第83話 四つ葉のクローバー
私は痛む頭を押さえて立ち上がった。
「……ここで待っていなさい」
「どこにいくの?」
「君たちの保護者にこの場所を伝えなくてはいけないだろう。リートベルク家まで使いに行ってくれるよう、頼んでくる」
私は人付き合いが得意な方ではないが、何年もこの町で暮らしているだけあって、近所の住民と少しくらいは交流がある。
町民たちは私のことを、どこかの
男爵家の財産はすべて息子に譲ったが、個人的な私物を売り払えば、働かなくとも暮らしてはいける。
自分でも驚いたのだが、私は意外と家事の適性があったらしい。ずっと使用人に頼りきった生活をしてきたわりに、身の回りのことはさほど困ることもなく何とかなっている。
独り身だから家事の量が少ないこともあるが、若い頃に彼女と半同棲生活を楽しんだ時、教わったやり方も役に立っていた。
「あ、おじさん。こんばんは」
表に出たところでばったり会ったのは、顔見知りの肉屋の兄弟だった。
「おお、ちょうどよかった。頼まれてくれないか」
私は兄弟に駄賃をにぎらせ、二人の子供を保護している旨とこの家の住所を書いた紙を渡して、リートベルク家のタウンハウスまで届けてほしいと頼んだ。
普段から住人の頼みごとを快く受けてくれる賢い少年たちだ。問題なくこなしてくれることだろう。
「これで大丈夫だ。しばらく待てば迎えが来るだろう。それまでここでおとなしくし──」
家の中に戻り、孫たちにそう告げながら、私はふと首をかしげた。
「……そういえば、君たちは本当はどこへ行こうとしていたのだ?」
「あっ!」
ヴォルフリックは何かを思い出したように立ち上がった。
「おじさん。"おうりつこうえん"がどこにあるか知ってる?」
王家所有の公園はいくつかあるが、最も有名なのは宮殿の裾に広がる緑園だろうか。少々道が複雑だが、この家から遠くはない。
「おねがい、つれていって! 今日のうちにいきたいんだ!」
「今日……?」
「うん! よつばのクローバーをさがしたいんだ!」
そういうことか……と私は合点した。
宮殿は国のシンボルであり、その裾野に広がる緑園は王家の威信をかけて、国内のどの公園よりも手を尽くされている。
単に美しく整えられているというだけではない。王立公園には多彩な木や植物が植えられ、希少な薬草も多く栽培されているのだ。
城のお膝元に育つ薬草は、神と王の加護を受けて、他の地に育つものよりも特に薬効が高いと言い伝えられている。
それは薬草だけに限らず、クローバーも同じだった。
四つ葉のクローバーを見つけると良いことがあるというのは有名なジンクスだが、中でも王立公園に自生するクローバーは特別、幸運をもたらす不思議な力が強いと言われている。
子供たちも先ほど使用人からその話を聞いて、興味を持ったばかりなのだそうだ。
「あー……。それはだめだ。出直しなさい」
私は二人にそう告げた。王立公園に行きたければ、保護者と再会してから改めて連れていってもらいなさい、と。
しかしヴォルフリックは「今日じゃなきゃだめなんだ!」と強固に主張した。
そう、今日は夏至。一年でもっとも太陽の出ている時間が長い日だ。
夏至の日に摘んだ薬草は特別に効き目が強い。真偽はわからないが昔からそう言われている。
夏が
一年で一番太陽の力が強くなる夏至の日と、この国で一番薬効あらたかとされる王立公園。
この絶好の機会を逃すわけにはいかない――というのがヴォルフリックの持論だった。
「どうしても! ぜったいに! 今日みつけたいんだ!」
「……うーん……」
私は頭を抱えた。
一日くらい変わらないだろう。明日改めて出直しなさい、と言いたかった。言いたかったが……言えなかった。
ヴォルフリックの大きな水色の瞳は、私の息子と同じ色で……その澄んだまなざしに見つめられると、それ以上は否と言えなかったのだ。
「……仕方がないな」
私は重い腰を上げた。
今日が終わるまではまだ数時間あるが、クローバーは夜になると葉が閉じてしまう。そうなれば探しにくくなるので、もたもたしてはいられない。
リートベルク家の使用人が迎えに来るなら交代したいところだが、先ほど託した手紙が届くにはまだ時間がかかるだろう。日は暮れきってしまい、クローバーを探すことは不可能になる。
私は念のため玄関に置き手紙を添えると、二人を連れて家を出た。
「あ、おしろだ!」
茜色に染まる街道を歩きながら、ヴォルフリックが小さな指をさした。
市街地の向こうにそびえる王宮は、遠目にもわかるほど華やかににぎわっている。
王家はこの夏至の日を建国記念日と定め、貴族たちを一同に集めて、きらびやかな宴を開いているのだ。
「おしろのパーティーには、大人になったらいけるのですよね」
「そんなにいいものではないがな……」
憧れるように言ったエリザベートに、私は肩をすくめた。
「おじさん、いったことあるの?」
「……かつては貴族だったこともある。それだけだ」
──昔の話だ、とつぶやいた私を、二人は不思議そうな顔で見上げていた。
***
やがてたどりついた王立公園は、多くの人々でにぎわっていた。
今日は建国を祝って、公園も一般公開されている。宮殿内には貴族しか入れないが、手前の園内までは庶民でも入れるのだ。
貴族たちのように絢爛華美なパーティーを開くわけではないが、平民たちもピクニックをしたり、楽器を演奏したり、歌ったり踊ったりとにぎやかに祝日を楽しんでいた。
夏至が終わらないうちに薬草を摘もうと来ている者たちも多い。和気あいあいと草花を物色しては、手に持った籠に次々と入れている。
「うわぁ! 人がいっぱい!」
「遠くに行くんじゃない。はぐれたらまた迷子になるぞ」
「はーい!」
ヴォルフリックは返事だけはいいが、すぐにちょこまかと走り出す。これは一瞬も目が離せない……と私は気を引きしめた。
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