【番外編】エリーゼ・フロレンティナ・オステンブルク
第9話 エリーゼ・フロレンティナ・オステンブルク
今回から番外編になります。
アレクシアの伯母エリーゼ視点です。
一人称初めて書きました…難しい!
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私の一番古い記憶は、妹が生まれた朝のことだ。
薄い朝の光がさしこむ窓辺。可愛らしいレースが縁取りされた小さなベッドの中。
純白のベビードレスに包まれて、人形のように小さな赤ちゃんが眠っていた。
「エリーゼ、おいで」
お父様が私を抱き上げて、生まれたばかりの妹に会わせてくれる。
「ごらん、エリーゼ。おまえの妹だよ」
「いもうと?」
「ああ。少し小さいが、とても可愛いだろう?」
妹のまだごく細い金色の髪が、朝日をまとってきらきらと輝いている。
「……いもうと……」
吸い込まれるようにじっと見つめていると、妹はうっすらと目を開けた。
まるくてつぶらな二つの瞳は、空よりももっと透き通った、きれいな青の色だった。
「かわいい……!」
とても小さくてか弱い妹を、この世でいちばんかわいいと思った。
それが私の、一番最初の記憶。
私ことエリーゼ・フロレンティナ・オステンブルクは、オステンブルク公爵である父ルドルフと、公爵夫人である母フロレンティナの第一子として、この世に生を受けた。
オステンブルク家は代々、温和な気風で知られるが、私たちの両親も例外ではなかった。
父は大貴族の当主でありながらホワホワとした温厚な人で、同じくのんびりとした性格の母とは似たもの夫婦だった。
私は一人っ子として両親からの愛情を一身に受けて、それはそれは大切に、蝶よ花よとぬくぬく育てられたらしい。らしいというのは当然のことながら、乳幼児のころの記憶はないからだ。
私が覚えている最初の光景は、二歳半の頃。
母のフロレンティナが女の子を産んだ時のことだ。
これは後になって知ったことだが、予定よりもひと月ほど早い出産だったらしい。
幼かった私にはよく理解できていなかったけれど、急に産気づいた母に周囲は騒然となり、いつも穏やかでのんびりとしているオステンブルク公爵邸は、ただならぬ緊張感に包まれたそうだ。
あわただしく産婆が呼ばれ、ひっきりなしに人々が行きかう。
二度目だというのに最初の時よりも──つまり私が生まれた時よりも──長く時間がかかり、お産はなかなか進まなかった。
最悪の事態も覚悟しなければならないかもしれない──と医師は父に告げたらしい。
父も使用人たちもみな固唾を飲み、祈りを捧げる中。
妹は無事に生まれ、母も一命をとりとめた。
屋敷の中にはほっと安堵が広がり、使用人たちはこぞって祝いの言葉を贈ってくれた。
「おめでとうございます。エリーゼお嬢様」
「お嬢様はお姉様になられたのですよ」
「……おねえさま……」
メイドたちが口々に言ってくれたそれは、どんな立派な称号よりも、誇らしくて心が踊る響きに聞こえた。
妹はルイーゼ・マグダレーナ・オステンブルクと名付けられた。
マグダレーナとはお母様の妹にあたる方の名前で、私たちにとっては母方の叔母様だ。
私のミドルネームはフロレンティナなので、私とルイーゼは姉妹でありながらミドルネームが異なることになる。
叔母の名を姪に付けることはめずらしいが、これには理由がある。
フロレンティナお母様とマグダレーナ叔母様は仲の良い姉妹として育ってきたが、マグダレーナ叔母様はまだ花のさかりだった十六歳の時に、流行り病にかかって急逝してしまったのだ。
最愛の妹を亡くして悲しみにくれるお母様を献身的に支えたのが、婚約者だったオステンブルク公爵令息ルドルフ──つまり私たちのお父様だったらしい。
父と母はマグダレーナ叔母様の喪が明けるのを待って、正式に結婚した。
母は結婚当初から、もしも娘を二人以上授かることができたなら、次女には大切な妹の名を付けたいと願っていたそうだ。
父のルドルフも母とマグダレーナ叔母様の仲の良さをよく知っていたので、もちろんかまわないと快く受け入れた。
そして本当に私と妹と、二人続けて娘が生まれた。
私のミドルネームはお母様の名の「フロレンティナ」で、ルイーゼのミドルネームは叔母様の名の「マグダレーナ」
家族にとっては当たり前のことで、何も疑問になど思っていなかったのだけれど、影ではとやかく言う者もいたらしい。
ある時、通りかかった廊下の影で侍女たちがルイーゼについて「あんなミドルネームを付けてよかったのか」とささやき合っているのを耳にしたこともあった。
「早逝したマグダレーナ様の名をミドルネームにするなんて……不吉よね……」
侍女たちは陰口を叩いていたのではなく、純粋に心配してくれていたのかもしれない。
何しろ、ルイーゼは体が弱かったのだ。
早産で生まれたせいなのか、肺の機能が特に未熟らしい。ひ弱で、病気にかかりやすく、しかも一度体調を崩すと長引いてなかなか回復しない。
私だって熱を出すことくらいあったけれど、ルイーゼは私とは比べ物にならないくらい頻繁に寝込んでいた。
ルイーゼは食も細く、小鳥のようにしか食べないから体力もつかない。体力がないからすぐに具合も悪くなりやすい。悪循環である。
年がら年中、咳をしたり、扁桃腺を腫らしたり、風邪をこじらせて呼吸困難に陥りさえするルイーゼを診て、公爵家お抱えの医師は沈痛な面持ちで両親に告げたそうだ。
──ルイーゼ様は二十歳を迎えることはできないだろう、と。
「……ルイーゼお嬢様は、呪われてしまったのではないかしら?」
「ミドルネームのせいで、早死にの運命に見舞われてしまったのよ……」
使用人たちは眉をひそめて、そう噂していた。
たった十六歳で亡くなってしまったマグダレーナ叔母様のように。
ルイーゼもまた短命のさだめに囚われてしまったのではないかと、みんなが気を揉んでいたのだ。
実際、おそらく貴族の家に生まれなければ、ルイーゼはもっと幼いうちに
父と母がルイーゼのためならと、惜しみなく高価な薬を買い求めたり、専属の医師を雇ったり、看護婦を付けて常時世話をさせたりと大切に育てたおかげで、ルイーゼは虚弱ながらも少しずつ成長していった。
両親はルイーゼを愛し、今にも消えそうなか細い命を懸命につなぎとめようと慈しんでいたが、私にとってもルイーゼはかけがえのないたった一人の妹だった。
もしも。これはもしもの話だが──ルイーゼがいたって健康な子だったなら、私だって両親の愛を競い合うライバルとして張り合っていたかもしれない。小さな妹がちやほやと可愛がられるのを見て、やきもちを妬いていたのかもしれない。
でも、何度も命の危機をさまよう妹を見ていたら、嫉妬なんてしている余裕はなかった。
ルイーゼの汚れのない無垢な青い瞳。透けるような白い肌。外を走り回ることもできない細い足。
すべてが大切で、愛しくて、守りたいものでしかなかった。
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