第37話 ポメス
はるばる隣国のグルナートまで行って買いつけてきた
つわり中のアレクシアが食べられる貴重な食材だったのだが、これからの季節はもう手に入らない。
「つわりは人によって本当に千差万別ですので……これなら絶対に食べられると保証できるものはないのですが……」
ルカから相談を持ちかけられたマリーは首をひねりつつ、記憶をたどりながら言った。
「なぜか多くの妊婦が食べられると評判の料理が、あるにはありま──」
「教えてください!!!」
ルカは食い気味に詰め寄った。
そんな魔法のような食べ物があるのならぜひとも知りたい。
「"ポメス"です」
「えっ……?」
意外な答えに、ルカは目をまん丸くする。
「ポメスって……あの……?」
「はい、あのポメスです」
「あれが……? 本当に……?」
半信半疑ではあるものの、何事もやってみなくてはわからない。
「わかった! すぐ作ってみる!」
「ええ。ダメでもともとですわ」
ルカはさっそく貯蔵庫に直行し、大きな木箱を肩にかついで厨房に戻ってきた。
木箱を開ければ、中に詰まっているのは大小さまざまな芋、芋、芋。
ナイフで芋の皮を剥き、芽を丁寧に取り除き、均一な細さに切って水にさらす。
水気をふき取ってから、薄く小麦粉をまぶす。鍋に油を張って、高温になったところに芋を投入。きつねの毛皮のような色になるまでじっくりと揚げれば、ポメスの完成だ。
「できた……!」
ポメスとは略称で、正確には「
揚げた芋――つまり、フライドポテトのことである。
こんがりと揚がったポメスをながめつつ、これが本当に妊婦向きの食べ物なのかと、ルカは疑問を抱かずにはいられない。
「本当にいいのかな……? 油を使っているけれど、気持ち悪くならない……?」
ポメスはトマトやナッツを潰して作ったソースをディップして食べることが多いのだが、今回はあえて塩胡椒だけの味付けにした。冷めないうちにと、急いでアレクシアの元に運ぶ。
「食べられなかったら、無理しなくていいからね」
そう念を押したが、アレクシアはポメスの匂いにも気分が悪くなる様子はなかった。一本つまんで、口に入れてみる。
「うん、美味しい」
「本当?!」
熱々のポメスは芋のうまみがぎゅっと詰まっていた。ほくほくの食感も後を引くし、塩気がきいているのも美味しく感じられて、二本、三本と手が伸びる。
「よかったですわ!」
マリーも手を叩いて喜んだ。
「どうしてなのかわかりませんが、庶民の間でも『つわりが酷い時でもポメスだけは食べられる』と評判なのですよ」
マリーは今は城内に住み込んで働いているが、以前は城下に広がる町に暮らしていた。となり近所の女たちはお互いに助けあうのが当たり前で、マリーもたくさんの妊産婦の手助けをしてきたし、自身が二人の子供を出産した時も何かと協力してもらったのだという。
「体調には本当に個人差があるのですわ。お嬢様のように悩む妊婦も少なくはありませんでした」
まったくつわりがなく普段通り動ける女性もいる一方、水すら受け付けなくなって衰弱する女性もいる。
同一人物でも妊娠のたびに症状は異なる。一人目のつわりが軽くても二人目は重い場合もあるし、その逆もある。
マリーも息子のエミールを妊娠した時はそれほど不調を感じなかったのに、娘のリリーを妊娠した時は重いつわりに悩まされたらしい。どういう理屈なのかはわからないし、そんなの妊婦本人が一番聞きたい。
そんなマリーの体験談を聞きながら、アレクシアは何とか一皿分を完食することができた。
「よかったあぁぁ……!!!」
大いに安堵したその日から、ルカは少しでも美味しいポメスを作ろうと、真剣に研究を重ねた。
まず、芋は細めのスティック状に切る。
水にさらす時間は長く取る。芋を水に漬けておくと、でんぷんが徐々に溶け出すからだ。時間をかけてでんぷんを抜いた芋は、粘度が減って口あたりがさっぱりする。
芋にまぶす粉は、小麦粉から薄力粉に変更。
揚げる時はいきなり高温の油に投入するのではなく、まずは常温の油の中に芋を沈めてから火をつける。
じっくりと加熱していったらいったん芋を取り出し、鍋の油の温度を上げてから再び投入する。高温で二度揚げすることで表面はカリっと、中はふんわりほくほくと仕上がるのだ。
「これはもう達人の域ですねぇ……」
「ルカ様、お店を出せますよ!」
急速に進化を遂げるポメスを、料理人のヨハンとハンスも口々に褒めてくれた。
「美味しすぎて手が止まりませんっ!」
ハンスは頬の中いっぱいに詰め込んでもぐもぐはぐはぐしている。リスのようである。
「料理というほどのものじゃないんだけど……」
ルカはそう謙遜したが、アレクシアは心から感謝した。
「いや、本当に助かる」
飲み物は水さえ辛かったが、柑橘を絞って少量の砂糖と塩を加えたものなら口にできた。
日に日に洗練されていくポメスと、ルカが欠かさず作っておいてくれる柑橘水で、何とか命をつないでいる状況だ。
「ありがとう。してもらってばかりですまない」
「このくらい何でもないよ。君がしてくれていることに比べたら全然足りないから!」
慣れない不調に苦しみ、いつ終わるともわからないつわりに耐えているのはどんなにか辛いだろうと、ルカは胸を痛める。
「君の苦しみを分かちあいたい。いや、つわりを肩代わりすることもできないのに、分かちあうなんて傲慢なんだけど……」
「そんなことはない」
アレクシアはかぶりを振った。
たしかに妊娠は交代できない。男はつわりの辛さを味わえないし、いずれ出産の時を迎えても陣痛の苦しみも体感することはない。
だが、大切なのは経験できるかどうかではなく、寄り添ってくれるかどうかなのではないだろうか。
「ルカは私を思いやってくれる。それが嬉しい」
もしも「妊娠は病気じゃないのに大げさだ」とか言うような夫だったら、アレクシアは逆に元気が出たかもしれない。ぶん殴りたいという意味で。
もしも「つわりなんて気のせいだ。自分の体調管理くらいしっかりしろ」とか言うような夫だったら、暴力も辞さなかったかもしれない。「おまえの存在を気のせいにしてやろうか」という意味で。
いずれにしても夫への愛情は冷めるし、そんな男の子供は二度と妊娠したくないと思うことだろう。
自分の身に起こる症状ではないからとつわりを軽視する男もいれば、体験できないからこそ心配していたわってくれる男もいる。ルカが後者で本当によかった。
この国には「愛は胃を通る」ということわざがある。
その意味が、今のアレクシアにはしみじみと腑に落ちる。
夫が心配して、考えて、行動してくれることが嬉しい。アレクシアのために悩んで、努力して、試行錯誤してくれることが心強い。
ルカの優しくてまっすぐな愛情が胃を通って、体じゅうに染みわたるような、そんな心地がした。
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