第11話 くまのぬいぐるみ②

 くまのぬいぐるみが我が家にやってきて、半年ほどたったある日のこと。


 ルイーゼはまた季節の変わり目に体調を崩した。熱は高く、咳も辛そうで、一度咳き込むと止まらない。


 ようやく熱が下がったのは、ルイーゼが寝込んでから数日後のことだった。


 もう会ってもいいと医師から許可が下り、私はいそいそとルイーゼの部屋に向かった。


「ルイーゼ、具合はどう?」

「エリーゼお姉さま。もうだいじょうぶです」


 数日ぶりに会ったルイーゼはさらに色白になっていたが、無垢な笑顔は花が咲いたように可憐だった。うちの妹は王国一かわいい。


 持ってきた絵本をベッドに広げて読み聞かせてあげると、ルイーゼは目をきらきらと輝かせながら聴いてくれた。うちの妹は世界一かわいい。


 銀のトレイを持って部屋に入ってきたメイドは、そんな私たちを微笑ましそうに見守っていた。ルイーゼの薬と白湯を運んできたらしい。


 ベッドサイドのテーブルに、メイドが薬を置こうとした時だった。


「あっ……!」


 メイドのひじが、ベッドの端にあったくまのぬいぐるみに当たった。


 ぶつかった衝撃で落下したぬいぐるみは、あわてたメイドのもつれた足に踏んづけられる。


「まって!」


 ルイーゼは細い手を伸ばしたが、もう遅かった。


 ヒールで思いきり踏まれたくまのぬいぐるみは、顔の中心から見事に裂けていた。中身の白い綿が飛び出て、れき死したような見た目になっている。


「……くまさん……」

 

 ルイーゼの青い瞳に、みるみる大粒の涙が浮かんだ。


「も、申し訳ありません! ルイーゼお嬢様!」


 くまを踏んでしまったメイドは平身低頭で謝り、散らばった綿をかき集める。


 そこに響いたのは、場違いなほどのんびりとした声。


「ルイーゼ、具合はどうだね?」


 おっとりとした物腰と能天気な笑顔で現れたのは、私たちのお父様。


「熱は下がったと聞いたが、まだ顔色が悪……どうした? ルイーゼ? 何を泣いている?」


 ルイーゼの額に手を当てて熱の有無を確かめた後、お父様はようやくルイーゼが泣いていることに気がついたらしく、おろおろと狼狽した。


「熱はなさそうたな。どこか痛いのか? 父に教えておくれ。……ん? これは……」


 お父様は視線を落として、無残に破けたくまのぬいぐるみを凝視した。


 ルイーゼははっとした。涙をぬぐって自首する。


「わ……わたしが、わたしがやりました!」


 ――ルイーゼ、それは無理があるわ。


 思わずそう言いたくなったが、ルイーゼはメイドに視線を送って、何も言わないようにと制しながら自首を続ける。


「わたしがうっかりきずつけてしまったのです。ごめんなさい。お父さまがかってくださったくまさんなのに……」

 

 そうは言っても、ルイーゼは今までずっとベッドにいたのだ。靴も履いていないし、床に降りてすらいない。


 そもそも六歳のルイーゼではどんなに強く踏んづけようが、ここまで無残に裂けはしない。お父様もすぐにそう見破ることだろう。


「なんだ、そうだったのか」


 見破られなかった。


 お父様はあっさりとルイーゼの言葉を信じた。なぜなのか。


「気にしなくていい、ルイーゼ。そんなに気に入っていたのなら、また同じぬいぐるみを買ってきてあげよう」

「えっ……」

「ちょうど明後日からまた王都に行く予定だからな。今回はフロレンティナは同行せず私一人だが、土産を選ぶ余裕くらいはあるぞ」


 そういえば、もうじき建国記念祭の行われる季節だ。両親はいつも夫婦で参加していたのだが、今回はお母様は行かないらしい。


「くまだけでいいのかい? うさぎでもりすでも、ルイーゼが欲しいものは何でも買ってき――」

「お父さま」


 父はのほほんとして優しい人だが、ルイーゼが困っているのには気付いていないらしい。見過ごせなくて、思わず口をはさんだ。


「お父さま、ルイーゼはこのくまがいいのですわ。お父さまに買っていただいたくまさんだから大切に思っているのです。あたらしいぬいぐるみではかわりにならないのですよ」

「そ、そうなのか!」


 私がルイーゼの心情を代弁すると、ルイーゼはこくこくと大きくうなずく。

 

 お父様は感激したように目元を潤ませた。


「エリーゼはなんと賢く、ルイーゼはなんと可愛いのだ……!」


 私たちを同時に抱き寄せようとする父の手からするりと逃れて、私はルイーゼのあどけない顔を見つめた。


「大丈夫よ、ルイーゼ。私にまかせて」

「お姉さま……」

「私が直してあげるわ。だから心配しないで」


 淑女のたしなみとして、私も刺繍は習っている。


 だから針と糸さえあれば、きっとこのくまさんを元通りの姿に直せるはずだ。

 私がルイーゼを笑顔にしてみせる――。


 そんな自信は、ものの数時間であえなく打ち砕かれた。


「……どうして、こうなるの……?!」


 散乱する裁縫道具に囲まれながら、私は絶望した。


 意気揚々と始めたぬいぐるみの手術は、取り返しのつかないレベルの失敗に終わった。


 縫い直したくまの顔は元に戻るどころか、明らかに以前よりも凶悪な風体に変貌している。


 ひどい。これはひどい。


 ちぐはぐな縫い跡はくっきりと目立ち、きつく縫いすぎたせいで目まで吊り上がっている。もともと可愛いよりも怖い寄りのぬいぐるみだったのに、可愛い要素が全滅してしまった。


 思えば私は爵位を継ぐための勉強ばかり優先して、刺繍のレッスンを後まわしにしてきたのだった。思い出すのが遅すぎた。


「……これは……だめだわ……」


 最初から大人に頼めばよかったのだが、ルイーゼを喜ばせたいあまりに自分でやろうとしたことを後悔する。こんな惨状にしてしまっては、大人でももう手の施しようがないだろう。


 ――今からでもお父様に頼んで、同じくまのぬいぐるみを買ってきてもらおう。


 そう決意し、部屋を出ようとした時だった。


「エリーゼお姉さま」

「ルイーゼ!? あの……」


 ルイーゼは私が背後に隠そうとしたぬいぐるみを見つけて、無邪気に笑った。 


「上手になおしてくださってありがとうございます! さすがはお姉さまです!」

「……え……いいの? これで?」


 上手ではないし直ったとも言えないのに、ルイーゼは喜んでくまをぎゅっと抱きしめた。


「もちろんです。ずっと、大切にします」


 ルイーゼは無理をしているのではないか、と私は疑った。


 メイドが咎められないよう自分がやったと言ったように、私が落ち込まないよう気遣っているのではないかと。


 しかし、ルイーゼは本当に前にも増してくまさんを大事にした。より凶悪な外見になったことを悲しむそぶりはなく、ずっと手元に置いて可愛がっていた。

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