第12話 王太子との出会い

 それからしばらく経った頃。


 母のフロレンティナが今回の王都行きに同行せず、屋敷に残ることにした理由が私たちにも知らされた。

 

 母は懐妊していたのだ。

 

 軽くではあるがつわりもあり、体調を考慮して、公式行事への出席は見合わせることにしたのだという。


 そして私が九歳、ルイーゼが七歳になった頃。我が家に三番目の子供が生まれた。待望の男の子だった。

 

 弟は父の名をミドルネームに授かって、シュテファン・ルドルフ・オステンブルクと名付けられた。


 シュテファンの誕生により、私が家を継ぐという話はあっさりと立ち消えた。


 公爵家の後継者でなくなった私は、かすかな落胆と大きな安堵を感じていた。


 圧倒的に男性優位な貴族社会の中で、女性が当主となるのはまだまだ厳しい。か弱い女の身で、男性当主たちに互しながら家門を維持していくのはいばらの道だ。


 肩の荷が下りた私は、ほっと胸を撫でおろして、ルイーゼとともに年の離れた弟を可愛がった。


 しかし九年もの間、公爵家の跡継ぎになるかもしれないと目されてきたせいで、私には婚約者がいなかった。


 上位貴族ではもっと幼い年頃から縁談を固めることもめずらしくないが、私はどう転ぶかわからない微妙な立場だったため、婚約者はおろか候補者もいない。


 幸か不幸か、格式のつりあう家には年の近い令息がいなかったり、いてもすでに婚約済みという有様。


 しかし私自身、恋愛に興味はなかったし、両親も結婚を無理強いするような人たちではなかった。


 父など私たちの結婚相手を探そうとするどころか「エリーゼもルイーゼもずっと我が家にいればいいじゃないか」とのんびりしている始末。


 いいのかしらそれで……と思わないこともなかったが、嫁げと急かされるよりはずっといい。

 

 そんなわけで誰とも婚約すらしないまま、あっという間に時は経ち、私は十六歳になった。


 貴族の令嬢は特段の事情がない限り、十六歳で社交界へデビューすることになっている。


 デビュタントのための専用の式典が行われるわけではなく、どのような舞踏会であってもデビューを飾ることはできるが、夏至に合わせて行われる建国記念祭を初舞台とする令嬢が最も多い。


 社交界へのデビューは君主である国王陛下への正式な謁見であり、上流階級の一員として必要なお披露目の儀式だ。


 正しいドレスコードや、これまでに習った礼儀作法をきちんと身につけているかの証明を期待される場でもある。


 進んで行きたい場ではないけれど、公爵家の長女として避けては通れない通過儀礼だ。私は腹をくくって、母とともに準備に励んだ。


 母や侍女たちが心をこめて用意してくれたドレスは、デビュタントであることを示す純白の色。同じ色でそろえたロンググローブも必需品だ。


 髪飾りはディアデムと呼ばれる小さな冠のような装飾品が、デビュタントの正式な装いとされる。


 額にディアデムを飾り、髪はゆるく流してハーフアップにまとめ、念入りにお化粧をしてもらったら、デビュー用の身支度の完成だ。


「お姉様、すてき! とってもお綺麗です!」

 

 仕上がりを見たルイーゼはそう褒めてくれたし、父のルドルフも満面の笑みを浮かべていた。


「おおエリーゼ! 間違いなくおまえが一番美しいぞ!」


 私には婚約者も夫もいないので、パートナーは父である。


 父がエスコートしてくれるのは、私にとっても心強かった。父はほわほわのんびりとした人だが、これでも大貴族の当主だ。


 国中の貴顕貴族が一斉に集う大規模なパーティーには、美しく華やかな淑女がたくさん参列しているはず。その中で父親をパートナーにしている令嬢にわざわざ声をかけてくるような令息はいないだろうし、何事もなく平穏に過ごせるはずだ──。


 そんなことを思った時期もありました。


 結論から言うと、私は声をかけられた。


 それもパーティーの間じゅうひっきりなしに、数えきれないほどの男性からだ。


(……何これ? どういうこと!?)


 歯の浮くような甘いセリフを吐いて、私と一曲踊りたいと近寄ってくる令息たちが引きも切らない。


「……こんなに声をかけられるなんて、聞いていないわ!」


 初めて社交界にデビューする令嬢は、新人としてあたたかく見守られるのが通例のはず。


 他のデビュタントはもっと穏やかにパーティーを楽しんでいるのに、なぜか私の前だけ男性陣が列をなしていて落ち着かない。


 父は「エリーゼは美人だから心配はしていたのだが、想像以上に皆を魅了してしまったな……」とぼやいていたが、それは親ばかというものだ。


 私は四大貴族の一つオステンブルク公爵家の長女。みんなその地位に惹かれて寄ってきているだけだと、自分でもわかっている。


 ……それにしてもしつこい。早くも社交界が嫌いになりそうだ。


 たいていの令息はパートナーである父が、穏やかながらも権力はある公爵スマイルで撃退してくれたのだけれど、中に一人──本当にたった一人だけ、どうしても断り切れないお相手がいた。


 ざわっ、と広いボールルームが揺れたかと思うと、私の前に並んでいた令息たちが胸に手を当てて一斉に頭を垂れる。


 え? な、何?


 海が割れるようにして開いた道を颯爽と歩んできたのは、華やかなライトブロンドをひるがえした青年だった。


「白薔薇のように美しいあなたに、この心は奪われてしまった。オステンブルク公爵令嬢。どうか私と踊ってはくれないだろうか」


 青年は新緑の瞳で私を見つめながら、ダンスを申し込んでくる。


「失礼。先に名乗るべきだったな。フランツ・カール・ペルレブルクだ」


 王太子ではないか。


 王族の席を離れてダンスホールに降りてきた王太子が、どういうわけか一番先に私に声をかけてきたのだ。


 ちらりと父に視線を送ると、父はコホンと咳払いして、丁重に微笑んだ。


「ありがたいお申し出ではありますが、娘は本日デビューしたばかりの新参の身。こうした場にはまだ不慣れですので、殿下のお相手はとても務まらないかと……」


──いいわ、お父様。もっと言ってください!


 私は父を応援するべく、組んでいた腕に力を込めたのだが、王太子は退かなかった。


「オステンブルク公爵。一目見た瞬間、私はご息女に魅せられてしまった。恋の奴隷となった男を少しでも哀れと思ってくれるのなら、どうかご息女と初めて踊る栄誉を、この私に許してはくれないだろうか」

「……身に余る光栄でございます」


 父は顔をこわばらせた。いくら公爵でもこれ以上、王太子からの誘いを無碍むげにはできない。


 それにしても心を奪われたとか、恋の奴隷だとか、すごいセリフをさらりと言うものだ。王族はこうした場にも手慣れているのだろう。

 

(きっと、誰にでも言っていらっしゃるのね……)


 これ以上断ることはできず、ダンスの申し込みを受けることにする。

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