第20話 くまのぬいぐるみ③

 やがて終戦を記念した祝賀会が、王宮を舞台にして大々的に開かれた。


 社交パーティーとは異なり、この祝賀会には異性のパートナーを伴わなくても問題はない。私は尻込みするルイーゼを引っ張って出席した。


 目的はただひとつ。ヴィクトル様に会うことだ。


 ヴィクトル様は勝利の立役者。この会には必ず出席するはず。


 うちのルイーゼに求婚しておいて未だに音さたなしとはどういう了見かと、会場でとっ捕まえて直接問い詰めようとの算段である。


 王冠を模した巨大なシャンデリアにはきらびやかなあかりが灯され、広い大広間を明るく照らし出している。漆喰細工の壁には金の燭台が並べられて、まるで満天の星を散りばめたような幻想的な光を投げかけていた。


 こんな華やかな催しは久しぶりだ。


 まるで長い間立ち込めていた冬の暗雲が去り、花芽萌ゆる春が来たかのような晴れがましい宴に、参列した貴族たちはみんな雀躍と浮き足立っていた。


 国王陛下にかわって壇上に進み出たのは、王太子フランツ様。


「紹介しよう。この戦争の英雄――先日の遠征で、私の命を救ってくれた男だ」


 フランツ様は陛下の命を受け、王太子の責務として戦場にも出向いていた。その際に幾度となくヴィクトル様に身を挺して守られ、命を救われたのだという。


 会場のあちこちから、ヴィクトル様を称賛する声が聞こえた。


 辺境の野蛮人、リートベルクの野獣と畏怖されていた武骨な軍人は一躍、勝利の立役者としてまつり上げられている。


 しかし、王太子に促されて登壇したヴィクトル様の顔を見て、貴族たちは愕然とどよめいた。


「え……!」

「まぁ……!」

「あれは……!?」


 ヴィクトル様の顔には、目を疑うほど大きな傷が走っていたのだ。傷痕は見るからに深く、額から眉間を通って、頬まで切り裂いている。


 目をおおいたくなるほど痛々しい刀傷に、貴族たちは恐れおののいて後ずさった。ルイーゼも私のとなりで息を飲んでいる。


 ――もしかして、と私は目をまたたいた。

 

 もしかして、ヴィクトル様はこの傷を気にしていたの?


 体の傷ならばともかく、顔の傷は隠せない。一目瞭然だ。


 もともと人よりも恐ろしい風貌に加えて、顔に目立つ傷まで負ったから……だから今までルイーゼに会いに来ようとしなかったのだろうか?


 ヴィクトル様は武功をねぎらう声を一身に浴びながらも、手短に礼だけをして壇上を辞した。


 華やかな場から遠ざかっていくヴィクトル様を、ルイーゼははじかれたように追いかける。


「ヴィクトル様!」

「……ルイーゼ様……」


 呼び止められたヴィクトル様は、まるで熊が矢に射抜かれたような顔をした。


「良かった……ご無事にお帰りになって……何よりです」


 言うルイーゼの目もとに、安堵の色と涙が同時に浮かぶ。


「……命は拾いましたが、見ての通りさらに凶悪な人相になってしまいました」


──元より見られる見た目ではありませんでしたが、と自嘲しながら、ヴィクトル様は雄々しいかぶりを悲しそうに振った。


「このような見苦しい顔で、美しく清らかなあなたを望むことなどでき……」

「ヴィクトル様、痛くはありませんか?」


 ルイーゼはじっとヴィクトル様を見上げた。恐れているふうも、おびえている様子もない。ただ深々と刻まれた傷が痛みを伴うものではないのかと、心から案じているようだった。


「その傷は痛くはないのですか? お辛くはありませんか?」


 いいえ、とヴィクトル様は動揺をにじませながら答えた。


「もう痛みはありません。怪我には慣れていますし、大事はありません」


 ルイーゼはほっとしたように、撫でおろした胸に手を当てた。


「もう一度我が家に来ていただけませんか? ヴィクトル様にお見せしたいものがあるのです」




 ***




「これです」


 祝賀会を途中で抜け出し、早々に戻った我が家の屋敷にて。


 ルイーゼは帰るなり自分の部屋に直行したかと思うと、見覚えのあるものを抱いて戻ってきた。


 ふわふわを通り越してごわごわした茶色のかたまり。古くはなってきたけれど手入れの行き届いた毛並み。首に巻かれた青いリボン。


 あ、あれは……!


「ルイーゼ! 待っ……!」


 あわてて止めようとしたけれど、もう遅かった。


 子供の頃にお父様が買ってきたお土産のくま。可愛いというよりも怖いという表現の似合う、渋くて強面こわもてのごついぬいぐるみだ。

 

「ぬいぐるみ……?」

「はい。私が大切にしているくまさんです」

「くま……さん?」

「ええ。このぬいぐるみにもヴィクトル様と同じ場所に傷があるでしょう?」


 ルイーゼは無邪気に説明したが、私は羞恥心で消えたくなった。


 昔このぬいぐるみが裂けた時に、直すと大見得を切ったのは私である。


 しかし当時の私の裁縫の腕はひどいもので、くまの顔にはちぐはぐな縫い傷が大きく残ってしまったのだ。

 

 どうしてもっと上手に縫えなかったのか、今さらながら悔やまれてならない。完全に黒歴史である。


「昔、顔が破れてしまったのをエリーゼお姉様が縫ってくださったのです。とてもお上手でしょう?」

「お上手ですね」

 

 正気か?


 二人とも目が悪いのだろうか? 自分で言うのもなんだが、改めて見ても本当に酷い縫い跡なのに……。


 私がいたたまれなくなっていると、ルイーゼは晴れやかに笑った。


「当時、お姉様はまだ八歳だったのです。私が自分で縫っていたら、もっと悲惨なことになったはずです」

「私ならば今でももっと取り返しのつかないことになるでしょう」

「たった八歳のお姉様が、私のために一所懸命頑張ってくださったことが何よりもうれしいのです。このくまさんを見るたびに、お姉様の愛情をしみじみと感じるのです」


 傷があっても──むしろ傷があるからこそ、くまさんがもっと愛おしくなったのだとルイーゼは語った。


「ヴィクトル様の傷も同じです」


 くまさんと同じく、大きな傷の刻まれたヴィクトル様の顔を、ルイーゼはまっすぐに見上げる。


「その傷はこの国を守るために負われたもの。それならば、何も恥じることなどないではありませんか。私はその傷ごと、ヴィクトル様が好きです」


 好きだと言われて、ヴィクトル様は釜で茹でたように真っ赤になった。わかりやすい方である。


「私は体も弱くて、力もありません。リートベルクのためにお役に立てるのか不安は尽きません。私よりももっと辺境伯夫人にふさわしい女性がたくさんいらっしゃるのはわかっています。……でも……でも他の女性がヴィクトル様と結ばれるのは……嫌なのです……」


 わがままを言ってごめんなさい、とルイーゼは謝った。


「……それとも、もうヴィクトル様のお気持ちは変わられてしまいましたか……?」


 ルイーゼの青い瞳がうるうると潤んだ。我が妹ながら反則級に可愛い。


「もしも変わられていないのでしたら……私をヴィクトル様のお嫁さんにしてください」

「私の気持ちは変わりません! 変わるはずがない!」


 ヴィクトル様は断言して膝を折った。


 ルイーゼのきゃしゃな手を、倍はあろうかと思うような大きな手が包み込む。


「私が結婚したいのはあなただけです。ルイーゼ様」

「ルイーゼと、呼んでください」

「ルイーゼ……」

 

 その後の二人の、砂糖を吐くほど甘いやりとりは……目撃した私だけの秘密である。

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