックを受けて、扉がきしんだ。


「「「──リートベルク女辺境伯!」」」


 声をそろえて現れたのは、王宮に仕えるメイドたちだった。


 大きな衣装箱と化粧道具を持っているから、美容と着付けを担当するレディーズメイドだろう。全員が妙に気合いとやる気と使命感にみなぎっている。


「女性が当主となられるなんて! なんて誇らしいのでしょう!」

「私たちにお任せください。一世一代のお披露目の日にふさわしく、全力を尽くしますわ!」


 昼の叙勲式は滞りなく済んだが、まだ終わりではない。夜には建国を記念した宴が控えているのだ。


 昼の正礼装と夜の正礼装はドレスコードが異なるため、昼の式で着た服は夜のパーティーでは着られない。この待ち時間のうちに、夜会に向けて着替えを済ませる必要があるのだ。


「さぁさぁ、ご夫君もお召し替えになってきてくださいね!」


 メイドたちはルカをぽいっと部屋の外に追い出した。


「始めるといたしましょう! 腕が鳴りますわ!」


 彼女たちはこれまで数えきれないほど貴族の奥方や令嬢のドレスアップを手伝ってきた熟練者ばかりだが、女当主の装いを担当するのは初めてだ。


 男ばかりが家長の座を占拠する貴族社会に、ただ一人誕生した女当主ともなれば、使命感に燃えずにはいられないらしい。


「背がお高くていらっしゃるから、男装もさぞかしお似合いになるのでしょうね。けれど……」

「ええ。女性として爵位を受けられた方なのですもの。女性としての装いで戦場に立たなければ!」


 パーティーとは戦場らしい。


 それもそうだと納得して、アレクシアは戦闘準備を整えるべく、おとなしく彼女たちに身を任せたのだった。

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