第10話 くまのぬいぐるみ

 父のルドルフがその贈り物を持ってきたのは、私が八歳、ルイーゼが六歳の時だった。


 当時の私たちが暮らしていたのは、王国の東側に位置するオステンブルク公爵家の領地。


 以前は首都のタウンハウスに滞在していることが多かったが、虚弱なルイーゼの体質のことを考えて、より空気のいい郊外のカントリーハウスへと移り住んだのだ。


 両親は権力に興味がなく、普段は私たちと共に領地に引きこもってのんびりと暮らしていたが、それでも貴族である以上、避けられない社交というものはある。


 王都にある宮殿で公式行事が催される際には、両親は私たちを領地に残して、夫婦で首都に赴いていた。


「ただいま、エリーゼ! ルイーゼ!」


 父は領地の屋敷に戻ってくると、いつも真っ先に私たち姉妹の顔を見に来た。両手に抱えているのは、王都で買い求めてきた私たちへのお土産だ。


「私の天使たちよ! 会いたかったぞ!」


 父は私たちを抱きしめて、にこにこと土産を披露する。


 愛らしい花模様の包装紙を開けば、立派な皮の背表紙で閉じられた美しい本。もう一つの袋のリボンを解けば、茶色のくまのぬいぐるみ。


 本が私への、ぬいぐるみがルイーゼへの土産らしい。……が。


(えっ……これ……?)


 くまのぬいぐるみは妙に迫力のある作りだった。子供向けにしては眼光が鋭いし、素材もふわふわというよりはごわごわしていて固い。


(……怖くない?)


 こう言ってはなんだが、あまり可愛いぬいぐるみではない。ルイーゼも怖がるのではないだろうか。


「あの……お父様……」

「わぁ、くまさん!」


 怖いですと正直に言おうとした私の言葉は、ルイーゼの無邪気な声にさえぎられた。


「お父さま、ありがとうございます! だいじにします!」


 ぬいぐるみを抱きしめて、満面の笑顔を咲かせるルイーゼは、天使が地上に舞い降りたのかと思うほど愛らしかった。


 きっと父も同じことを思っていただろう。でれでれと目尻を下げながらルイーゼの頭を撫でている。


「お父さま、ほんもののくまさんはどこに住んでいるのですか?」

「そうだなぁ。ここよりもずっと北の地方だろうな。リートベルク辺境伯領には本物の生きた熊が出没すると聞くぞ」

「リートベルク……」


 王国の北方に位置し、隣国との国境を守る辺境地帯。


 ルイーゼはあどけない青い目をまたたいて、生きた熊がいるという遠い僻地に思いを馳せていた。



***




 ルイーゼはくまのぬいぐるみをとても可愛がった。


 「くまさん」と呼んでお気に入りの青いリボンを首に結び、丁寧にブラシをかけ、抱きしめて毎晩のように一緒に眠った。

 

 一方、ルイーゼはあいかわらず病弱で、すぐに体調を崩してはベッドに臥せっていた。

 

 伝染ってはいけないからと、私はルイーゼの部屋に部屋に近づくことを禁じられたが、くまさんは別だ。ルイーゼが寝込んでいる間もずっと、くまさんはルイーゼのそばにいた。


 私はというと、家庭教師とともにお勉強に精を出していた。

 

 何年か前から、私はオステンブルク公爵家の跡継ぎになるかもしれないと目されるようになっていたのだ。

 

 現公爵夫妻である両親の子供は私たち姉妹だけ。私は長女で、妹は生まれつき体が弱い。必然的に、後継者は私しかいないということになる。

 

 私は成人したら婿を取り、女公爵になって、オステンブルク家を継ぐことになるかもしれない。


 法は女性にも爵位継承を認めているが、前例はほとんどない。過去に女伯爵や女侯爵は存在したが、いずれも中継ぎのような役割として、短い期間のみの在爵だったという。


(私にできるかしら……)


 心配に押しつぶされそうになるが、逃げるわけにはいかない。


 私はこの家を支えて、病弱なルイーゼを守って生きていくのだ。――だって私は「おねえさま」なのだから。


 そう自分に言い聞かせながら、不安を少しでも解消するためにも、せっせと机に向かうのだった。

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