第18話 プロポーズ

 しかしながらその年、国王陛下の生誕祭が開催されることはなかった。


 理由は隣国であるテュルキス王国との間に勃発した抗争が、日に日に苛烈さを増していること。


 戦況は芳しくなく、国力をとっても兵の数をとっても、我が国が不利であることは否めない。


 そのため毎年大々的に開かれていた陛下のお祝いもとりやめ、ごく内輪だけで行うことになったのだという。


「……今年の生誕祭は中止になったのですね。お国の一大事ですもの。仕方がありませんよね……」


 ルイーゼは口ではそう言いつつも、明らかにしょんぼりしていた。


 意気消沈したルイーゼの元に届いたのは、リートベルクからの手紙。


 そこには遠征軍の司令官に任命されることになったヴィクトル様が、王家の招集を受けてしばらく首都に逗留する予定であることが綴られていた。


 そしてもしも許されるならば、滞在中にオステンブルク公爵邸を訪ね、ルイーゼに会いたい──という申し出も。


「お姉様、変ではないでしょうか!?」


 手持ちの服をありったけクローゼットから引っ張り出し、足の踏み場もないほど部屋いっぱいに並べて、ルイーゼはあれでもないこれでもないとコーディネートに悩んでいる。


 戦争が始まって以来、私たちは新しいドレスを作るのを控えていたから、持っているのはどれも流行とは少し外れたクラシカルな服ばかり。


 迷いに迷って、ルイーゼは瞳の色に合わせたブルーの小花模様のドレスを選んだ。髪も同じ小花を散らした銀細工のバレッタで留めて、ハーフアップにする。


「子供っぽいでしょうか……?」 

「大丈夫よ、可愛いわ」


 弱気になるルイーゼを励ましていた時、執事が来客を告げにやって来た。


 現れたヴィクトル様は、一家総出でそわそわと浮き足立つ私たちの前に進み出ると、丁重に一礼をした。


 見上げるほど高い長身に、鋼のようなたくましい体躯。


 鼻梁は高く、胸板は厚く、他者を圧倒するような威容を放っている。顔立ちは百獣の王のように精悍で、眼光は猛禽類のように鋭い。


 え、怖い。

 それが率直な第一印象だった。


 怖い。こうして直接対面すると、ヴィクトル様は本当に背が高くて体が大きい。本当に野生のひぐまのようだ。ルイーゼとは身長差も体格差もありすぎる。


 これまで私の身近にこんなに大柄で筋骨隆々な男性はいなかった。


 うちのお父様はホワホワとした温厚な紳士だし、フランツ様も洗練された貴公子らしい細面ほそおもてなお方だ。


 箱入り娘のルイーゼには、こんな強面こわもてな相貌の持ち主は恐ろしくてならないのではないだろうか……。


 ……と思ったが、ルイーゼはまったく怖がる様子がない。むしろ頬を赤らめて、ヴィクトル様が遠方からはるばる足を運んでくださったことに感謝していた。


「ありがとうございます。ヴィクトル様」


 嬉しそうににこにこと微笑むルイーゼ。控えめに言って天使である。


「……可憐すぎる……!」


 ヴィクトル様は大きな手で顔を覆って悶えている。


 たしかに私の目から見てもルイーゼは可憐。可憐といえばルイーゼである。うちの妹は世界一かわいい。


 その後は父の主導で、家族の紹介をしたりと和やかに語り合った。


 今回の遠征でヴィクトル様が担うことになった軍勢についても、明かせる範囲内で話を聞かせてもらった。


 国防を担うリートベルクの精鋭部隊を要として、この遠征のために編成された軍隊。元帥を務めるのは老練で知られる公爵だが、実質的に最前線で兵を指揮するのはヴィクトル様だ。


 お父様はしきりに感心し「この若さでそれだけの大軍を任されるとはたいしたものだ……!」と感嘆していたが、ヴィクトル様はいくら賞賛されても微塵もおごらなかった。見た目は怖いが謙虚な方だ。


 それはいい。それはいいのだが……。


 ……うちのルイーゼと見つめあい過ぎじゃない?


 会話の端々や、ふと沈黙が訪れた時。ヴィクトル様とルイーゼはやたらと目と目を合わせて二人の世界に入っていた。


 ヴィクトル様の精悍な眼はルイーゼだけをじっと見下ろしているし、ルイーゼのつぶらな瞳はヴィクトル様だけを一途に見上げている。まるで見えない糸でお互いを縫い付けたみたいに。


 二人があまりにも見つめあっているので、お父様はコホンと咳払いし、


「あー……では、後は若い者どうしということで……」


 と、いそいそと二人を応接間に残して出てきてしまった。

 

 もちろん扉は開け放してあって、密室ではない。通りがかれば、二人の会話も普通に聞こえる。


 とはいえ淑女として、聞き耳を立てるようなはしたないことはしない。


 しないけれど、ちょっと書斎に用事があったり、やっぱり自室に戻りたかったりして、何度も廊下を往復してしまうのは仕方がないわよね。うん。


 私だけではなく他の家族も、使用人たちすらもそわそわして、ヴィクトル様とルイーゼがいる部屋の前をしきりに行ったり来たりしていた。


 なるべく足音を立てないように、そうっと部屋の中をうかがった時。


 二人はちょうど私たち姉妹のことを話していた。


「エリーゼ様とルイーゼ様は、ミドルネームが違うのですね」

「はい。お姉様のミドルネームはお母様の名で、私のミドルネームは叔母様の名なのです」

「叔母上の……ですか?」

「ええ。めずらしいでしょう?」


 私のミドルネームの「フロレンティナ」はお母様の名前で、ルイーゼのミドルネームの「マグダレーナ」は若くして亡くなった叔母様の名前。


 私たちには慣れ親しんだ名前だけれど、姉妹は同じミドルネームを名乗ることの方が多いので、ヴィクトル様は不思議に思ったのだろう。叔母の名が姪のミドルネームになることはめずらしいのでなおさらだ。


 ……しかし、若い二人の話題にしては色気がない。


 ミドルネームとかどうでもいいのよ! もっと核心に触れた話をして!


 そうやきもきしたけれど、二人はまだミドルネームの話を続けていた。


「私は自分のミドルネームが好きです。だってお母様が叔母様をとても愛しておられる証拠ですもの」


 命を縮める不吉なミドルネームだという話は少しも気にならないのだ──とルイーゼは語った。

 

 私たちはマグダレーナ叔母様と直接会うことは叶わなかったが、お母様にとって叔母様はずっと大切な妹で、それは叔母様が亡くなっても、どんなに時間が経っても変わることはないのだと。


「私もエリーゼお姉様と、お母様と伯母様のような姉妹でいたいのです」


 たとえ生と死に分かたれても、ずっと変わらずに愛し愛される家族でいたい──と語るルイーゼに、胸がじんと熱くなった。


──当たり前だと、ルイーゼは私のたった一人の妹だと叫びたくなったけれど、二人の邪魔になってしまうので耐える。


 やがてヴィクトル様が登城する時刻が迫ってきた。このまま王宮に参内し、国王陛下より正式な指揮官の叙任を受けたなら、すぐに軍を率いて戦場に身を投じることになるらしい。


「……ヴィクトル様、ご無事のお帰りをお祈りしています……」


 ルイーゼが心配そうに手を祈りの形に組みながら見上げる。


「敵軍は必ず食い止めます。我が国の領土を一歩たりとも蹂躙じゅうりんさせはしません」


 ヴィクトル様は力強く誓い、大きな手を心臓に当ててその場に片膝をついた。


「必ずや勝利をつかみ、あなたに捧げるとお約束します。ですからルイーゼ様……再びこの地に凱旋を果たしたあかつきには、どうか私の妻になっていただけませんか?」


 きゃああああ!!!


 私含め、廊下で聞いていた一同は一斉に呼吸を止める。


 きたわ! プロポーズよ! 来ると思っていたけれど!


 ああ、マルグレーテ様にお話したい! ルイーゼが! プロポーズされましたー!!


 ここにいないマルグレーテ様を思いながら私が情緒を忙しくしている間も、ヴィクトル様は求婚を続けていた。


「ルイーゼ様、愛しています。どうか私と結婚してください」

「はい!」


 即答である。


 賭け引きとか、気を持たせるとか、焦らしてもったいぶるとか、そんな高度なテクニックがルイーゼに使えるはずもなかった。


 ストレートな返答に、ヴィクトル様の方が驚いた顔をしている。


「……正式な手順を踏むことなく先走りました。申し訳ありません」


 貴族の娘の婚約は父親の承諾なしには進めることができない。


「オステンブルク公爵に正式に申し入れます。ルイーゼ様との婚約を認めていただきたいと。我がリートベルク家は四等級で言えば伯爵。公爵家とは釣り合わないと反対なさるかもしれませんが……」

「たとえお父様が反対なさっても、私はヴィクトル様と結婚します」


 よどみなく答えたルイーゼの言葉に、お父様が私の横で今にも倒れそうなほど青ざめる。


 ルイーゼ、やめてさしあげて。お父様はいつまでもあなたを小さな女の子だと思ってるのよ。


「ヴィクトル様、ご武運を……」

「はい」


 ルイーゼが祈るようにさし出した手をうやうやしく取って、ヴィクトル様は静かに口づけを落とした。


「必ず、生きて還ります」

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