回想二

 別に期待をしていたわけではなかった。だってそうでしょ?ついこの間まで赤の他人だった二人の、口頭での会う約束なんて、してないに等しい。私がなら自分の立場でも相手の立場でも会わないだろう。それでもわざわざ足を運んだのは、それだけ私は死にたくて、或いは生きたかったのだろう。時間より早く訪れたにも関わらず先についていた彼は相変わらず温和な笑みを浮かべていて、まともに笑うことすらままならない私をちくりと刺した。

「なんでいるんですか?貴方は人が良すぎです。もう少し自分のやりたいことをしたらどうですか。」

「いいんだよ。これが今の俺のやりたいことだからさ。それに、そんなこといったら君も人を疑うことをした方がいいんじゃない?俺が悪い大人だったらどうするのさ。」

「私はいいんです。仮に貴方が悪い人だったとしても、拷問にかけられるような価値を私は保有していませんし、なんならそもそも生に固執する理由もないですから。むしろ悪い人だった方が幾分か気が楽です。」

他人とは思えないくらい不思議なほど違和感なく言葉を交わし、その後彼に勧められてカフェに腰を下ろす。

「何がいい?俺はコーヒーを頼むけど。」

「前も奢ってもらいましたが、いいんですか?私は遠慮しませんよ?」

「いいね。子供らしい子供の方が俺は好きだね。」

では、と私は宣言通り遠慮なくココアを頼んでもらい、それから再び会話をする。以前私の生い立ちを聞かせてくれたからと、今日は彼の生い立ちを教えてもらった。お人好しなのは自覚していて、親の影響らしい。正義感のある、優しい父親だったそうだ。それと、彼本人は教師をしているのだそうだ。うちの担任の先生のしかめ面を想起したあとで、彼の柔和な笑みを眺める。なるほど、天職なのだろうな。他人ながらにそう思った。

「教えることが好きなのですか?」

「うーん、まあそうだね。好きだよ。」

「そうですか。私は誰かが誰かに教えるって行為は嫌いです。なんか、傲慢じゃないですか?」

純粋な疑問だった。そして、純粋な感想だった。たしかに大人たちは私たち子供より経験を積んでいるのだろう。学力もある。力もある。でも、どういう道を進むかは人それぞれで、他人の進む道の完全な道標になることなんて不可能だと思う。だから私は誰かが誰かに教えるなんてこと、烏滸がましいと思ってしまう。

「わかるよ。君の気持ちも。」

彼は言う。

「でも、俺らが教えてるのは道の数とその進み方だよ。」

続けた彼は少し難しいことを言った。

「…つまり、どういうことですか?」

「例えばこの先に分かれ道があるとしよう。でも、君はその分かれ道がいくつに分かれているのか、どこに繋がっているのか、どう進めばいいのかをまだ知らない。だから俺らがどんな道なのか、分かれ道の数とか、進み方とか、どこに繋がっているのかを教えるのさ。そうして、その知り得た情報をもとに、皆は自分でどの道に進めばいいか、どの道に進みたいか、どの道なら自分が進めそうかを考える。そういうのが、大人と子供、教える側と教わる側の立場だと俺は思うんだ。君の生きる理由も、本当は俺や、君の親でさえ、進み方とかしか教えられなくて、どの道に進むか、つまり、どうやって生きるかは君が自分で決めることなんだよ。」

難しいことをまるで子供が夢を語るかのように話す彼は、この瞬間、私にとって「先生」になった。

「難しいですね。」

私が呟くと「難しいよな」と先生は笑った。

「でも、先生の言いたいことはなんとなくわかりました。世の中が全員、先生のような人ならいいのにって少し思いました。」

「おいおい、滅多なこというものじゃないぞ。」

先生は俺だってまだ教えられないことばかりだと、白い歯を見せて笑った。

先生なら、私にどんな道を教えてくれるのだろうか。今以上に生きるのに疲れてしまったら、諦める道もちゃんと教えてくれるのだろうか。先生の目を見ながら口に含んだココアは気持ち悪い程甘く感じた。

「それにしても、君は子供とは思えないほど思慮深いね。」

「そんなことはないですよ。今、知らない成人男性とお茶するくらいには無邪気な子供のつもりです。」

「あー、はは、そうかもな。それは確かに思慮深いには当てはまらないかも。一本取られたな。」

とらえ方によっては皮肉にも聞こえるそれに対して気分を害されたようでもなく笑う先生はやっぱり少し嫌いで、私はため息をついた。ココアが入ってた空の入れ物を眺めていたら、「もう一杯ほしいかい?」と声を掛けられる。そんなつもりは全くなかったので首を横に振ったはずなのだけど、先生は勝手に私の分としてココアを頼んだ。もしかして、彼は私を太らせて食べるつもりだろうか。

「そういえば、君は学生だろ?勉強の方は……」

下らないことを考えいたら、先生は新しい話題を用意してくれた。言葉をいいかけて、ふと訝しむように私を見た。

「……学校は行っているよね?」

「舐めないでください。そういうところはちゃんとしてます。」

「ごめんごめん。でもまあよかったよ。それで、勉強の方はどうだい?」

実は致命傷な話題を回避することのできなかった私は苦い顔を作る。それを見た先生は「初めてコーヒー飲んだ人みたいな顔してるよ」と意地悪く笑った。そんなこと言われても、誰に教わることもかなわないのだから多少成績不振になるのも許されていいのではないだろうか。私は店員さんが持ってきたココアにため息を溶かしてから啜る。先生もそんな私を見ながら追加のコーヒーを飲む。相変わらず砂糖は溶かさない。

「俺が教えてあげようか?」

脈絡としては正常なはずではあったのだけれど、ひねくれものの私とこの先生の間で起こる会話に一瞬意味を考えようとしてしまって、間が開く。

「勉強。これでも人に勉強教えるの得意なんだよ。」

本職だからねと笑った先生にこの人はどこまでお人よしなのだろうかと、私は呆れるばかりだった。先生はいいことを思いついた子供のような顔をしながら「そうだ、それでいこう。」と独りごちる。

「一応確認しておいてあげますけど、何を思いついたのですか?」

「君、俺に生きる理由を考えてほしいって言ったよね?この前は結局個人的なものって言ったけど、君がどうしても誰かから渡された生きる理由に依存したいなら、とりあえず当面は勉強を頑張る、でいこう!」

「それは目標であって、理由ではなくないですか。」

「あれ?確かに。」

先生はうーんと考え込む素振りを見せる。その隙に私はもう一口ココアを飲んだ。

「じゃあ勉強ができるようになって自己陶酔感を高める、とか?」

「それ、私がナルシストみたいじゃないですか。しかも結局理由かと聞かれると微妙な感じしますし。わかりました、そもそも言い出したのは私ですし、先生の場合本気で心配して言ってくれているのはわかるので、ここはおとなしくお言葉に甘えておきます。」

私が優しさに甘える側なのに偉そうな言い方しかできない子供な自分も、それを気にも留めてなさそうににこにこしてる大人な先生も、世界も、全てが憎らしく思いつつ私はお願いしますと頭を下げた。

 勉強を教えてもらうために来週も必然的に会うことになった私たちは、「また来週」という言葉を皮切りにそれぞれの岐路に戻る。この奇妙な関係はいつまで続くのだろうか。私は小道の石をけりながら妄想にふける。結局私の生きる理由はわからない。先生は、私がそれを見つけるまで付き合ってくれるのだろうか。もう一度けった石は排水溝の溝に落ちて、ふてくされた私は考えることをやめて、どこかで聞いた鼻歌を歌うことにした。鼻歌が同じフレーズを三回繰り返す頃には叔母の家についていて、とっくに失われたはずの嗅覚が今日の晩御飯を肉じゃがだと教えてくれた。私が玄関を開けるとちょうどご飯を用意していたところで、いつもより少し早く帰ってしまった自分を恨む。ここ最近は気まずくならないようにお互いのために変える時間を遅くしていたのに。気の緩みだろうか。私は先生を想起する。とりあえず私は席に着いて、いただきますと述べる。私用ではなかったのであろう少し背の高い椅子。きれいな食器。そのどれもに罪悪感がわく。私がここにいていい理由がないことに気づかされる。どうしよう。美味しいはずの肉じゃががいつもより味がしなくて、しまいには飲んだ水に甘ったるいココアの味を思い出す始末だ。もともと正常であった自信はなかったけど、先生とあってから私はより変わっていっている気がする。いい変化、なのだろうか。唾液にとけた最後のごはんを飲み込みながら私は考える。いい変化だといいな。自分のことのくせに人ごとのように考えながら、私はきちんとご馳走様を告げた。私がリビングを出る一瞬前、叔父が私に何か言いかけたような気がした。なんて希望的な勘違いをするくらいには私は今日は疲れていたらしく、すぐにお風呂に入って、その後は筆を執ることもなく、ベッドに沈み込んだ。

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