【本編】新しい家族編

第25話 軍服

 飆風ひょうふうが吹いていた。


 山の中腹で生まれた風が、にわかに烈しくうなりながら吹き下ろしてくる。湧きあがる黒雲は山よりも高く、辻風はくるくると旋毛つむじを巻いていた。


 まるで風雲急を告げるかのような、不穏な空気のたちこめる空の下。


 身支度を終えたアレクシアは、首元のバッジの向きを直しながら振り返った。

 

「……どうだろうか?」


 黒に近い濃紺の生地には、金色のバイピングがほどこされている。房を垂らした肩章は厳めしく、詰襟つめえりまできっちりとぼたんで留めてあった。

 

 アレクシアは背が高いので、着丈は長くあつらえてある。タイトに絞られたウェストは彼女のしなやかな体型にぴったりと合い、すらりとした縦のシルエットは長い足をさらに引き立たせていた。


 軍服姿のアレクシアを前に、ルカが天に召されかけたのは言うまでもない。


「かっ……こ……いい……っ!!!」


 息も絶え絶えである。


 鼻血が出る寸前らしく顔を押さえて上を向いているのに、ルカの視線はアレクシアからまったく反れない。人体の構造として謎である。


「いい……すごく……いいです……! 良すぎるうぅ……!!」


 軍服の腰にはベルトが通され、剣をけるようになっている。


 露出はきわめて少なく、むしろ物騒な格好なのに、摂取できる栄養が許容量を超えていて、ルカはただ天を仰いだ。


「……すき……最の高……!」

「大丈夫か?」


 うわごとのように悶えるのを案じてアレクシアが手をさし出すと、ルカはすかさずぎゅっと彼女を抱きしめた。


「……しわになるだろう?」

「ならないようにするから! 気を付けるから!」


 強めに誓いながら、ルカは添えた手に力を込める。


 何しろしばらく離れ離れになるのだ。一分一秒さえ惜しい。彼女の存在を、吐息を、香りを、少しでも長く近くで感じていたい。




 アレクシアの父であるヴィクトルが、強面こわもての顔をさらに苦々しくしかめて、王都から届いた召集状を睨んでいたのは、数日前のことだった。


 御前会議を設置する旨を記したその通牒は、リートベルク辺境伯家に対しても会議への出席を求めるものだ。


 公的な通達であるあかしとして、王家の印璽いんじがいかめしくられてはいたが、主唱者が別の人物であることは予測がついていた。


「アーレンブルク公爵がお怒りのようだな」

「アーレンブルク公が?」


 問い返す娘にうなずいて、ヴィクトルは半ばあきれたように言った。

 

「公が四大公爵の地位に固執していることは知っていたが……。上位貴族を招集して御前会議を主導しようとは、ずいぶんと功に焦っているようだ……」


 かつてこの国には東西南北の名を冠した四つの公爵家が存在し、四大公爵と呼ばれていた。


 いずれの家もブルクの付く姓を持つ、由緒正しい上位貴族であったが、歴史の趨勢すうせいが公爵家さえも容赦なく淘汰とうたした結果、「西」と「南」の公爵家はすでに没落している。


 現在まで残っているのは「北」ノルデン「東」オステンの二家のみだ。


 中でもノルデンブルク公爵家は傑出した繁栄を誇り、筆頭公爵として名を馳せている。


 現王妃マルグレーテの実家であり、王太子エドガーの外戚でもあるノルデンブルク家は、押しも押されもしない貴族階級の頂点である。


「北」に続く名家とされているのが、「東」のオステンブルク公爵家。アレクシアの亡き母ルイーゼの生家であるため、アレクシアにもこの家の血が流れている。


 そして近年「北」と「東」の二家をしのぐほどに台頭し、急激にのし上がってきたのがアーレンブルク公爵だ。


 強引ともいえる手腕でめざましい成長を遂げてきたアーレンブルク家だが、三年ほど前、さらに大きく飛躍するきっかけがあった。


 閨閥けいばつだ。

 アーレンブルク公爵の娘ベアトリスが、王太子妃に内定したのである。


 現在の王妃であるマルグレーテは、当代のノルデンブルク公爵の令嬢。


 また国王の寵愛深いと言われる側妃エリーゼは、先代のオステンブルク公爵の令嬢だ。


「北」と「東」の娘がそれぞれ現国王の妃となっている以上、近親結婚を回避するためにも、次期国王の妃は他の公爵家の令嬢が望ましい――。


 そう強固に主張し、なりふりかまわない攻勢をかけてアーレンブルク公爵が娘をねじこんだ結果、ベアトリスは晴れて王太子エドガーの妻に収まったのである。


 それから三年。

 公爵の皮算用では、そろそろ王子の一人も誕生し、アーレンブルク家の権勢はさらに高まっている……はずだったのだが、あいにくとその兆候はなかった。


 焦燥に駆られているのか、気が先走っているのか。アーレンブルク公爵はさらなる強硬策に打って出た。


 先の戦争以降、膠着こうちゃく状態を保っている隣国テュルキス王国との関係について、強気の開戦論を唱え始めたのである。


 アーレンブルク公爵はかねてより富国強兵を声高に主張している。軍事力の強化によって経済を発展させ、この国をさらに豊かにしようというのが公爵の自論だ。


 そして仮に二国間の均衡が崩れ、紛争が起こった場合、最前線となるのはリートベルクである。


 この辺境の地に頑強な城塞が設けられ、監督者として辺境伯が派遣されているのは、まさにテュルキス王国の侵攻に備えて国境防衛の任を託されているからに他ならない。


 リートベルクの参戦なしに、戦の火蓋を切って落とすことはできない。


 アーレンブルク公爵もそれを理解しているからこそ、わざわざ大仰な会議を招集して、辺境伯を首都に呼びつけたのだ。


 格上の貴族で取り囲み、否が応でもだくと言わせようとの算段なのだろう。


 ヴィクトルは薄く笑った。


「アーレンブルク公は四大公爵の座を渇求かっきゅうしているのだ。いくら地位が空いても、座らせてもらえぬままなのだからな」


 かつて四大公爵とうたわれた、東西南北の名を冠する公爵家。


 そのうち「西」と「南」はすでに表舞台から姿を消した。にも関わらず、四大公爵と言えば未だにその四家をさす。


 アーレンブルク公爵がいかに成功を収め、家名を高めても、家格はいつまでも四家より下とされている。それが相当に不服らしい。


 公爵は自身こそが新たな四大公爵に収まり、いずれは「北」を踏み越えて筆頭の座に就かんと、そう虎視眈々と狙っているのだ。


「公のつまらん我欲を満たしてやる必要などない。体よく断ってこい」

「わかりました」


 ヴィクトルが命じ、アレクシアが承知する。


 当主であるヴィクトル自身が出向かないのは、はなから開戦に同意する気がないためでもあるが、後継者であるアレクシアに場数を踏ませるためでもある。


 華やかなパーティーに参列するわけではないので、服装はドレスではなく軍服を選んだ。


 女らしくない、色気のない装い……なのだが、なぜかルカからはたいへん興奮され、盛大に絶賛されている……というのが今現在の状況である。


「やっぱり、僕も一緒に……!」

「いや。ルカにはここにいてほしい」


 心配そうに見つめるルカを見返して、アレクシアは頼んだ。


 ルカを残していくことに不安はまったくない。


 彼はこの城の人々から全幅の信頼を得て、すっかり気心の知れた関係を築いている。


 仮にアレクシアの不在中に不測の事態が起こったとしても、周囲と協力して適切に対応してくれることだろう。


 そう信じられる存在がいるのは、心強くて頼もしい。


「留守を任せられる夫で助かる。よろしく頼む」

「うっ……!」


 大好きな妻と片時も離れたくない本能と、彼女に頼まれたことは何としても守りたい理性に引き裂かれて、ルカは苦悩した。

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