第82話 迷子
「……まだ明るいな。そうか、今日は夏至か……」
独り言をつぶやきながら、私は彼女の眠る墓前に膝を折り、そっと花を手向けた。
今の私の住まいは、かつて彼女のために買った家だ。二十年に及ぶ結婚生活の間も、私は妻に隠れてたびたびこの家と墓を訪れていた。
妻は私の無断外出に激怒してたが、ここに来て彼女との思い出にひたる時間がなければ、私はとっくに壊れてしまっていただろう。
今は一人で慎ましく暮らし、彼女の墓に日参する毎日を送っている。貴族だった時の贅沢な生活とはほど遠いが、当時よりも心はずっと穏やかだ。
強欲な妻に疲れ果てた私には、この静かな日々が尊い。
このまま何の変化もなく、事件も起こらず、ただ平穏無事に生涯を終えることができれば、それ以上の望みはなかった。
……何の変化もなく、事件も起こらず……のはず……だったのだが……。
(これは……いったい……?)
見慣れた墓の前には、見慣れない子供たち。
金髪の女の子と黒髪の男の子が手をつないで、ふらふらと墓地をさまよっている。
「あねうえぇ……ごめんなさいぃ……」
「大丈夫よ、ヴォルフ。泣かないで」
二人がお互いを呼びあうのを聞いて、私の全身に雷撃が走った。
「……!?」
***
墓地で拾った子供たちを連れて帰る先は、自宅以外にはなかった。
一人暮らしだから物は少ない。家具家財も最低限だ。清潔にはしているつもりだが、子供にとって面白みはないだろう。
それにしても……この二人の髪色、年格好、貴族らしい身なりに、「ヴォルフ」と呼ばれていた弟……。
まさか……まさかとは思うが、この子たちは……。
「その……君たちの名前を聞いても……?」
私が尋ねると、女の子はおしとやかに手を重ね、男の子は堂々と胸を張った。
「エリザベート・アレクシア・リートベルクです」
「ヴォルフリック・ヴィクトル・リートベルク!」
はい、完全に孫です。ありがとうございます。
「……そ……そうか……リートベルクの……」
動揺を押し殺しつつ、二人から話を聞き出す。
エリザベートは六歳で、ヴォルフリックは四歳。姉弟は王宮で開かれる建国記念パーティーを機に、領地からはるばる王都にやってきた。
公式のパーティーには十六歳に達してからしか参加できない。だから幼い二人に参加資格はないのだが、エリザベートは王太子殿下の長女であるマルゴット王女と同い年であり、王太子夫妻の希望もあって、親交を深めるためにも招待に応じたのだという。
(お、王女と交流があるのか……? 私の孫が……?!)
私はこれでも生まれた時から貴族をやっていたのに、王族と親交を持ったことなどないのだが……。
驚愕は尽きないが、話を戻そう。
子供たちは昼は王太子一家に招かれて一緒に遊び、夜はリートベルク家のタウンハウスへと戻った。
父親は夕暮れから始まるパーティーに改めて出向き、子供たちは使用人と留守番をしていたのだが、ヴォルフリックにはどうしても行きたい場所ができたとのこと。
使用人たちからは主人が不在なのに外出はさせられないと断られたが、ヴォルフリックはあきらめきれずに窓から脱走。エリザベートはそんな弟を心配して、一緒についてきたらしい。
「な……なかなか無茶をするな……」
しかし見知らぬ町と慣れない道に惑い、二人はあっという間に迷子になった。さまよった先にたどり着いたのは、目的地とは違う薄暗い墓地だった。
ヴォルフリックは姉を巻き込んでしまったと泣き出し、エリザベートはそんな弟を慰めて励ましていた。そこにたまたま出くわしたのが私だった──というわけだ。
こんな偶然があるものかと驚くばかりだが、事故に巻き込まれたり人さらいに遭ったりしなくて本当によかった。
私がほっと息をついた時。エリザベートは部屋の壁に視線をやって、驚嘆の声をあげた。
「お母さま!」
壁に飾ってあったのは新聞記事の切り抜きだ。近年は印刷技術が向上し、安価な新聞が庶民の間にも出回るようになった。
「これ、お母さまのきじですよね?」
「……読めるのか?」
「はい。お父さまにならったので」
エリザベートは記事の見出しに大きく踊る“MARKGRAFIN"の文字を指さした。
「これはお母さまのしょうごうだって、お父さまがおしえてくれました」
"辺境伯"は"
一年前、史上初めて女性が辺境伯となったニュースは国内でも広く話題になり、紙面を大きくにぎわせた。私はその記事を切り抜いて額縁に入れ、壁に飾っていたのだ。
貴族の数は平民よりも圧倒的に少なく、とかく話題と注目を集める。息子とは音信不通になって久しい私だが、孫の名前と年齢はこうした報道から知った。
「おじさん、なんで母上のきじをかざっているの?」
「そ……それは……」
ヴォルフリックに澄んだ目で問われ、私はもごもごと言葉を濁した。
「……ファン……だからだ……」
「ファンなの? 母上の?」
「ああ、そうだ」
苦しい言い訳をする私に、二人は純真な瞳を丸くした。
「わかります!」
「母上はすごくすごいもんね!」
「ああ、すごくすごいな」
わかってくれてよかった。
私がそっと冷や汗をぬぐっていると、エリザベートはさらに別の記事を見つけて、青い瞳を輝かせた。
「あっ、こっちはお父さまの……?」
女辺境伯の記事に比べれば扱いは小さいが、息子もかつて紙面を飾ったことがある。
手がけている事業がことごとく当たり、国内でも指折りの資産家となりながら、莫大な富で自領を潤すのみならず、広く救民のための改革に尽くしているという内容だった。
「お母さまのファンだから、お父さまのこともおうえんしてくれているのですか?」
「ああ……まぁ、そんな感じだ……」
私はコホンと咳払いをし、
「だが、あいつはしょせん親の遺産を元に事業を展開をしているだけだからな……。元手がなければああも大胆な投資はできなかっただろう。今はたまたま上手く軌道に乗っているようだが、調子に乗るとそのうち足元をすくわれ……」
そうぼやいてから、はっと我に返った。
いかん。息子のこととなるとつい謙遜して卑下してしまう。
「おじさん、くわしいね」
私がファンだと名乗ったせいだろう。ヴォルフリックは身ぶり手ぶりをまじえて、両親の情報を教えようとしてくれた。
「あのねぇ、父上はやさしいけど、母上はおこるとすっごくこわいんだよ」
「もう、ヴォルフったら。お母さまがおこるのはヴォルフがいたずらばかりするからでしょう?」
たしなめるエリザベートと、ぺろっと舌を出すヴォルフリック。行儀のいいしっかり者の姉と、わんぱくでやんちゃ坊主の弟といった様子だ。
仕立てのいい上質な服に、きちんと手入れされた身だしなみ。周囲に愛されて、大切に育てられていることが一目でわかる子供たちだ。
二人の髪の色は異なるが、どちらも気品があって整った顔立ちをしている。一言で言えばとても可愛い。
「父上はねぇ、母上のことがだーいすきなんだ。いつも母上にしゅきしゅきだいしゅきっていっぱい言ってる」
ヴォルフリックは「だーいすき」の「だーい」のあたりで両腕をいっぱいに伸ばしながら語ってくれたが、私は頭を抱えずにはいられなかった。
──い、今でもそんなにメロメロなのか……。
親として気恥ずかしいような、知りたくなかったような、複雑な気持ちに駆られる。
「あとねぇ、父上はおじいさまともなかよしだよ。いつもおじいさまといっしょに、ぼくたちのこときゃわゆすとかきゃわたんとか言ってる」
──何をしてるんだ? あいつは。
まったく年甲斐もないな……。もっと卑下してよかったかもしれない……。
だいたい前辺境伯は不敗の猛将と呼ばれた武人だぞ。そんな剛の者がきゃわゆすなどと言うはずがない。息子に付き合ってくださっているのだろうと思うと申し訳なかった。
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