第30話 御前会議③

 今日も今日とて、王宮の副官の部屋アトユタンテンツィンマーは塵ひとつなく、きらびやかに整えられていた。


 登城したアレクシアを待ちかまえていたのはアーレンブルク公爵。恰幅かっぷくのいい体格を奮然と揺らしながら、今日こそはと手ぐすねを引いている。


「いつまでもテュルキス王国の後塵こうじんを拝しているわけにはいかない。今こそ積極的に撃って出るべきなのだ!]


 アーレンブルク公はこの富国強兵策こそがいかに国を豊かにし、民を潤すかを演説のごとく高らかに述べた。


「ここで起たぬとあれば、護国を司る辺境伯としての本分に背くに等しかろう! 貴様も協力を誓わない限り、領地には帰れぬものと思え!」

「お断りします」


 威嚇いかくするように詰め寄り、凄みをきかせて脅しつけたにも関わらず、アレクシアはいささかも動じなかった。


「挙兵には同意しませんし、領地にも戻ります。公爵の許可はいりません」

「この……れ者が!」


 アーレンブルク公爵は女に口答えされることに慣れていない。太りじしの体をわなわなと震わせながら、鷲鼻を怒りにふくらませた。


「貴様では話にならん! やはり女には当主はおろか、代理さえまともに務まらんのだな! これほど懇切丁寧に教えてやっているというのに、なぜ従順にと言えんのだ!?」

「妊娠したからです」

「は……?」


 アーレンブルク公爵は虚をつかれた顔をした。


「この開戦策は軽慮浅謀けいりょせんぼうでしかなく、到底承服できません。私は妊娠しているので、領地に帰らせていただきます」

「な……な……な!」


 ふざけるな、とアーレンブルク公爵が怒鳴りつけるよりも前に、ぱあっと明るい声が咲いた。


「おめでとう! アレクシア!」


 顔を明るく輝かせたのは、オステンブルク公爵シュテファンである。席を立ち、手を広げてアレクシアの元へ駆け寄ってくる。

 

「なんていい知らせなんだ! 早くシュテファニーや子供たちにも伝えたいよ。みんなとても喜ぶだろうな。ああ……ルイーゼ姉上に孫ができるのか……。姉上が生きていらしたらどんなにか……」

「内輪の話は後にしていただきたい! オステンブルク公爵!」


 二日続けて同じ注意事項を叫ぶことになったアーレンブルク公爵は、いらいらと怒りを燃えたぎらせた。


「ふざけるな! このような時に妊娠など非常識ではないか!」

「このような時とおっしゃいますが、ではいつならばよろしいのですか?」


 アレクシアに問い返されるとは思わなかったのか、アーレンブルク公爵はぐっと答えに詰まった。


 今は平時だ。戦時中ではない。諸外国との関係に懸念は尽きず、開戦を議論してはいるが、採択も可決もしていない。


 アーレンブルク公爵がさらに怒りに任せて恫喝を重ねようとした時。静かな声が発せられた。


「――私もオステンブルク公爵と同意見だ」


 一瞬にしてピリッとした緊張が走ったのは、この場が「御前会議」であり、同意見だ、と述べたのが「御前」その人であったからである。


 フランツ・カール・ペルレブルク。


 この部屋に設置された席で、もっとも上位にあたる最奥の椅子。


 登った太陽をちょうど後背に負うような形で、白い熙光きこうに照らし出されながら、国王はゆるりと相好を崩した。


「私もリートベルク辺境伯に孫ができるのかと思うと感慨深いぞ。彼はかつて私が王太子であった時代、戦場でこの命を救ってくれた男なのでな」


 先の戦争の折、王太子であったフランツは王冠を継ぐ者の責務として、戦場にも参加した。


 自ら武器を取って参戦したわけはなく、本営の中で指揮を執る立場ではあったものの、数で圧倒的に勝るテュルキス王国の大軍はしばしばペルレス王国側の本陣さえも脅かした。


 フランツ自身もあわや間一髪というところを、ヴィクトルの活躍によって救われたのだ。


「リートベルク辺境伯は一騎当千、剛力無双の猛者であったが、決して好戦的な猪武者いのむしゃではなかった。彼の勇猛果敢な血を継ぐ者が増えることは、私にとっても喜ばしい」


 そう思うがゆえに、フランツはかつて妻に先立たれたヴィクトルに対して、後妻を迎えてはどうかと提案したこともある。


 彼からははっきりと断られたが、今にして思えば無用の世話であり、無神経ですらあった。


 ヴィクトルが愛しているのは今も亡き奥方ひとりだけなのだろう。彼の妻はフランツが愛してやまないエリーゼの妹であったことを思えば、 その気持ちにも共感できる。


「しかし、陛下!」

「そなたの愛国心はわかっておる。アーレンブルク公爵」


 アーレンブルク公爵の手腕は強引ではあるが、軍事力を強化し、自国の経済を発展させて財政を豊かにしようという発想自体は間違っていない。取り入れるべき部分もあると、フランツも理解している。


「しかし、私はもうあの戦場に立ちたくはない。息子たちにあの惨状を見せたいとも思わない」


 “戦争は他に任せよB e l l a g e r a n t a l i i”、と国王はおごそかにささやいた。この国に伝わる古い箴言しんげんの一節である。


 フランツは白いものの入り混じったライトブロンドの髪を揺らして顔を上げた。王家に代々受け継がれる緑の瞳が、しみじみとアレクシアを見下ろす。


「リートベルク辺境伯令嬢、心より寿がせてもらおう。エリーゼもさぞ喜ぶことだろう」

「ありがとうございます。国王陛下」


 アーレンブルク公爵はギリッとほぞを噛んだ。

 

「エリーゼ妃……!」


 国王が若き日より恋焦がれ、何年も求愛し続け、今なお寵愛してやまないと言われるエリーゼ妃はオステンブルク公爵家の出だ。現当主シュテファンにとっては姉に、この生意気な辺境伯令嬢にとっては伯母にあたる。


「くっ……"オステン"め……!」


 オステンブルクの人間は代々おっとりとした性格で権力欲も薄いくせに、やけに美形に生まれる者が多く、おかげで権力者に愛されて恵まれた地位にいる。たいした能もない分際でと思うと、腹立たしくて仕方ない。


「野蛮な"ベルク"の小娘が……! 覚えていろ……!」


 数ある辺境伯家の中でも屈指の軍事力を誇るリートベルクが出兵を拒み、アーレンブルク公爵の野望の出鼻をくじいた。


 国王もそれを受諾したばかりか、祝福さえしているこの現状が、なおのこと公爵の怒りに火に油を注がずにはいられなかった。

 



***



「お嬢様!」


 解放されて外へと出ると、モニカがはじかれたように駆け寄ってきた。アレクシアを心配して、ずっと近くで待機していたらしい。


「お嬢様、ご体調は大丈夫ですか?」

「うん、心配いらない。国王陛下も帰領をお許しくださった」

「よかったですこと!」


 モニカはほっとしたように手を打った。


「荷物はもうまとめてありますし、馬車と御者の手配もできています。いつでも出立できますわ」


 モニカはすでに準備を済ませ、各所にも連絡を取って、立つ鳥跡を濁さないようにしておいてくれたらしい。さすが、仕事ができる。


「お嬢様のお体に障らないよう、無理のない行程で帰りましょう。休憩は多めに取ることにしましょうね」

「ああ」


 帰領のめどが立つと、思い出されるのはルカの顔だった。


 早く会いたい――とアレクシアは心から思った。早くルカに会って、直接伝えたい。


「リートベルク辺境伯令嬢。お待ちください」


 引き上げようとした二人を呼び止めたのは、王宮に仕える侍従だった。


「後宮より危急の招集でございます」

「後宮?」


 アレクシアは首をかしげた。


「どなたのお召しだ?」


 侍従はウェストコートの胸に手を当てて、礼儀正しく頭を下げた。


「――ベアトリス王太子妃殿下でいらっしゃいます」

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