第3話 夫婦の共同作業②
一帯の土をほぼ耕し終えた後は、草刈りに精を出した。
夏に向けて土が温まると、病害虫の発生も増えるため、対策の処理や駆除の準備もする必要がある。
夜明け前に始まった作業がひと段落したのは、日がすっかり高くなった頃だった。
ルカはこの数時間ですっかり農夫たちになじみ「あんた、やるなぁ!」と肩を組まれたり、「筋がいいな!」背を叩かれたりと打ち解けている。
手先の器用なルカと、無双の怪力を持つアレクシアは、どちらも農家にうってつけの人材らしい。
「今日だけと言わず、ずっと働いてくれたら助かるんだがなぁ」
「ああ。二人ともうちの農園に就職してくれよ」
「そうだな。世話になろうかな」
アレクシアが軽口を叩いた時。街道の左右に並ぶ木組みの家々の扉が開いて、若い娘たちが次々と出てきた。
「みなさーん、お疲れ様です!」
色とりどりのスカートをひるがえした少女たちが、はつらつと駆け寄ってくる。
男たちはシャツの襟を正したり手の土を払ったりと、急に落ち着きがなくなった。
「さしいれです。休憩してくださーい!」
若い少女たちの持つ籠からは、パンや菓子の甘い香りがした。
「やあやあ、悪いな……」
気取って格好をつけた男たちの前を無慈悲に通りすぎて、少女たちが一斉に群がったのはアレクシアだった。
「あの、とっても力持ちなんですね。すっごく格好良かったです!」
「お疲れですよね? これ、私の焼いたパンです。食べてください!」
輪になった少女たちにぐいぐい詰め寄られて、アレクシアは困惑した表情を浮かべた。
格好良かったと言われても、鍬をふるって土を耕していただけなのだが。
しかし好意で言ってくれているのはわかるので、冷たくするわけにもいかない。アレクシアは微笑んで礼を言った。
「ありがとう」
爽やかな笑顔に、キャーっと黄色い歓声をあがる。
少女たちはきゃあきゃあと色めき立ちながら、さらに輪を狭めてアレクシアを取り囲んだ。
(さすが、アレクシア!!)
ルカは満悦の表情である。
彼女の一番の
わかるぅ……と深くうなずいていると、一人だけ、ルカに声をかけてきた女の子がいた。
「……あの……」
「?」
長い髪を三つ編みに結った少女だった。そばかすの浮く顔を真っ赤にしながら、袋をルカにぐいっと押し付ける。
「わ、私が作ったクッキーです!」
「僕に?」
「はっ、はい! 嫌いじゃなかったら……食べてくれませんか?」
おずおずと震える少女に一瞬きょとんとしたものの、ルカは明るく笑んだ。
「どうもありがとう。大切にいただくね」
きらきらと光をふりまくような笑顔で感謝されて、少女は息を飲み、呼吸を止めた。極上の蜂蜜を溶かしたような、ルカの金色の髪がまぶしい。
「は……はわわわ……!」
いつになく浮き足立っている村の娘たち。
農夫たちは苦笑しながら、やれやれと肩をすくめた。
よそ者に血道をあげるなどみっともないからやめろ、と叱るところだが、一人は惚れ惚れするような凛々しい女だし、もう一人は妙に庇護欲をかきたてる可愛い顔立ちの男なものだから、少女たちが舞い上がる気持ちもわかってしまう。
休憩を経て、再び農作業を再開してからも、村の女たちは家事のかたわら、ちらちらと二人の様子をうかがっていた。
アレクシアがふと顔を上げて頬をゆるめただけで、またキャーッと悲鳴があがる。
ロバが荷を背負ってのんびりと街道を横切り、数羽のがちょうが一列になって水辺を散歩し、若い少女たちがうっとりと頬を染めて熱い視線を送る。
そんなのどかな光景の中、農作業は順調に進み、想定よりも早くにひと段落した。
「今日はごくろうさん」
「いやぁ、助かったよ!」
農園主をはじめとした農夫たちは快く、二人をねぎらってくれた。
「あんたたちがこんなに戦力になってくれるとは思わなかったよ。本当に報酬は要らないのかい?」
「はい。実際の作業を体験できただけで充分です」
「へぇ。都会の連中は欲がないんだねぇ」
感心したように言って、農園主はセラーから数本のワインを持ってきた。
醸造家が自分たちで楽しむためにあえて市場に出していない、とっておきの
「じゃあせめてうちの自慢のワインを持って行ってくれ。これは
「わぁ、ありがとうございます!」
男たちからは秋の収穫期にもまた来てくれないかと頼まれ、女たちからはこの村に移住してきてくださいと強くせがまれ、にぎやかに別れを惜しみながら、二人は農園を後にした。
「いい村で、いい人たちだったね」
「ああ」
馬に乗って帰路をたどりながら、ルカとアレクシアは穏やかに顔を見合わせた。
「アレクシア、疲れていない?」
「いや。大丈夫だ」
初めて体験する作業も多かったが、疲労はさほど感じなかった。
むしろ大地に根ざし、自然と共存し、実りを得るのは素晴らしい仕事だと改めて実感する。
「たった一日手伝ったくらいで、わかったような顔をするのはおこがましいが……」
農夫たちの努力が畑を潤し、作物を育て、ひいてはこの地方の自給率を上げて経済を回してくれているのだ。
この地は民に支えられている。領主側の人間として、アレクシアは感謝を胸に刻んだ。
「新しい農耕具は好評みたいだね。作業の負担もかなり軽減されたって喜んでくれてたよ」
「そうだな。やはり導入して良かった」
「収穫後のことも考えると、新しい圧搾機もあったらもっと作業が楽になるんじゃないかな?」
「そうだな。確かに……」
アレクシアが考え込むと、ルカは朗らかに笑った。
「僕が購入しようか? 今から手配すれば、秋の収穫期までに間に合うと思う」
ルカはこう見えて、国内有数の資産家なのである。
ルカの実家のヴァルテン男爵家はもう存在しない。貴族の地位を返上し、廃絶となったからだ。
しかしヴァルテン家の保有していた巨額の財産は、唯一の相続人であるルカがすべて継承した。彼はそれを持って、リートベルク辺境伯家に婿に来たのだ。
「ルカの個人資産は自分のために使えと言っているだろう」
「僕が財産を相続したのは全部君のためだよ。君が使いたいことに使うためだ」
ヴァルテン家の資産はリートベルク家に合併されたわけではない。あくまでもルカの個人財産だ。
彼はただ実家から富を受け継いだだけではなく、事業へ展開したり投資に活用したりと、積極的に増やそうと努めている。愛する妻はいずれ辺境伯家の当主となる人だからだ。彼女の願いを叶えるために、金はいくらあってもいい。
「僕はリートベルクの領民にはどこの民よりも、世界一幸せになってほしいと思っている。それが君の一番の願いだから」
まっすぐな瞳に射られて、アレクシアははにかみながらうなずいた。
川のせせらぎが流れる中、丘の斜面に沿って、葡萄畑が連綿と続いている。誘引したばかりと弦と葉の間に、黄色がかった薄い白の花がほころんでいた。
この花がしっかりと受粉してくれたならば、やがて実がつく。
厳しい冬を乗り越え、寒さとひきかえに甘みを閉じ込めた──極上の果実が成ることだろう。
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