第5話 執事の恋

 まだ城主とただの居候だった時代からよく一緒に晩酌していたヴィクトルとルカだが、義父と婿の関係になってからも変わらなかった。 

 

 以前はもっぱら、ヴィクトルの愛する妻と娘の話を酒の肴にして盛り上がっていた二人だが、ルカが辺境伯家の婿として城の管理や領地の運営も手伝うようになってからは、実務的な会話も増えた。


 執事のエヴァルトたちと執務室で顔を付き合わせて考え込んでていてもなかなか結論の見えなかった難題が、こうして酒を飲みながら頭も心もほぐしていると、ぽんと解決の糸口が浮かんできたりもするのだから、不思議なものだ。


 ルカは婚約前はこの城内で真面目に働いていたおかげで、人脈も豊富だし、人望も厚い。

 

 ルカ自身の能力もさることながら、彼が実家のヴァルテン男爵家から引き抜いてきた人々も一人残らず有能だった。


 ヴァルテン家は豪商として知られた成り上がりの新興男爵家。地位は低いが、資産は潤沢で、抱えていた使用人たちもみな優秀な人材ばかりだったのだ。


 王都と辺境では勝手が違うことも多いはずだが、郷に入っては郷に従う心づもりなのか、リートベルク家の使用人たちとの衝突は皆無。摩擦も軋轢あつれきもなく、いたって平和に過ごしている。


「ヴァルテン家に仕えていた者たちはみな驚くほど優秀だな」

「そうなんです!」


 スキルが高いだけではない。ヴァルテン家の元使用人たちはみんな非常に謙虚だった。


 ごく普通に対応しているだけなのに「まともに話が通じる……!?」と驚かれ、「無理難題を言われない……!?」と戸惑われ、「理不尽に怒鳴りつけられない……!?」と感動され、しまいには「なんていいご主人様なんだ……!!」と泣かれる始末。


 ヴァルテン家はいったいどんな不条理な職場だったのだ──と心配になるレベルである。


 どうも話を聞く限り、過剰な恫喝どうかつや筋の通らない叱責が横行するなど、良好とはいいがたい労働環境だったらしい。


 唯一の利点として俸給だけは高かったものの、それでも心が折れて辞職する者が後を絶たなかったとか。

 

 今の彼らは生き生きと働いてくれているので、ヴィクトルも城主として安堵している。


 優秀で真面目な人材が増えて、リートベルクの城がますます活性化しているのもありがたい限りだ。


「どの者も有能で助かるが……彼女は特に聡明だな。管財人の──」

「モニカさんですね!?」


 横から食い気味に返答があって、ヴィクトルは大きな体をびくっと揺らした。


「い、いたのかエヴァルト……」


 振り返った先で、銀縁の眼鏡をクイッと押し上げたのはエヴァルトだった。城の執事を務める冷静沈着な青年だ。


 冷静沈着な青年……のはずなのだが、最近のエヴァルトは少々様子が異なる。


 心ここにあらずの状態で、話しかけても上の空だし、しょっちゅう壁に激突している。眼鏡を逆さにかけていることもある。


 だからどこか体の具合でも悪いのかと、ヴィクトルもルカも密かに心配していたのだが、本人曰くいたって健康だという。

 

「モニカさんは本当に素晴らしい女性です! まだリートベルクに来て日が浅いというのに、万能といっていい仕事ぶりで……それでいて常に謙虚でひかえめで品があって、決して驕らず自惚うぬぼれず偉ぶることなく……とにかく本当に素晴らしい女性なんです!」


 エヴァルトは一気にまくし立てたが、最初と最後が同じ主張である。


 エヴァルトがこれだけ力説するモニカとは、元はヴァルテン家に務めていた管財人の女性だ。


 モニカは平民出身ながら王都の最高学府を首席で卒業した才媛で、その明晰な頭脳を買われ、富裕で知られたヴァルテン男爵家の財産管理を担う業務に従事していた。


 ヴァルテン家の廃絶が決まった時、モニカはルカについていくことを選び、王都からこの辺境まではるばる移住してきた。


 今はリートベルク家の管財人として、執事のエヴァルトと連携を取りながら働いているのだが、業務上毎日のように顔を合わせることも手伝って、エヴァルトはすっかりモニカに惚れ込んでしまったらしい。


「……あの、ルカ様におうかがいしたいのですが……その……モニカさんには特別な関係の男性が……いるのでしょうか……?」

「あー……」


 ルカは言いよどんで、頬を指で掻いた。


 モニカは以前結婚していた。リートベルクに移住する直前に離婚したのだ。


 しかし個人のプライベートを勝手に明かしていいものかと悩んで、ルカは言葉を濁す。


「えっと……僕から言っていいかわからないから……直接モニカさん本人に聞いてもらった方がいいんじゃないかと思」

「それができたら苦労しません!!」


 遠慮がちに言った答えは、途中でエヴァルトに遮られた。


「モニカさんを前にすると……何にも言えなくなってしまうのです……! いえ、仕事の話はできます。書類作成や労務管理、福利厚生の整備や予算の配分についての相談はいくらでもできますし、すべて明確かつ的確な意見をくれるモニカさんはさすがとしか言いようがなくて……!」


 しかし、実務についての会話ならいくらでもできても、私的な雑談となると急に言葉が出なくなってしまうらしい。


「そ……そうなんだ……」


 身もだえるエヴァルトを前に、ルカはたじろぐ。


 いつも冷静沈着頭脳明晰な敏腕執事のエヴァルトが、こんなに苦悩している姿は初めて見た。


「ルカ様! モニカさんを引き抜いてくださって心から感謝します!」


 エヴァルトはガバッと起き上がって、ルカの両手を強くにぎった。


「ルカ様だって不可能と思われた恋を叶えたのですから、私も負けてはいられません! 必ずモニカさんと日常会話ができるようになってみせます!」


 熱く誓って、エヴァルトは意気軒昂と部屋を出て行った。


 扉をくぐる時にまた壁に頭をぶつけたようだが、痛みは感じていない様子でそのまま立ち去る。


「……不可能と思われた恋、か」


 エヴァルトに言われた言葉をくりかえして、ヴィクトルは苦笑した。


「本当にその通りですね」


 ルカも屈託なく笑った。


 初めて恋に落ちた瞬間を──アレクシアに一目惚れした日のことを、まるで昨日のことのようにはっきりと思い出せる。


「今でも、奇跡だと思っています」

 

 手の届くはずのない人に、叶うはずのない恋をした。


 一生報われるはずのない、身分違いの片思いだった。


 それが、今。アレクシアと夫婦になって、ヴィクトルを義父と呼べているのだから、これ以上の幸せはない。


 不可能が実現した奇跡を、夢が現実になった幸福を、いつだって大切に噛み締めている。


「義父上、こちらの中辛口ハルプトロッケンも開けませんか?」

「いいな。飲み比べよう」


 ボトルのコルクを開け、新しいグラスにワインを注ぐ。


 義父と婿は顔を見合わせて笑うと、グラスを高く持ち上げた。


「──乾杯プロースト!」

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