第78話 秋の祭り②

 秋の豊穣を祝う恒例の祭りは、今年も一段と盛大に開催された。


 ルカが初めて訪れた時はまだ規模もひかえめで、辺境の素朴なイベントという風情だった祭りだが、年ごとにますますにぎわいを増している。


 最大の理由は街道が整ったことだ。あのノルトハイム侯爵にすら絶賛された道路の大工事は、近隣に急速な繁栄をもたらしたのだ。


 道がならされるごとに流通が活発になり、新しい町が複数生まれ、元々あった町にも多くの金が落とされた。


 住民が増え、さらに一帯が拡張していくのに比例して、秋の祭りもいっそう大規模に展開されている。


 出店や屋台は数が増えただけでなく、趣向を凝らしたものが多くなった。


 定番の肉だけでも鳥の串焼きに豚の丸焼きに牛のロースト、シチューに揚げ物に塩漬け肉、ハムの盛り合わせに腸詰めのグリル、熟成肉のステーキまであって目移りしてしまうほどだ。


「父上! ぼくあれがたべたい! あっちも!」

「待って、ヴォルフ。順番に並んで買うからね」


 ルカははしゃぐヴォルフリックを捕まえて言い聞かせた。


 祭りは多くの人でごったがえしていて、また今年も来場者数を更新すること間違いなしだ。一瞬でもはぐれたら迷子になってしまうので、しっかりと手をつなぐことを約束させる。


 ヴォルフリックは迷った末、賽子さいころの形に小さく切った肉を選んだ。受け取る際、上からとろとろの熱いチーズをたっぷりとかけてもらってご満悦だ。


「リザも好きなものを選びなさい」

「はい、お母さま」


 エリザベートはお菓子作りが好きなだけあって、甘いものに目が行くようだった。雲のようなふわふわの綿あめと、焼きたてのスノーボールシュネーバルの間で悩んでいる。


 中央の広場には大きな木製のやぐらが組み上げられ、木工の人形たちが配置されていた。


 螺子ねじを巻かれてくるくると回転する人形たちをながめながら、人々は感嘆したり飲んだり食べたり、思い思いにくつろいでいる。


 彼らの多くが片手に収まるほどの台形の包みをげているのを見て、ルカとアレクシアは思わず笑んだ。


「売れているな」

「売れているね!」


 あれは何を隠そう、領主の采配で意図的に流行らせた食べ物。その名も「フリュヒテブロート」だ。

 

 フルーツのパン、という意味であり、ナッツやドライフルーツや柑橘のピールなどをどっさり入れて焼いたパンである。

 

 もともとは限られた地域だけで作られていた伝統のパンなのだが、製法を教わって大量生産に挑戦し、領内全土に普及させることに成功した。

 

 フルーツのパンフリュヒテブロートは仕上げに砂糖をたっぷりまぶして表面をコーティングしてあるのだが、これはただ美味しさのためだけではない。コーティングによって空気を遮断し、劣化を遅らせることで、常温のままで長期保存することが可能になるのだ。

 

 しかも日持ちするからといって味が落ちることもない。バターをたっぷり使っているのでコクがあってリッチな味わいだ。濃厚でこってりしているため一気に食べるのは向かない。毎日少しずつ切り分けて楽しむのがおすすめである。

 

 しかし「フリュヒテブロート」という名称はしっくりこない、という意見もあった。


 少々言いにくいし、フルーツを使ったパンはこれ以外にもあるのでまぎらわしい。


 もっと人々に親しまれる、いい名前はないだろうか――と悩んだ時だった。


 フルーツのパンフリュヒテブロートの包みを持った少年たちが追いかけっこをしながら、二人の脇を走り抜いていった。


「見て見て!」

「ほら、坑道のトンネルだよ!」


 この近くには大きな炭鉱がある。町の住民にはそこで働く鉱夫も多く、子供たちも親の職業にはなじみがある。


 だから山脈のような形をしたフルーツのパンフリュヒテブロートをトンネルに見立てたのだろうが、ルカは思わず膝を打った。


「"坑道シュトーレン"……シュトーレンかぁ!」


 声をはずませて振り返ると、アレクシアもうなずいた。


「いいんじゃないか? 呼びやすいと思う」

「だよね? 通称として付けて、広めてみようかな」


 "シュトーレン″はいい名前だ。きっと定着するはずだと確信しながら、夫婦は子供たちの手を引いて、さらに祭りを見て回った。


 おなじみのホットワイングリューワインもあちこちの店で売られている。焼いた林檎を添えたり、シナモンやクローブを入れたり、輪切りのオレンジやマスカットを加えたりと、店によって特色はさまざまだ。


 ホットワイングリューワインに使うのは通常は赤ワインだが、今年はめずらしく白ワインをベースにしたものも用意してみた。物めずらしさも手伝って、売れ行きは好調のようだ。


「せっかくだから試飲してみたいが……」


 しかし、今日は子連れだ。一杯ぐらいで泥酔することはないが、堂々と飲むのも気が引ける。


 アレクシアが迷っていると、ルカが提案してきた。


「一杯買って、半分こしない?」

「私もそう思っていた」


 夫婦は目を見合わせてうなずき、白のホットワイングリューワインを買って分け合った。


「少し酸味が強いが、悪くないな」

「うん。義父上はこちらの方がお好きかも」


 赤は砂糖を加えているから甘く、口当たりがまろやかで柔らかい。白はスッキリしていてアルコール度数も高く、ヴィクトルが好みそうだ。


 義父へのお土産にしようとルカがボトルごと買い求めていると、大人がすることは何でも一緒にやりたがる年齢の息子が「ぼくも!」と手を挙げた。


「ぼくも! のみたい!」

「じゃあ、二人にも同じのを買おうか」

 

 ルカは葡萄のジュースを買って子供たちに渡した。見た目はワインとそっくりなので、二人も「同じの」だと信じてくれて助かる。


 やがて涼しかった秋風に、冷たい寒気が入り混じった。ルカは荷物から上着を取り出す。


「ヴォルフ。寒くなってきたから、ちゃんと上着を着よう」

「はーい」


 ルカはエリザベートが小さかった時、くまの耳をつけた毛糸の帽子を編んだことがある。


 ヴォルフリックが生まれてから、あの帽子には改良が加えられた。同じ茶色の毛糸でセーターを編み、帽子と縫い付けて一体化したのだ。


 セーターに頭をくぐらせ、両手を通し、耳付きのフードをかぶれば、ヴォルフリックはまるで子ぐまのような見た目になった。


「可愛い! 最高!」

「よく似合っているぞ」

「ヴォルフ、とってもかわいいわ」


 父と母と姉に褒められて、ヴォルフリックはえへへと得意げに笑った。そのままはしゃいで走り出しそうになったところを、父に捕獲される。


 子供たちを真ん中にして四人で手をつなぎながら、ルカはふと夫婦だけで最後にこの祭りに来た日のことを思い出した。


「……」


 アレクシアがエリザベートを妊娠していた時のことだ。大きくなってきたお腹をさすりながら、二人でゆっくりと祭りを見て回ったのだ。


『出会った時よりも、結婚した時よりも、もっと君のことが好きだ』


 つないだ手をそっと持ち上げて、結婚指輪をはめた指にキスを落として、誓った言葉を今でも覚えている。


『愛している、アレクシア。君も、生まれてくる子も、ずっと大切にするよ』


 今、夫婦の間には無邪気に笑う娘がいて、元気いっぱいにはしゃぐ息子がいる。


 最愛の妻との間に生まれた二人分の距離が少しだけせつなくて、そしてとても幸福だった。


 ――いつの日か子供たちが巣立ったら、もう一度二人で手をつないでここに来たい。


 そう願いながら、ルカは小さな手をしっかりとにぎりつつ、晩秋の中を進んでいったのだった。

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