第17話 ルイーゼの恋
マルグレーテ様とルイーゼと私。
三人でいつも他愛なくも楽しいおしゃべりを重ねたのだが、一番盛り上がったのはやはり
「お姉様、マルグレーテ様、私……忘れられない方ができてしまいました」
ある日の午後。我が家の庭に咲いた薔薇を愛でながらのお散歩中に、ルイーゼが突然そんなことを言い出したものだから、マルグレーテ様と一緒に面食らってしまった。
「どういうこと、ルイーゼ?!」
「ルイーゼ様、詳しくお願いします!」
マルグレーテ様と同時に問い詰めると、ルイーゼはおずおずと語り始めた。
その「忘れられない人」と出会ったのは、ルイーゼが社交界へのデビューを果たした、あの建国記念祭の日だという。
私とマルグレーテ様が初対面なのにすっかり話し込んでいた間。ルイーゼはパートナーであるお父様と一緒にいた。
だが、お父様はホワホワしてはいても公爵家の当主だ。多くの人があいさつにやって来るし、込み入った懇談が始まったら邪魔するわけにもいかない。
お父様がとある貴族との話に気を取られているうちに、気がつけばルイーゼは一人になってしまったらしい。
タイミングの悪いことに、そんな時に限ってルイーゼは具合が悪くなってしまった。多くの人間でごった返す会場で、人酔いしてしまったのもあるのだろう。
新鮮な空気を吸えば気分も良くなるだろうと、ふらふらと王宮の庭園に出てみたものの、体調はますます悪くなる一方。
オステンブルク家のために用意された控え室に戻ろうにも、初めて訪れた宮殿は広大で入り組んでおり、帰り道がわからない。
思わず植栽の影にうずくまってしまったルイーゼに、声をかけてきた男がいたのだという。
『──どうされましたか?』
ルイーゼの小柄な体を丸ごと覆う、大きな黒い影。
『ご気分がすぐれないのですか?』
夕景の暗がりの中に響く、渋くて低い声。
大柄な体を包む、
いかにも軍人らしい無骨な出で立ちは、パーティーのために華やかに着飾った貴族たちとは一線を画していたという。
『……大丈夫です。少し休めば、よくなります……』
ルイーゼはそう答えたが、声は明らかに弱々しい。
男は巨躯を折って、その場に片膝をついた。
『私はヴィクトル・アレクサンダー・リートベルクと申します』
リートベルク。
子供の頃に父から聞いた、野生の熊が生息するという辺境地帯の名前に、ルイーゼは不思議と安心感を覚えたという。
『ルイーゼ・マグダレーナ・オステンブルクです』
『オステンブルク公爵令嬢でいらしたのですね。控え室までお送りします』
リートベルクの令息は黒くて短い髪を丁重に下げると、ルイーゼに触れる許可を求めてきた。
渋くも優しい声音にうなずくと、男はルイーゼを軽々と横抱きにした。
『あの……重くはありませんか?』
『いいえ。羽のように軽いです』
彼は迷いのない足取りで宮殿の回廊を進むと、オステンブルク家のために宛てがわれていた控え室までルイーゼを運び、待機していた侍女にルイーゼを託してくれたらしい。
侍女の手慣れた介抱を受けて、ルイーゼはすぐに快復することができたのだとか。
それだけでもありがたかったのだが、リートベルクの令息はさらにパーティー会場へと戻り、お父様にも声をかけてくれたそうだ。
『オステンブルク公爵、失礼いたします』
お父様はちょうどルイーゼが見当たらないことに気がつき、焦って探していたところだったとか。お父様、遅いわ。
おかげでルイーゼは父と再会できたし、私と再び合流する頃にはすっかり元気になっていた。そんなことがあったなんて、こうして話してくれるまでは何も知らなかったくらいだ。
「あの大柄なリートベルクの令息が忘れられないの? こう言ってはなんだけれど、あの熊のような方が……?」
「はい。あの熊のような方が忘れられません」
熊という比喩は否定されなかった。
熊みたいな男だとは思いつつも、ルイーゼは彼が怖いとは思わないらしい。むしろ心に焼き付いて、ことあるごとに思い出してしまうのだとか。
「あの方にもう一度、お会いすることはできるでしょうか?」
「どうかしら……? リートベルクはかなり遠い辺境の地だし、公式のパーティーにも毎回参加されるわけではないでしょう。もう領地に帰られているはずだし、次に王都に来られるのはいつになることか……」
「もう一度、あの方にお会いしたいのです。私のことなどもうお忘れかもしれませんが……」
ルイーゼを忘れるような見る目のない男なんていないわ──と言おうとした瞬間だった。
「ルイーゼ様を忘れるような見る目のない男なんていませんわ!」
マルグレーテ様が強めに言った。やだ、気が合うわ。
「ルイーゼ様はこんなに愛らしいのですもの。次は国王陛下の生誕祭がありますでしょう? きっとリートベルクの令息はルイーゼ様をエスコートしたいと申し来んでくるはずですわ」
「そ、そうでしょうか……?」
「そうですわ。私を信じてください!」
自信満々に予言するマルグレーテ様と、自信なさそうにおどおどとするルイーゼ。
それからほどなくして、リートベルク家から我が家に花と手紙が届けられた。
今度の陛下の生誕祭に際して、ルイーゼをエスコートしたいと願っていること。どうかパートナーになってほしいという内容だった。
完全にマルグレーテ様が言った通りだ。
さすがは未来の王妃。予知能力もお持ちである。
「ルイーゼ、どうす……」
「お受けします!」
二つ返事だった。ルイーゼは迷うことなく承諾の返事を書き、速やかに送り返した。
その後はリートベルクから届いた手紙を何度も読み返したり、封筒にしまってはまた出して開いたりとせわしない。一緒に届けられた花も自ら部屋に活けて、毎日水を取り替えていた。
私はルイーゼが生まれた時から知っているのに、こんなそわそわと落ち着かない姿は初めて見る。
「「うちの娘が……!?」」
「私の妹が……!?」
「僕の姉上が……!?」
父も母も弟も、ルイーゼの恋に驚くことしかできなかった。
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