第47話 最初の記憶
"──親愛なるエリーゼ伯母様。
伯母様にあやかって、エリザベート、と娘に名付けたいと思っています──"
***
「……伯母様?」
リートベルク城の門前に停まった
その中から一人の貴婦人が現れた刹那、あたりの空気ががらりと一変した。
五十路が近いとはとても思えない美しさに、大輪の白薔薇のようなあでやかな気品。
「エリーゼ伯母様? どうしてここに?」
「君たちに会いに来たんだよ」
答えたのは、先に馬車を降りたリュディガーだった。誰もが振り返るような
「君が無事に出産したと聞いて、落ち着いたら会いに行こうと準備をしていたところだったのだが、日程の調整をしようとした時に君の手紙が届いて、そこからの母上はもう阿鼻叫喚の狂喜乱舞で……矢も盾もたまらず、取るものも取りあえず、早急に出発した……という経緯になる」
「なるほど」
後先など考えない、無謀にも近い強行軍だったらしい。
額を押さえるリュディガーの、エリーゼゆずりの端正な顔には、長旅の疲労がありありと浮かんでいる。
「不十分な支度では道中苦労することになる、と言ったのだが、母上は聞き入れなかった……。しかし、予想していたほどの難所はなかったな。道が見違えるように整備されていて、ずいぶん快適になったと感じた」
「ああ。ルカが尽力してくれたからな」
「街道の改築に着手したとは聞いていたが、驚くほど早いな。"金はすべてのドアを開く"というわけか。持つべきものは大富豪の夫だな」
「何とでも言え」
長年の懸念だった領内の交通網を、ルカの潤沢な資産が解決してくれているのは事実だ。
金があればあらゆるドアを開くことができるように、大抵のことは財力で何とかなる。気前よく大盤ぶるまいしてくれたルカには感謝しかない。
「アレクシア。手紙は読んだわ。本気なの……?」
「はい」
エリーゼが問い、アレクシアはうなずいた。
「娘はエリーゼ伯母様にちなんで、エリザベート、と名付けたいと考えています」
「まぁまぁまぁ気を遣わなくていいのよ私の名前なんて別にそんな……」
エリーゼは謙虚に首を振りながら、アレクシアの手をしっかりとにぎった。
「ところでエリザベートちゃんの洗礼式はいつ? いいのよ、いつでもいいの。何があっても行くだけですから」
「落ち着いてください母上」
浮き足立つ母に、
とにかく立ち話もなんだからと、エリーゼとリュディガーは城内へ通された。
エリーゼの
「エリーゼ様、リュディガー殿下。ようこそお越しくださいました」
娘を寝かしつけたばかりのルカが、折り目正しく礼を取る。ヴィクトルも道を開けて、ベビーベッドを示した。
「エリーゼ様。この子がルイーゼの孫です」
「……ルイーゼの……」
「はい。目も髪もルイーゼと同じ色です。よく似ているでしょう?」
そう促されて、前に進み見た瞬間。
エリーゼの中に、人生で一番最初の記憶が鮮明によみがえってきた。
淡い朝の光がさしこむ窓辺。
可愛らしいレースが縁取りされた小さなベッドの中。
純白のベビードレスに包まれて、人形のように小さな赤ちゃんが眠っている。
「……!」
まだごく細い金色の髪が、陽光をまとってきらきらと輝いている。
エリーゼが身じろぎもせずに見入っていると、赤子はうっすらと目を開けた。
泣くこともなくじっとエリーゼを見上げる二つの瞳は、あの日見たのと同じ色。
空よりももっと透き通った、きれいな青だった。
「なんて……かわいいの……」
真珠のような涙がエリーゼの頬をぽろぽろとつたって、真新しいベビードレスの裾に落ちた
「ルイーゼが……あの子が祖母になったのね……」
エリーゼのたった一人の妹は、永遠に若いままで時を止めた。
二歳差だったはずの姉妹は、どんどんと年齢が開いていった。
けれどどんなに月日が経っても、生まれたばかりの小さなルイーゼを、病弱だった幼いルイーゼを、恋をした乙女のルイーゼを、まだこんなにも心が覚えている。
ルイーゼは恋した相手と夫婦になり、親になり、そして祖父母になったのだ。
あの子の人生は幕を閉じたけれど、血は受け継がれている。
遠い過去の記憶に、目の前の現実が重なっていく。幸福な既視感に、涙がとめどなく流れて止まらない。
「はじめまして、エリザベートちゃん。生まれてきてくれて……ありがとう」
エリーゼが愛おしそうにささやくと、生まれて初めて名前を呼ばれたエリザベートは、あどけない青眼をまたたかせた。
***
妹の孫娘にすっかり魅入られたエリーゼは、「本当に来てよかったわ……」としみじみしながら、暇さえあればエリザベートを抱いて過ごした。
若作りしているわけでもないのに老いを感じさせない、若々しい美貌を持つエリーゼは、同じプラチナブロンドの髪色もあいまって、エリザベートと一緒にいるとまるで母子のようにも見える。
「女の子は本当に柔らかいのね。ふわふわで天使みたいだわ」
エリーゼは幸せそうに赤ん坊を見つめ、彼女にとって祖母にあたるルイーゼの昔話を語って聞かせていた。
ヴィクトルに息子がいなかったように、エリーゼにも娘がいない。
しかし今、目の前にはルイーゼの血を引き、エリーゼの類名を持つ女の子がいる。
大伯母の感激はひとしおで、いくら愛でても愛で足りなかった。
「先ほど話に出た洗礼式ですが、三日後に城下の教会で行う予定です。エリーゼ伯母様に代母をお願いしたいのですが、それまでこの城にご滞在いただくことは可能でしょうか?」
「もちろんよ。喜んで務めさせてもらうわ」
アレクシアに言われ、エリーゼはすぐに快諾した。
代父母とは教会で行われる洗礼式に立ち会う者のことである。生まれた子が男児なら男性が代父を、女児なら女性が代母を務める。
代父母は式の間の単なる付き添い人ではなく、その子に神の恵みと
「ですが母上、まもなく父上の誕生日の宴が……」
「欠席に決まっているでしょう。そんな毎年あるものどうでもいいわ! エリザベートちゃんの洗礼式は一生に一度です!」
「どうでもいい……」
ばっさりと言われた父に、リュディガーは内心同情した。
リュディガーの父フランツは仮にもこの国の国王なのだが、息子目線で見ると、私生活では情けない場面が少なくない。
昔も今もフランツはエリーゼに夢中なのに、エリーゼはフランツに十回熱烈に愛を告げられて、やっと一回返すかどうか、というレベルだ。
何ならフランツと過ごすよりもマルグレーテ王妃と過ごしている方がエリーゼは楽しそうで、父上は報われないな……と思ってしまう。
多くの国民が王妃と側妃は仲が悪いものと思い込んでいるようだが、実際はそんなことはない。
マルグレーテ王妃と母は父をめぐって争うライバルでもなんでもなく、気の合う長年の友人である。
とはいえ、母のつれないところが父を飽きさせない要因でもあるらしい。多分、父は追いかける恋が好きなのだろう。
(父上……頑張ってください……)
母が誕生日の宴にも帰ってこないと知ってしょんぼりするだろう父に、リュディガーは哀れみの目を向けることしかできなかった。
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