第4話 愛は胃を通る

 この国には「愛は胃を通る」ということわざがある。


 美味しい食事を食べると愛情が深まる、という意味だ。

 料理上手の女は愛される、という意味で使われることもある。



 粉、塩、水。


 きっちりと計量した材料を調理場の台に並べて、ルカはシャツの袖をまくった。


 ふるった粉に、塩をといた冷水を一気に注いだ。指を大きく使って、全体を混ぜていく。


「つめたっ……!」


 粉類も水もよく冷やしておいたから、指先が凍えるほど冷たいが、この冷たさがコツだ。


 水が均一に行きわたるように。パンと違って練らないように。ボロボロとした状態になるように。手早く迅速に作業を行う。


 生地がまとまったら十字に切り込みを入れてから、しばらく休ませる。この間に具材の準備だ。

 

 あらかじめ塩を振って寝かせておいた牛肉に、強火で焼き目をつける。香味野菜ときのこをみじん切りにして、塩胡椒や数種類のハーブとよく混ぜておく。


 休ませておいた生地を切込みの部分から開き、綿棒で広げて厚みを均一にしたら、中央にバターを乗せて包む。


 バターが溶けださないよう、バターの層と粉生地の層がなじまないように注意しながら、綿棒で伸ばしつつ折り込む作業をくり返す。


 できあがったパイ生地の中に牛肉を置き、ソースを塗って包んだら、あとは焼くだけだ。


 薪をくべた石窯の中に入れ、わくわくしながらしばし待つ。


 やがて、こんがりときつね色に焼き色のついた、牛肉のパイ包みが完成した。

 

「どう……かな……?」


 ドキドキしながら顔を上げると、グッと立てた親指が二人分、ルカに向いた。


「いい焼き色ですね!」

「とても美味しそうです!」


 口々に言ってくれたのはハンスとヨハンだ。


 二人ともリートベルクの城で働く料理人だが、ハンスは元からこの厨房を取り仕切っている料理長で、ヨハンはルカの実家だった男爵家の料理長だった。


 ヨハンはまだこの地に来て日が浅いが、「美味しいものを作る人に悪い人はいない」と信じるハンスが料理人の先達として一目おいているベテランだ。


 料理一筋に生きてきたヨハンと、人なつこくて癒し系のハンスはすぐに打ち解け、今では長年の同僚のように仲良く厨房で腕をふるっている。二人のおかげで城の料理はますます洗練されてきたと評判だ。


 ルカはパイ包み焼きのうちの一つを携帯用の籠に入れた。


「残りはみんなで分けてくれる?」

「はい喜んで! いやぁ、うまそうですねぇ!」

「それじゃあ、行ってきます」

「いってらっしゃいませ、ごゆっくり」


 よだれを垂らしそうなハンスと、穏やかに微笑むヨハンに見送られながら、ルカは厨房を後にした。


「義父上!」


 尋ねた先の部屋にいたのは、見上げるような巨躯。


 猛禽類のような眼光と、百獣の王のような風格。堂々たる偉丈夫という形容がふさわしい大男は、アレクシアの父でルカの義父にあたる辺境伯ヴィクトルだ。

 

「義父上、今日もお疲れ様でした!」

「おおルカ君。君こそご苦労だったな」


 ヴィクトルは豪放磊落らいらくに笑ったが、眉間から頬にかけて大きな傷が走っているせいもあって、笑顔すらも苦みばしって見える。


 貴族の当主というよりも、裏社会の頂点に立つ首領ドンだと言われた方が信憑性のある外見だ。


 しかしルカはそんな義父の容貌を恐れたことは一度もない。出会った時から今まで、ひたすら強くて男らしくて格好いいと憧れている。


「村の人たちからお土産でいただいたワインを持ってきました」

「いいのか? すまんな」

「はい。義父上と飲みたいんです」


 無垢で邪気のない表情で笑いかけるルカ。


 彼の天真爛漫な笑顔を見ると、ヴィクトルは毎回「結婚してよかったな……」という気持ちになる。娘とルカが、である。自分とではない。


「ありがたくいただこう」

 

 土産のワインをひと口、喉に流して、ヴィクトルは唸った。

 

 材料となる葡萄がしっかりと育っているため、甘くないのにフルーティーな味わいがある。芳醇な香りとキリッとした辛味が心地よく、後をひく喉ごしまできっちりと締まっていた。

 

「この辛口トロッケンは特にいい。秘蔵の品なのだろうな」

「義父上のお口に合って良かったです!」

 

 ルカはにこにこと笑って、できたてのパイを披露した。


「おつまみに牛肉のパイ包みを作ってきました。ハーブとスパイスの配合を変えてみたんですが、ハンスさんたちもこっちの方が肉に合うって言ってくれたんです」

「君は本当によく働くな……」


 ヴィクトルは感心したように顎髭をさすった。


 ルカは昨日まで夜通しかけて農作業に行っていたのに、帰ってすぐに溜まった仕事をこなしたと思ったら、休む間もなく厨房に立って料理を仕上げてくるのだから、可愛い顔をして体力のある男である。


 ヴィクトルがまだ熱いパイにナイフを入れると、生地はさくさくほろほろと心地よく崩れた。


「……美味い……!」


 丁寧に作られたパイ生地は絶品で、中に包まれた牛肉には旨味がぎゅっと詰まっていた。


 赤すぐりのソースが見た目にも美しく、食欲を誘う。ワインとの相性も抜群で、ますます杯が進んだ。

 

「ますます腕を上げたな……」


 ルカの腕前はさらにレベルアップしている。料理人として一人立ちしても食っていけるのではないだろうか。


 それだけではない。肉に添えられた薄切りのパンは"シュロート"と呼ばれるライ麦のパンだ。


 シュロートとは「ひき割り」という意味で、胚芽を取り除いた全粒の粗びき粉を使っていることからそう呼ばれるようになった。


 シュロートは香り高く、脂肪分の多い肉料理とよく合いつつも、食物繊維が豊富で栄養価が高い。ヴィクトルの健康を気遣って作ったのだろうと察しはついた。


「義父上には、いつまでも元気でいていただきたいんです」

「ルカきゅん……!」


 まっすぐな目で言うルカに、ヴィクトルは乙女のように胸を押さえた。


「義父上が喜んでくださると、張り合いが出ます!」

「ルカきゅうん……!!」


 ヴィクトルはこれまで、さほど食に興味はなかった。


 貴族として育ってはきたが、長期の遠征の際には質素な兵糧ひょうろう食だけで過ごすことも多い。自分の城での食事さえ、焼いた肉と茹でた芋があれば充分だと思っていた。


 しかしこの年になって、まさかの婿の手料理によって舌が肥えつつあるとは想定外だった。


 この国には「愛は胃を通る」ということわざがある。


 美味しい食事を食べると愛情が深まる、という意味だ。


 料理上手の女は愛される、という意味でも使われることが多いが、何も女だけに限った話ではないかもしれない。料理上手の男だって愛される。


 ルカが作ってくれる料理は、込められた愛情が胃を通してそのまま伝わってくるようで、胸がぎゅっと心地よく鷲掴まれるような、そんな感覚がした。

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