第15話 公女マルグレーテ

 ――私に王太子妃の座は務まらない。


 そうはっきりと宣言されて、私は息を飲んだ。


「はい。その通りですわ」

「え?」


 素直に認めると思わなかったのか、マルグレーテ様は虚を突かれたような顔をする。


「私に王太子妃は務まりません。殿下にふさわしいのはノルデンブルク公爵令嬢ですわ」

「なっ……! からかっていらっしゃるのですか?」

「まさか! 本気です!」


 マルグレーテ様のおっしゃることは正論だ。


 フランツ様の誘いをほぼ無視していたかと思えば受け、受けたかと思えばルイーゼにばかり気を取られていたのだから、身勝手だと言われても仕方ない。


 きっとこの会場にも、私のふるまいを苦々しく思った人がたくさんいるのだろう。殿下を弄び、振り回し、軽んじるなど何様のつもりなのかと。


 マルグレーテ様はそれを見かねて、自ら苦言を呈しに来てくださったのだ。


 意地悪ではない。裏から手を回したのでもなければ、取り巻きを使って陰険に貶めたのでもない。


 マルグレーテ様はご自分の足で私の元に来てくださって、ご自分の口ではっきりと非常識だといさめてくださった。


 人の上に立つ者の風格さえも感じられる、正々堂々とした態度だ。


 王太子妃は未来の王妃。生半可な者が担っていい身分ではない。


 国王の伴侶、至尊の冠をいただく最高の地位を、この方ならば立派に務められるではないだろうか。


「マルグレーテ様こそ、この国の国母にふさわしいお方です」


 私は本気でそう思ったのだが、うっかり名前を呼んでしまったせいか、マルグレーテ様は調子が狂ったような表情をしていた。


「……オステンブルク公爵令嬢は、私を敵視していらっしゃらないのですか?」

「まさか! とんでもありません!」


 私ははっきりとかぶりを振った。


「私には二歳年下の妹がいるのですが、生まれた時から今まで、ただただひたすら可愛いのです」

「それが何か?」

「マルグレーテ様も私より年下。敵視する気持ちになどなれません。僭越ながら私にとって、マルグレーテ様もまたとても可愛らしく見えるのです」

「な、何を……!?」


 先ほど話しかけられた時の第一印象も「かわいい!」だった。


 マルグレーテ様は驚いているが、そんな少し焦った表情も、うろたえても全く曲がらない背筋もとても可愛らしい。


 先ほどのカーテシーも百点満点中千点だったし、こうして間近でお話していてもマルグレーテ様の所作は洗練されていて隙がない。完璧な淑女と言ってさしつかえないだろう。


 あの怖くて厳しそうなノルデンブルク公爵に強い期待をかけられ、妃教育に血のにじむような力を注いできたであろうことは想像がつく。


 私よりも年下なのに、なんて健気なのかしら……。


「マルグレーテ様は王太子妃となるべく、真摯に努力されていらしたのですね。誰にでもできることではありませんわ。本当にご立派です」

「お姉様……!」


 マルグレーテ様の張りつめていた瞳が揺らいだかと思うと、唇がそうつぶやいた。


 あら? 変な扉を開いてしまった?


「も、申し訳ありません。私ったら、何を血迷って……」

「かまいませんわ。お気になさらず」


 そつなく微笑んでみせたが、内心は胸のときめきが抑えきれない。


 そう、私はお姉様という響きにめっぽう弱いのだ。

 

 二歳の時にルイーゼが生まれ、私は姉になった。

 以来、病弱な妹を守らなくてはとすっかり姉属性に染まって生きてきた結果、私のことをお姉様と呼んでくれる相手には、もれなく保護欲が発動する体質になってしまったのである。


「マルグレーテ様、立ち話もなんですわ。あちらにかけてお話しませんこと?」

「え、ええ……はい……」


 マルグレーテ様は気を削がれたように素直に従ってくれる。かわいい。


 ソファに座った私たちは、そこからとりとめもなく歓談を続けた。


 マルグレーテ様が私を名前で呼んでくれるようになるまで、時間はかからなかった。かわいい。


「エリーゼ様。それでは……オステンブルク公爵はエリーゼ様に王太子妃になれとはおっしゃらないのですか?

「はい、一度も言われたことはありません」


 本当だ。王太子に限らず、誰かに嫁ぐように父から言われたことはない。


 私も十八歳なのだからもっと焦ってよさそうなものなのに、両親ともに縁談を進める気配はない。そんな両親だから私も危機感がなく、のんびりとしてしまっていたのだが。


「王太子殿下のお心を必ず射止めろ、絶対に夢中にさせろ、とも言われないのですね?」

「ありませんし、絶対などと言われても困ってしまいますわよねぇ……。人の心はそんな簡単なものではないのですから……」


 どうやらノルデンブルク公爵は口癖のように、マルグレーテ様に必ず王太子妃になれと高圧的に命じているらしい。


「私のお父様は何がなんでも我が家から王妃を出すと、そのためなら手段は選ばないとキリキリされていて……」

「私のお父様は私と妹のどちらも結婚などせずにずっと実家で暮らせばいいと、ホワホワされていますわ……」


 キリキリとホワホワ。どっちもどっち……と思いかけたが、違う。


 キリキリされる方が絶対辛い。ノルデンブルク公爵から再三の圧をかけられて、マルグレーテ様はさぞプレッシャーを感じておられるだろう。


 うちのお父様の能天気ぶりを話すと、マルグレーテ様は心から驚いたように目を丸くした。


「穏健派とは聞いていましたが、オステンブルク公爵は本当に鷹揚なお方なのですね」

「鷹揚というかのん気というか……。ノルデンブルク公爵も急進派とは聞いていましたが、少々厳しいお方のようですね。ご自身も有能でおられるから、ご息女にも高い水準を求めてしまわれるのかもしれませんが……」


 ノルデンブルク公爵は筆頭公爵の家名にふさわしく、貴族階級の先陣に立って国を牽引する豪腕の持ち主だ。


 我が国の維持に欠かせない優秀な御仁ではあるが、国政の場のみならず家庭でも強権をふるっていては、家族は心が休まらないだろう。


 いてもたってもいられず、私はマルグレーテ様に提案した。


「一度、我が家に遊びにいらしてください」

「えっ?」

「マルグレーテ様と私と妹で、女子会をいたしましょう」

「じょしかい……!?」


 目をまたたかせるマルグレーテ様は、年相応にあどけなくて可愛らしい。妹が増えたような気持ちになる。


「い、いえ、だめです! オステンブルク家を訪ねるなんて、お父様が知ったら許すはずが……!」

「知ったら、でしょう? 伏せておけばよろしいですわ。仮に露見してもノルデンブルク公爵には敵情視察と言っておけば大丈夫でしょう」


 ぱちりと片目をつぶって、私は手袋に包まれたマルグレーテ様の手を取った。


「妹も喜びますわ。お待ちしております」

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