【番外編】ルイーゼ・マグダレーナ・リートベルク
第59話 ルイーゼ・マグダレーナ・リートベルク
ルイーゼ視点の番外編です。
エリーゼお姉様の時ほど長くはかかりません。手短にまとめます。よろしくお願いします!
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先日作りはじめた手袋は、もうすぐ片方ができあがりそうだった。
ふわふわの白い毛糸を輪編みにして、ふっくらとした形のミトンを作る。ミトンの甲の部分には細編みで、菱形が交差する格子模様を入れた。
手首の部分に小さな
「奥様、旦那様のお戻りですよ」
「ありがとう」
編み棒と作りかけの小さな手袋を置いて、私は待ちきれずに部屋を出た。
この部屋で待っていればきっと訪れてくださるだろうけれど、私が少しでも早く会いたかったのだ。
「奥様、足元にお気をつけてくださいませ」
「ええ、気を付けるわ」
廊下に面した窓から外を仰げば、昨日よりも少し温かくなった風で、スノードロップの白い花が揺れていた。
等間隔に植えられた花壇の先から、堂々とした長身の体躯が近づいてくるのが見えて、私の心臓は踊った。
少しでも早くそばに行きたくて、そわそわと胸をはずませながら、スノードロップの小道を渡る。
「ヴィクトル様!」
「ルイーゼ!」
ヴィクトル様は大きな腕を広げて、ぎゅっと私を包み込んでくれた。そのまま横抱きにされて持ち上げられる。
重くはないかと思うのだけれど、まったく重くないといつも言われた。私の旦那様は力持ちすぎる。
「お帰りなさいませ」
「ああ、ただいま」
ヴィクトル様が笑うと、お顔の傷がやさしく歪む。
がっしりとした硬い首に手を回して「会いたかったです」と頬にキスすると、ヴィクトル様は「私もだ」と唇にキスをしてくれた。
あたたかくて頼もしい腕の中にいると、初めてこうした日のことを思い出さずにはいられない。
ヴィクトル様と出会ったのは十六歳の時、私がデビュタントとして、公式のパーティーに参加した日のことだ。
エリーゼお姉様に見守られ、お父様にパートナーを務めていただきながら、初めて足を踏み入れた王宮の大広間は、くらくらと
オステンブルク公爵であるお父様には、誰かしらが次から次へとひっきりなしに声をかけてくる。歓談の邪魔をしないようにと小さくなっているうちに、気が付けば私はお父様とはぐれ、一人になってしまった。
多くの人々でごった返すダンスホールはさまざまな臭いが入り混じって、馬車に酔った時のように気持ちが悪い。
新鮮な空気を吸えばよくなるかもしれないと、ふらふらと庭園にまろび出たものの、気分は悪くなる一方だった。
体調を崩し慣れている私にはよくわかる。これは具合が悪くなる寸前の兆候だ。
(……どうしよう……動けない……)
立っていることもできず、植栽の影にうずくまった時だった。
『──どうなさいましたか?』
大きな黒い影が私を守るように覆いかぶさる。暮れなずむ夕景の中に、渋くて低い声が心地よく響く。
『ご気分がすぐれないのですか?』
そう問いかけてきた大柄な男性は、見上げるような高い背丈と、全身が筋肉でできているようなたくましい体躯の持ち主だった。
『……大丈夫です。少し休めば、よくなります……』
そう答えはしたが、体に力が入らない。
立ち上がることもできずに座り込んでいると、男性はその場に片膝をつき、私に触れる許可を求めてきた。
見ず知らずの相手なのに、不思議と嫌だとは思わなかった。こんな大柄な男の人を目にしたのは生まれて初めてなのに、怖いとも少しも思わなかった。
静かにうなずくと、大きな手に軽々と抱き上げられる。
その瞬間、それまで感じていた苦しさが消えた。
広い肩幅は力強くて、厚い胸板は頼りがいがあって、まるで守られているような安心感を覚える。大股で力強く歩く振動さえも心地よくて、ずっとこうしていたい――と思ってしまった。
──恋はするものではなく、落ちるものなのよ。そう言っていたのはお母様だっただろうか。
恋心は抱こうと思って抱くものではない。まるで突然の罠に嵌まるみたいに、自分でも気が付いた時にはもう落ちているものなのだ──。
そう聞いた時はよくわからなかったけれど、今ならばよくわかる。
十六歳のあの日、私は恋に落ちた。
ヴィクトル様の屈強で雄々しい姿が瞼に焼き付いて、すっかり忘れられなくなってしまったのだ。
エリーゼお姉様からは「あの熊のような方が忘れられないの?」と驚かれたけれど、その通りだ。あの熊のような方が忘れられない。
幸いにもパーティーの後日、改めて我が家でもう一度会うことが叶い、ヴィクトル様は私にプロポーズをしてくれた。
後から聞いた話によると、初めて出会ったあの日、ヴィクトル様も私を抱き上げた時に、言葉では説明できないほどしっくりくる感覚を抱いたらしい。
「ずっとこうしていたい」と感じたのが私だけではなかったと知って、涙が出るほど嬉しかった。
ヴィクトル様はその後、遠征軍を率いて国境に出陣したのだが、晴れて凱旋を果たした時には、お顔には目立つ傷が深々と刻まれていた。
本人は「もともと見られる容姿ではなかったのにさらに凶悪な人相になってしまった」と嘆き、私に嫌われると恐れていたらしいが、嫌うわけがない。
ヴィクトル様の傷は勲章だ。むしろ迫力と威厳が増して、格好いいとさえ思っている。
そして私はヴィクトル様と結婚し、北方のリートベルクへと嫁いだ。
温暖なオステンブルク公爵領から、寒冷なリートベルク辺境伯領へ。環境はがらりと変わったけれど、辺境伯家の方々はとても親切で、城の人々はみんな優しかった。
豊かな自然の広がるリートベルクの地で、私は幸せな結婚生活を送った。
ヴィクトル様は私が慣れない土地で困っていないか、常に心を砕いてくれたし、すっかり私を抱えるのが癖になって、どこに行くにもさっと抱き上げて運んでくれた。
過保護だとは思うけれど、私もヴィクトル様に包まれているのが好きなので、ついつい甘えてしまう。
初めて出会った日に感じた「ずっとこうしていたい」は「いつまでもこうしていたい」に変わって、絶えず私の心を満たしてくれていた。
そして――今。
「……あっ!」
お腹の内側にポンッと衝撃が走る。私はぱっと顔を輝かせて、ヴィクトル様を見上げた。
「今、赤ちゃんが動きました」
「そうか!」
だいぶ目立つようになってきたお腹に触れると、またポンッと弾けるような胎動を感じた。
私の中にヴィクトル様の子が宿っている。編みかけの手袋を思い出しながら、私はお腹の膨らみを撫でた。
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