第84話 四つ葉のクローバー②
さて、我々の目的はクローバーである。
広い公園内にはあちこちにクローバーが自生していたが、思った通り、葉は次々と閉じ始めていた。
持ってきたランプを草の上に置き、しゃがみこんで四つ葉を探す。運動不足の年寄りにはなかなかつらい。
「うーむ……なかなか見当たらないな……」
いくら夏至の日とはいえもう時刻は遅く、視界は悪い。老眼の進んだ年寄りにはなかなかつらい。
「目立つ四つ葉はもう摘まれてしまったか……」
園内には同じ目的の人間たちが大勢来ている。目につきやすい場所に生えていた四つ葉は、すでに採取されてしまったようだ。
子供たちはくじけることなく一所懸命に探しているので、私も黙って探索を続けた。腰の痛い年寄りにはなかなかつら……もういい。
なぜ四つ葉のクローバーが幸運をもたらすと言われているのかは知らないが、一説によれば、四枚の葉がそれぞれ東西南北を表しているからだという。
この国には古くから東西南北の名を冠する四つの公爵家が存在し、
と言っても「南」と「西」はすでに没落し、現在では「北」と「東」の二家しか残ってはいないのだが、それでも未だに四大公爵といえばその四家をさす。
そんな歴史の経緯もあって、四つの方位に見立てることのできる四つ葉のクローバーが、幸運の象徴として浸透していったのだろう。
「……みつからない……」
どのくらいの時間が経っただろうか。あたりがますます暗くなる中、ヴォルフリックは泣き言を漏らした。
「あった!」
そう叫んだのはヴォルフリック……ではなく、別の男の子だった。発見した四つ葉を高く掲げ、喜び勇んで走り回る。
「やったぁ! 見つけたよ!」
「よかったな」
はしゃぐ男の子の頭を、父親らしい大人がぽんぽんと叩く。
目的を達成した父子が悠々と去っていくのを、ヴォルフリックは羨ましそうに見つめていた。
「少し待っていなさい」
私は茂みに分け入った。男の子が四つ葉のクローバーを見つけたばかりの場所を探す私に、エリザベートが不思議そうな顔をする。
「おじさま。でも、そこは……」
たった今、摘まれてしまったばかりなのだから、もうそこに四つ葉は残っていないだろう。
子供たちはそう思ったようだが、私は首を振った。
「四つ葉を見つけた時はその近くを探すとまた見つかる、と聞いたことがある……」
クローバーは本来は三つ葉であり、四つ葉は変異種だ。いわば奇形なのだが、これは子孫に遺伝するらしい。
四つ葉が一度生えると、その場所にはやがて四つ葉と三つ葉が交配したクローバーが生まれる。変異種が次代に遺伝した結果、他の場所よりも四つ葉が生えやすくなるのだ。
子は自ずと親に似るものなのだな……と感慨深い気持ちに駆られながら、私はじっと目を凝らした。
「「あっ!」」
私の手元を指さして、エリザベートとヴォルフリックが同時に叫んだ。
「「あった!」」
すくっと伸びる緑の茎。まだ閉じることなくはっきりと開いた葉は一、二、三、四……確かに四枚だ。
私は手を伸ばし、根元からクローバーを手折って、ヴォルフリックの手に乗せてやった。
「ほら、これでいいだろう」
「うん!」
一年で一番明るい夏至の太陽をふんだんに浴びた、特別な幸運のお守りだ。さぞかし
「よかったわね。ヴォルフ」
「うん! これで母上もげんきになるね!」
姉弟は嬉しそうに言ったが、私は眉をひそめずにはいられなかった。
「……母君のお具合が悪いのか?」
そういえば、墓地で迷子になっていた経緯を聞き出した時、二人はこう言っていたのだ。
『父親は夕暮れから始まるパーティーに出向き、自分たちは使用人と留守番をしていた』──と。
父親だけが出席したのか? 母親は当主だというのに、パーティーには不参加なのだろうか?
「お母さまは、おなかに赤ちゃんがいるんです」
だから王都には来ていない、領地に残って静養しているのだと、エリザベートは教えてくれた。
「母上はいつもつよくてつよいけど、さいきんはつらそうなんだ」
「そうか……つよくてつよいのにか……」
不安そうに言うヴォルフリックに、思わず同調してしまった。私の記憶でも、とても強靭な女性だった印象がある。
「お母さまはしんぱいしなくていいって言うんです。わたしやヴォルフが生まれる時もそうだったって。びょうきじゃないから大丈夫だって。でも……」
いつもつよくてつよい母が、辛そうに寝込んでいる。
そんな光景を、姉弟は初めて目にしたのではないだろうか。
「でも、これがあればきっとだいじょうぶだよね!」
ヴォルフリックは四つ葉のクローバーを大事そうににぎりしめて、キラキラと顔を輝かせた。
「ああ、大丈夫だ。母君はきっと元気になるし、必ずいい子が生まれる。……君たちのように」
慰めではなく、気休めでもなく、本当にそう思った。
つよくてつよい女性と結ばれ、優しい子供たちに恵まれた、息子は本当に幸せ者だと──心から思った。
「……さぁ、遅くならないうちに戻ろう」
私はきびすを返しかけたが、エリザベートとヴォルフリックはそろってもう一度、野原に突進していった。
「何をしている?」
「ちょっとだけ、まって!」
ばたばたと草むらをくぐって、また出てきた時。二人は小さな手に野の花をいっぱいに摘んでいた。
「おじさま、ありがとうございます」
「おじさん、ありがとう!」
礼を言いながら花を手渡してくれる二人に、遠い昔の光景がよみがえった。
私の生涯で一番幸せな記憶。
もう三十年も前のことなのに、忘れることなく鮮やかに残る大切な思い出。
極上の蜂蜜のような明るい金の髪。髪によく似合うまぶしい笑顔。
──『はい、どうぞ。いつもありがとう』
小さな町の小さな花屋で。彼女は手際よく茎の水切りをし、慣れた手つきで包みながら、私に微笑みかけた。
「……ありがとう。嬉しいよ」
誰よりも花の似合う女性だった。
もう記憶の中にしか生きていない彼女の笑顔が、目の前の孫たちの笑顔に重なって見える。
「こんなに嬉しい贈り物は……久しぶりだ……」
眉間を押さえて嗚咽を押し殺す私を、ヴォルフリックは純粋な目で見つめた。
「おじさん、ほんとうに花がすきなんだね」
──『本当に花が好きなのね』
幸福な既視感に、思わず呼吸が止まった。
「花が好きなんじゃない。君たちが……」
言いかけた言葉は、こみあげる涙で詰まって声にはならなかった。
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