第80話 回転木馬
広場の前に設けたステージでは、楽団や聖歌隊がかわるがわる演奏や歌を披露していた。
素朴な童謡に、神聖な讃美歌、リズミカルな流行曲などが高らかに演奏される。その合間に流れるのはおなじみの
リートベルクの地名の由来にもなった、昔ながらの古曲。
先住民たちの古語で綴られた伝統の歌が、郷愁を誘うなつかしい旋律を響かせながら、あたりの山や川を包むようにゆったりと流れている。
くりかえし奏でられて、この日だけでも何度も耳にするので、祭りが終わってからも幻聴が聞こえるほどだ。
音楽に耳を傾けながら、人々は穏やかに笑いあっていた。まるでただ景色や買い物を楽しむだけではなく、恋人の愛や家族の絆を再確認しに来ているかのように。
優しい光のきらめきに囲まれて、アレクシアとルカも顔を見合わせた。
「
「冬には欠かせないからね。増産させてよかった」
ひととおり美味しいものを食べて腹が満たされると、目が行くのは工芸品だ。
昔ながらの伝統のおもちゃ。繊細なガラス細工。木のぬくもりがするオーナメント。手製のぬいぐるみに編みぐるみ。どれも職人たちのこだわりが感じられて、いくら見ていても飽きない。
「もうあるけない!」
ずっと興奮してはしゃぎっぱなしだったヴォルフリックが、突然そう言って地べたに座り込んだ。
たった今まで追いかけるのが大変なくらい元気に走り回っていたのに、体力が切れるのが急すぎて、ルカはつい笑ってしまう。
「父上ぇ、だっこぉ」
「いいよ~。おいで~」
暴れん坊なのに甘えん坊だなぁと思いつつ、そんな息子も可愛くてたまらない。アレクシアによく似た顔でねだられるのにも弱くて、ほいほい抱っこしてしまう。
ヴォルフリックはルカの肩に頭をもたれた。小さな体から力が抜けていき、まぶたがうつらうつらと閉じていく。
「あ、ヴォルフ。あそこで木馬に乗れるよ」
「のる!」
回転木馬と聞いて、ヴォルフリックの水色の目がぱっちりと開いた。現金なものである。
大きな円形の台座の上には、色違いの木馬が五頭。オルゴールの音色に合わせてゆっくりと回転していた。
どうやって木馬を動かすかというと、手回しである。木製の台の中心にはレバーがついていて、それを大人が三人がかりで押して回すと歯車がかみ合い、台座ごと馬を回転させる構造になっている。
係員はいるものの、彼らは料金の授受と安全確認しか行わない。レバーを回して動かすのは子供たちの保護者である。
自分の子供の乗る番が来たら、その親たちが協力して重たいレバーを回し、汗だくになって子供たちを楽しませるのである。
アナログな作りだが、燃料が不要なのでどこでも使える。解体も組み立ても簡単で、イベントがあるたびに会場に運び込んで設置することができる。親は一苦労だが子供たちには大人気のアトラクションなのだ。
親子連れがわいわいと行列を作っていたので、エリザベートとヴォルフリックも列に並び、わくわくと順番を待つ。
しばらくすると二人の番が回ってきた。小銭を係員に渡して、好きな色の木馬によじ登る。
「私がやろう」
「よろしく~」
アレクシアが一人でレバーを回そうとするのを、ルカは笑顔で見守ったが、係員は血相を変えた。
「は? 奥さん一人でかい?」
「いやいや、無理だ。女の力じゃあ回せないよ。ここは旦那さんたちに任せ……」
言いかけた係員は、片手で軽々とレバーをひねるアレクシアと、これまで見たこともないほど高速で回転する木馬に、あんぐりと口を開けた。
エリザベートとヴォルフリックは無邪気に喜んでいるが、あとの三人の子供たちは予想外の速さに若干ひきつった表情だ。
「速すぎるか?」
「うん。他のお子さんもいるからね。もう少し減速しようか」
大の男が三人がかりでも難儀するほど重いレバーを涼しい顔で動かす妻と、そんな妻を愛おしそうに見つめる夫。
周囲の人々は驚きに息を飲みながら、やけに人目を惹く容姿をしたその夫婦にまじまじと見入った。
二人がつい最近爵位を授かったばかりの新たな領主夫妻だとは──夢にも思うことなどなく。
「父上!」
回転木馬を降りたヴォルフリックはまっしぐらにルカに駆け寄ると、もう一度抱っこを求めてきた。
「たくさん歩いて疲れたよね。寝ていいよ、ヴォルフ」
抱き上げてよしよしと頭や背を撫でるうちに、ヴォルフリックの目は再びうとうとと閉じていく。
「リザも疲れただろう? おいで」
アレクシアが手をさしだすと、エリザベートは首をすくめた。
「でも……」
エリザベートは姉としての自覚が強いしっかり者だ。弟のように甘えていいのか迷っている様子だったが、やはり疲れてはいたらしい。母からもう一度おいでと呼ばれて、素直に身を預けた。
「寒いが──あたたかいな」
「本当にそうだね」
娘を抱いた妻と息子を抱いた夫は、そう言って笑った。
吐いた息が白くなるほど寒いのに、子供の高い体温はとてもあたたかくて心地いい。
「──ルカ」
アレクシアが片手でエリザベートを抱えたまま、もう片方の手をさし出すと、ルカは明るく笑ってその手を取った。
──本当に笑顔を絶やさない男だ、とアレクシアは思う。
慣れてしまって普段は意識しないのだが、時々ふと感じるのだ。──いつも機嫌のいい人間がそばにいることは、実はとても幸せなことなのではないかと。
ルカはいつもにこにこと上機嫌でいてくれる。愛情を注いで子供たちを育ててくれて、血のつながらない義父と仲良く過ごしてくれて、何年経ってもずっとアレクシアを一番大切にしてくれる。
辺境伯家の当主はアレクシアだが、家族みんなが笑って過ごせるよう、支えてくれているのはルカだ。
子供たちの父親として安心できて、領民を守る相棒として信頼できて、彼と一緒に過ごせる日々を愛おしく思える。
そんな男と人生を歩めることに感謝しながら、アレクシアはつないだ手をぎゅっとにぎり返した。
冬に向けて日が短くなっていく季節の中に、穏やかなあかりがきらきらとまたたく。
悠久の歳月をつなぐ
家族の幸せな夜は更けていった。
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アレクシアが辺境伯になる「襲爵編」でした
読んでいただきありがとうございました!
本編はまだ続きますが、次回からはルカの父アウグスト視点の番外編をお送りします
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