第39話 賭け

 やがて季節がひとつ移り変わる頃。ようやくアレクシアの体調も上向きになってきた。


 少しずつ起き上がれるようになり、日ごとに食べられるものが増え、徐々に以前のような生活を送れるほど快復してきたのだが、それはそれでルカの心配性は加速した。


「本当に大丈夫!? 無理しないでね!」


 少しでも重いものを持とうとすれば「僕が持つから!」と奪われる。


 少しでもならされていない道を歩こうとすれば「転んだら危ないから!」と横抱きにされて運ばれる。


 いつの間にか城中はあちこちが修繕され、廊下には厚い絨毯が敷きつめられ、階段以外の段差はことごとく埋め立てられていた。アレクシアの行く手には小石ひとつ残さない勢いである。


 気持ちはありがたいのだが、過保護すぎる。


 一挙手一投足に気を遣われているのが痛いほど伝わってきて、少々窮屈ですらあった。

 

「……心配されすぎていてつらい」


 愚痴なのだか惚気なのだかわからない悩みをこぼしたアレクシアに、ブリギッタはしわの広がる目元をすがめた。


「思う存分、心配させてさしあげてはいかがですか?」

「え?」

「好きなだけ悩ませておけばよろしいのです。男は妊娠も出産もできないのですから、せいぜい思いきり悩んで心配して気遣うくらいでちょうどいいのです」

「……」


 人生の大先輩であるブリギッタに、異を唱えることなどできない。アレクシアはあいまいにうなずいた。


「悩むのは悪いことではありません。無関心よりはよほどましです。ルカ様はお嬢様をこの世で一番大切に思っておられるのですから、この大事な時期には神経質にもなるでしょう」


 そういうものか……と納得しつつ、アレクシアは散歩がてら、久しぶりにリートベルク騎士団の駐屯地へと足を伸ばした。


 山を切り拓いて建つ広大な練武場には、屈強な男たちの汗がほとばしり、むんむんとした熱気がむさ苦しく立ち込めている。


 隣接する兵舎の中では、騎士のユリウスとクラウスとマリウスが、生まれてくる子供の性別をめぐって賭けに興じていた。


「絶っっ対、男! お嬢はあんなに雄々しいんだぞ? あれは男しか産まねーって!」


 ユリウスはそう自信満々に言い放ち、つかんだ銀貨を机に叩きつけたが、クラウスはうーんと首をひねった。


「それを言うならルカ様は女の子のパパって感じなんだよなー。俺は女に賭けるぜ!」


 クラウスが同額の銀貨をじゃらじゃら鳴らしながら卓上に投げると、マリウスが「甘いな、おまえら……」とにやにや含み笑った。


「男女の双子だ!」


 マリウスは二分した賭け金をぴったり同じ高さに積み上げて、ずいっとさし出す。


「その手があったか~!」

「ルカ様、器用に仕込みそうだもんな~!」


 ユリウスとクラウスが同時に膝を打った瞬間、頭上から聞き覚えのある声が降った。


「久しぶりだな。三人とも」


 ユリウスとクラウスとマリウスは一瞬にして凍りつき、こわごわと震えながら振り返った。


「お……お嬢……」

「げ、元気になったんすね……」

「よ、よかったぁ……」


 獰猛どうもうな風体をした騎士たちが、一瞬にして借りてきた猫のように小さくなる。


 アレクシアは腕組みをしたまま、ちらりと背後に視線をやった。


「ニコラウス、少し見ない間に風紀がたるんだようだが」

「申し訳ございません、お嬢様……」


 深々と謝ったのは騎士団長のニコラウス。


 ニコラウスは岩のような拳をわなわなとにぎりしめた。


「おまえたち……騎士団内での賭け事は禁止だと、あれほど……!」


 ひいぃっとすくみあがったユリウスとクラウスとマリウスの頭に鉄拳を一発ずつ、三連続で落として、ニコラウスは額に青筋を浮かべた。


「追加訓練だ! 表に出ろ!!」


 野太い悲鳴が、断末魔のようにあたりにこだました。




***




「もう、仕方のない方々ですわねぇ」


 そんな騎士たちの顛末てんまつを聞いて、マリーは夕食の給仕をしながらくすくすと笑った。


「でも、マリウスさんが言うように本当に双子の可能性だってありますわよ。お嬢様のご親戚には双子のご令嬢がいらっしゃいましたよね?」

「ああ、従妹たちが双子だ」


 アレクシアの母方の叔父シュテファンには、双子の娘たちがいる。


 クリスティーナ・シュテファニー・オステンブルク

 クリスティーネ・シュテファニー・オステンブルク


 間違い探しではない。本当にこの名だ。


 名前も誤差のようにそっくりなら、外見も性格も言動も瓜二つの姉妹である。


 親族に双子がいるのだし、アレクシアの子だって双子でもおかしくはない。マリーがそう言うと、ルカとヴィクトルは舞い上がった。


「ふ、双子だったらどうしましょう義父上……!」

「どうしようルカ君……!」


 婿と義父は手と手を取り、見つめあう。


「幸せが倍……!?」

「天使が二人……!?」


 目を輝かせてほっこりする二人だったが、マリーからは冷静な意見が浴びせられる。


「でも双子はすごく大変ですわよ。お腹も信じられないくらい大きくて重たくなりますし、出産もさらに命がけになります」

「そうだろうな……」


 アレクシアは深くうなずいた。


 体の中で子供を育てることは母体にとても負担がかかるのだと、身をもって痛感しているところだ。多胎妊娠など想像を絶する。


「オステンブルク公爵夫人もきっと大変だったと思いますわ。平民より手厚い医療は受けられたはずですが、どんな名医がついていても産みの苦しみは変わりませんもの」


 マリーが言い、ルカは暗い顔で目を伏せた。


「……」


 思いつめたような、かげのある面持ちだった。




***



 食後、夫婦の寝室で二人きりになってからも、ルカの表情は晴れなかった。


「また足が浮腫むくんでいるみたいだから、マッサージしてもいい?」

「いや、自分でやるから……」

「僕がやりたいんだ」


 妊娠してからやたらと浮腫みやすくなったのだが、ルカはいつも察してまめに揉んでくれる。


 丁寧に手でほぐされるのは気持ちがいいし、腹がつかえて自分では揉みづらくなってきたので、素直にお願いすることにした。


「そういえば、ルカは性別の希望はあるのか?」

「僕?」


 ユリウスとクラウスとマリウスは子供の性別を賭けの種にしていたが、ルカからは男がいいとも女がいいとも言われたことがない。


「僕はどっちでもいい! 君と赤ちゃんが無事なら、どっちでも本当に最っ高に嬉しいよ!」


 迷いなく言い切った答えに、アレクシアの頬がゆるんだ。


「そうだな。私もそう思う」


 ルカはさらに一息ワンブレスで語る。


「性別の希望はないけれど……強いて言えば、君に似て黒髪で君に似て青い瞳で君に似て強くて凛々しくて格好よくて何から何まで君そっくりな子だったら嬉しいです」

「強いて言えばが長い」


 全面的にアレクシアに似た子であってほしいと望むルカは、自分の要素はいらないらしい。






──────────────

読んでいただきありがとうございます!


もう出産回は予約投稿済みですが

ユリウス案→男

クラウス案→女

マリウス案→双子

どれか予想しながら読んでいただけたら嬉しいです!

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