第13話 王太子とのダンス

 目立ちたくないのに、周囲がどんどん場所を開けてくれて、あれよあれよとダンスホールの中央に導かれていく。


──いいのに! 隅っこの方でかまわないのに!

 

 内心は逃げたくてたまらなかったが、管弦楽団の演奏に合わせて、ダンスは始まってしまった。


 公式の場で踊るのは初めてだけれど、公爵邸でレッスンに励んだかいがあったのか、ミスすることなく正確にステップを踏むことができた。


 それとも王太子殿下のエスコートが上手なのだろうか。もっと緊張するかと思ったのだけれど、優しくて丁寧な殿下のリードは思いのほか踊りやすい。


 ちらっと周囲を見ると、お父様は気が気でない表情ではらはらと心配そうに私を見守っている。もっと堂々としていてほしいものだが、残念なことに威厳も貫禄も崩壊中だ。


 ──お父様! もっと公爵スマイルを保ってください!

 

 そう言いたかったものの、父だけではなくもう一人、公爵スマイルが大崩壊している人物がいた。


 厳格な眼光。顎にたくわえた立派な黒ひげ。恰幅のいい体型に合わせてあつらえた上質な礼服。

 ノルデンブルク公爵だ。不服そうな表情を隠そうともせず、忌々しそうに私を睨みつけている。


 ノルデンブルク家はペルレス王国の貴族階級の頂点を極める、筆頭公爵家である。


「ノルデン」とは「北」という意味。対して「オステン」とは「東」という意味だ。


 かつてこの国には東西南北の名を持つ四つの公爵家が存在し、四大公爵家と呼ばれていた。


 しかし長い歴史の中で「西」と「南」の公爵家は没落し、表舞台から姿を消した。今現在残っているのは「北」と「東」の二つだけだ。


 とりわけノルデンブルク家は他家の追随を許さぬ大貴族として、社交界の頂点に君臨し続けている。その当主である現公爵が、ご令嬢を王太子殿下の婚約者候補として強く推していることは、私でも知っていた。


 ご息女のマルグレーテ様はたしか私の一つ下で、ルイーゼの一つ上。


 社交界にデビューするのは来年になるので、マルグレーテ様ご自身は今回のパーティーにはまだ参加されていない。


 来年、晴れてデビュタントとして華々しく登壇してから、王太子妃として正式に内定することになるのだろう。


 だから王太子殿下がたわむれで私と踊っても、今年この場だけの話だ。


 私は王太子妃になりたいなんて思ったこともないし、マルグレーテ様のライバルでも何でもないのだから、ノルデンブルク公爵はそんなに怖い顔で睨まないでほしい。


 やがてダンスも終盤を迎え、楽団の演奏は最後の一音までも完璧に優雅に締めくくられた。


「素晴らしい時間だった。オステンブルク公爵令嬢。この時間が永遠に続けばいいと願うほどに……」

「ありがとうございます、王太子殿下」


 ダンス後にお世辞を言うのも紳士のマナーなのね、と感心しながら、ドレスの裾をつまんでお辞儀をする。


 ──これでお父様の元に戻れるわ、とホッとしながら顔をあげると、新緑の双眸がまっすぐに私を見つめていた。


 もう一度私の手を取って、すがるように王太子は言う。


「フランツと呼んでほしい」

「えっ?」

「殿下ではなくフランツと呼んでくれ。どうかあなたのこともエリーゼと呼ばせてほしい」


 困惑しながらそっと視線を反らすと、心配でたまらない様子でハラハラと私を見ているお父様と、目障りでたまらない様子でギリギリと私を睨み付けているノルデンブルク公爵が目に入った。

 

 ダブル公爵の圧がすごい。お父様は可哀相になるし、ノルデンブルク公爵は普通に怖い。


「……わかりました。ですからどうか手をお放しになってください。フランツ様」


 解放されるためにそう言ったが、名前を呼んだ瞬間にフランツ様はぱっと明るく笑う。


 まるで子供のような邪気のない笑顔で、可愛いお方だと不覚にも思ってしまった。


 そんな油断をしたのも束の間。フランツ様はとんでもないことを言い出した。


「オステンブルク公爵には正式に願い出るつもりだ。エリーゼ、今後あなたのパートナーを務めるのは、永久に私だけでありたいと」


 え? どういうこと!?


 その言葉の意味を知ったのは、パーティーが閉幕した後。王宮からオステンブルク公爵家に宛てて、山のような大量の贈り物が届けられてからだった。


 目もくらむほど贅沢な贈り物の数々にはすべて花が添えてあり、フランツ様直筆の手紙も一緒に同封されていた。


 手紙の中身は、ダンスの終わりに言われたのと同じ内容。


「エリーゼ嬢のパートナーを永遠に務める権利を与えてほしい」……要するに、自分の妃になってほしい、という主旨だった。


「うーむ……」

「あらあら……」

「さすがはお姉様です!」

 

 お父様はうーむどうしたものかと渋面を作り、お母様はあらあらまぁまぁと困惑を浮かべて、妹のルイーゼはさすがはお姉様ですすごいです! とはしゃいでいた。


「王太子殿下はお姉様を見初められたのですね。なんて見る目のあるお方なのでしょう!」

「見初め……られた……?」


 けれど、王太子はノルデンブルク公爵家のマルグレーテ様との婚約が水面下で進んでいるはずだ。


「もう、ルイーゼったら何を言っているの。そんなわけないじゃない」


 あちらは何と言っても筆頭公爵家。同じ公爵家ではあっても、おっとりとした家風の我が家とは勢いが違う。


「殿下は初めてパーティーに参加した新参者をからかっていらっしゃるだけよ」

「いいえ、お姉様。殿下は本気でいらっしゃると思いますわ」


 ルイーゼはそう言ったが、子供向けのおとぎ話ではあるまいし、たった一度会って踊っただけの私を王子が見初めるなんてありえない。


 フランツ様は世間知らずの私に、軽くちょっかいを出しただけだ。


 その後もフランツ様から何度も直筆の手紙が花束とともに届けられたけれど、本気で取り合うなんて愚かなことはしない。


 失礼にならない程度に無難なお返事を返しつつ、直接お会いすることはないまま時は経った。


 何しろ私にはすぐに体調を崩す病弱な妹と、跡継ぎとはいえまだ幼い弟がいるのだ。


 頻繁に倒れるルイーゼを看病したり、すぐ勉強をさぼろうとするシュテファンをつかまえて机に向かわせたりと、何かと忙しくてあわただしい。


 私はこれでも九歳まで後継者教育を受けていたのだ。弟の勉強くらいは問題なく見られる。


 甘い両親にかわってシュテファンをびしばしと鍛えているうちに、毎日が飛ぶように過ぎていった。

  

 あっという間に月日は過ぎ、翌年の夏至。

 また建国記念祭のパーティーが開催されたが、私は参列しなかった。

 

 ちょうどパーティーの少し前から、またルイーゼが風邪をこじらせて寝込んでいたのだ。高熱に苦しむルイーゼを残して出席しても楽しめるはずがないから、あっさりと欠席を決めた。


 というわけで、ノルデンブルク家のマルグレーテ様がデビューされた姿は見ていない。


 マルグレーテ様は筆頭公爵家の威信をかけ、豪華絢爛にデビューを飾られたことだろう。未来の王妃なのだから当然だ。


 マルグレーテ様にはどうかフランツ様とお幸せに添い遂げられ、末永くこの国を支えていただきたい。


 そう願いつつ、私はようやく熱の下がり始めたルイーゼの容態に安堵していたのだった。

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