第十話「愛を咲かせる桜の木」

「アレを使うしかないのか…。」


 神楽、絶対絶命のピンチ。

 死を覚悟し、静かに息を吸って声を出しかけたその時――


「神楽くん!!」


 聞き覚えのある声が聞こえ、神楽は思わず息を止める。それを合図に、一頭から放たれた弾丸が雨のように神楽に向かって降り注ぐ。


 神楽の体に突き刺さるまであともう一秒もしないであろうという時、神楽の頭上を無数の矢が駆け抜け、敵の弾丸と撃ち合って目前で爆発が起きる。


 それをチャンスと見た神楽は、封印の書を手に取って柄へと重ねて、応用術の楔を発動する。すると、草木の枝が伸びていくかのように、剣を介しながら突き刺している一頭へと楔が侵食し、一頭の首はその場で重力に従って地に落ち、一頭の動きを完全に停止することに成功する。


 光線を放っていたもう一頭もそれと同時に、どこからともなく放たれた無数の矢に貫かれ、風穴を開けられた後にその場で倒れ込んだ。


「神楽くん、大丈夫!?」


 真っ青な空のキャンパスにひょこっと写ったのは、息を切らしながらも駆けつけた鈴音の姿であった。


「…あぁ、死ぬかと思ったぁ…。」


「もう、笑ってる場合じゃないって!」


 神楽は思わず安堵で口角が上がってしまうが、鈴音からしたら笑い事では無い。


 ひとまず突っ込みを入れたところで、鈴音は倒れたままの神楽に手を差し伸べると、それを神楽は握りつつ、ゆっくりとその場から立ち上がる。


「ありがとう、本当に助かった。他のみんなも来てくれたのか?」


「うん!みんなで急いで東京から戻ってきたよ!手分けして撤退の援護しようって別れた感じ!」


「そうか、じゃあ一旦引いて立て直そう!」


 神楽は軽やかに撤退を促すが、びっこを引く歩き方に気づいた鈴音は背中から言葉を掛ける。


「神楽くん、足大丈夫…?もしかして怪我とか…」


「あ…あぁ大丈夫。前の怪我がまだ治ってなかったみたいだ。意識してないとバランスは取りにくいけど。とりあえず行こう。」


 神楽の負傷に一抹の不安を抱きつつ、倒れたオロチを背にして撤退をする。


 一方、その地とは少し離れたところで扇浦も苦戦していた。


「くッ…もう限界か…!」


 電撃の光線を受け止めているその横から、もう一頭が顔を覗かせ、口元から炎を煮えたぎらせる。


 ここで焼き尽くされて終わりなのかと、自身の最後を悟り出したその時であった。


「やぁあああッ!」


 その刹那、現れたのは一つの影であった。形を成さないその影は、電撃を放つ一体の頭を貫き、かと思えば真横にいた一体も粉々に切り刻み、二体はヘドロを宙にばら撒きながら頭の形を無くす。


 そして影は、人の形を成して扇浦の前に姿を現した。


「お、お前は…?」


 淡い青髪でツインテール。

 目の前に現れた女の子は、二カッ笑いながら扇浦へ振り向いた。


「久しぶりだね〜、刑事さん?」


「お前は…麗奈か!?なぜここにいる?東京が活動範囲では無いのか?」


「まぁ…色々あったんだよ。団長がうるさくてさぁ、わかるでしょ?あ、後で団長もくるよ?」


「そうなのか。今はこの上ないぐらいありがたいな。人数が多い方が生き残れる。」


「まぁ、今はねぇ。」


 半ば下を向き、少々苦い笑いを含みながら麗奈は言葉を口にした。


 扇浦の元に麗奈が駆けつけたその一方、氷像にされた愛桜の元にも援軍が駆けつけていた。


「うりやぁぁあ!!」


 冷気を発する一頭の頬に、金の延べ棒が勢いよく突き刺さり、衝撃波と共に真横のベクトルへと強く吹き飛ばされる。


「ふぅ、何とか間におうたなぁ。あらまぁ、こんなんになっちゃって…。妹ちゃん、大丈夫か?」


 援軍に駆けつけた猿之助が、氷像になった愛桜を指でコンコンつつきながら話しかける。すると、それに呼応したかのように氷像の中で剣が紅く熱を帯び始め、次第に氷は水へと形状を変える。


「ぷはぁ!し、死ぬかと思ったぁ…。」


 氷から解き放たれた愛桜はまず大きく一息。身体中に酸素を行き渡らせる。


「どやった?氷の中での暮らしは?」


「もうほんっとに最悪!寒いし冷たいし、何より呼吸出来ないのが辛かった!」


「そうかそうか!まぁ無事やったら何よりや!」


 猿之助は、愛さくらの無事を確認して「がはは」と大きな笑いをあげる。


「…あっ、どこも怪我はありませんか!?」


 妊婦がいた事を思い出し、急ぎ振り返り状況を確認する。すると、妊婦は唖然とした状態で口を開く。


「あ、あの…はい、おかげで…。」


「良かったぁ…」


 何事も無いことを確認した愛桜はほっと一息吐いて胸を撫で下ろす。


「今まで良く耐えた!あとは三人で逃げるだけや!ほな、」


 猿之助がそう言うと、金の延べ棒がヘビのようにスルスルっと伸び、妊婦の体に絡み付く。その動きで嫌な予感がした愛桜は、思わず声をかける。


「ねぇ…ひとつ聞いてもいい?逃げるって、どうやって逃げるの?」


「ん?なんや、そんなことを聞いて。そりゃぶっ飛んで逃げるに決まっとるやろ?」


 猿之助は、がっちりと愛桜の腰を掴んで――


「ほな、しっかり掴まってな!いち、にぃ…」


「ちょ、ちょっと待って!まだ心の準備が…!」


「さああああん!」


 掛け声と共に、延べ棒の下辺が勢いよく伸び、三人は宙に向かって発射される。


「「ぎゃぁぁぁあ!!」」


 女性陣二人は大声で叫ぶも高い空の上ではどうしようもなく、目をつぶって、ただただ自分が死なないことを祈るのみであった。


「お、どうやらこの方角で正解だったみたいやなぁ。降りるで!」


 再び下辺が勢いよく伸び、延べ棒が一点の地面へ着地すると、その位置に向かって空から引き戻される。


「「あばばばばばばッ!」」


 大きなGが掛かり顎を開けることが出来ず、言葉にもならない叫び声で女性陣はただ無事を祈る。


「よし、二人とも着いたでー!」


 吹き上げる風と打ち上がるような重みが消え、足に硬い感触を触れたことで、二人は生きて地上に帰られたのだということを悟る。だが、息はしているというだけで、生きた心地など到底するものではなかった。


「わ、私…生きてる…?もうだめ…。」


「うっ…気持ち悪いです…。」


 二人は開放されるや否や、その場に四つん這いになって倒れ込む。その内、妊婦に声を掛けたのは一人の警官であった。


「大丈夫ですか!?お前ら、この女性を今すぐ安全な場所へ運べ!」


「「はい!」」


 眼帯を着けた警官――扇浦那義はその場に居合わせた警官たちに妊婦の搬送を指示する。妊婦は顔面蒼白になりながらも、何とか担架に乗せられてまだ被害の無い方向へと運ばれる。


「あ、愛桜…大丈夫か?」


 一方で、倒れ込む愛桜に話し掛けたのは兄である安倍神楽であった。


「お兄ちゃん…。もうだめ…私、最後にお兄ちゃんの顔が見れて満足だ…よ。」


 愛桜はそう言いながら、音を立てて胸から地面に落ちる。


「愛桜…?おい、あいら!あいらぁぁあっ!」


 倒れた愛桜の肩を揺さぶりながら叫ぶ神楽。その二人の間に、一粒の薬剤が割り込む。その手の先を見ると、扇浦が突っ立っていた。


「これ、吐き気止めだ。妹に飲ませてやれ。」


「…ちょ、ちょっと…。こんな状態なのに、まだ働かせる気…?」


 愛桜は顔を地面にうずくめながら、弱った声で扇浦に話す。


「当たり前だ。気持ち悪いだけならこれを飲めば治る。あいつに対抗できるのは私達しかいない。君の力が必要なんだ。」


「ぅ…うぅーん。」


 愛桜は悩むような呻きを上げた後、しばらく間を空けてから扇浦の手元から錠剤を取り、それを口に含んだ。


「薬が効くまでは寝かせて…。」


「あぁ、もちろんだ。まぁ、その時間があればだけどな。」


 神楽、鈴音、愛桜、猿之助、扇浦、麗奈が揃った先には、大地を踏み鳴らしながらこちらへ進み続けるヤマタノオロチが見えていた。


「どうやら休む暇は無いみたいね…。」


 その光景を目の当たりにした愛桜は、やれやれとした顔でよろよろと体を起こす。


「状況は飲み込めたようだな。」


 今までのように小人数で勝てる相手では無い。勝てたとしても負傷者を多く出すことになるだろう。それを防ぐためにも一刻も早く、そして多くの戦力で叩く必要があるのだ。


「みんな〜おまたせぇ!」


 その時、手を大きく振りながら、俗にいう女の子走りで一人のオカマが駆け込んできた。


「え、副団長だけじゃなくてまさかアンコさんまで来たんですか!?」


「そうよぉ、アタクシのマイスイートハニーがピンチだって聞いてねぇ。」


 東京から副団長とアンコが来たことに、神楽の心には思わず嬉しさと驚きが湧き上がる。だが、当の本人である麗奈はアンコに何か言いたげな様子であった。


「団長!遅いですよ!何してたんですか!」


 思ったよりも遅い到着となったオカマことアンコに対し、麗奈は腰に手を当てながら遅くなった理由を問い質す。


「ごめんなさいねぇ、ちょっとお店を閉めるのに手間取っちゃって。」


 アンコが合流したことで、ここに東京組の麗奈を加えた神楽の守り人の全員集合がなった。


「全員揃ったな。神楽、みんなが得た敵の情報を整理しよう。」


「あぁ、分かった。」


 それぞれが捉えた敵の特徴を言葉に出し、それをまとめる。


 確定事項として、ヤマタノオロチは全部で八つの頭があり、それぞれ能力が異なるということが挙げられる。


 そして、現在わかっている能力は①火炎 ②凍結 ③電撃 ④ガトリング ⑤分裂 であり、残りの三頭は分かっていない。


「そして攻略の仕方なんだが、正直なところはこの大きさの悪魔の生まれが、人に取り憑いたものなのか、それとも人々の大きな思いからなのか全く分からない。」


 人に取り憑いたものならばその人ごと取り込んでいるため、体内の憑依者を取り除けば悪魔は存在できなくなる。だが、もし恐怖などの人々の大きな思いが生まれであるならば、敵の弱点を突いて弱らせ、その上で封印の書で消し去る以外方法が考えられない。だが、どちらにせよ――


「とりあえず、悪魔にダメージを与え続けて弱体化させていくことが必要だと思う。首を切ると下がる特徴が共通してたから、もしかしたら首を切ることが近道になるかもしれない。相手は悪魔には珍しい知性的な闘い方をしてくるけど、同時に自分の弱点も認識している可能性も高い。」


「…つまり、下がるっちゅーことは何かしらの理由があるって考えられるわけやな?」


 猿之助が神楽の説明に補足を入れ、神楽は大きく頷く。


 自分の時や扇浦の時を振り返ると、敵の弱点を認識した上で行動している可能性が非常に高い。相手の特性に合わせて戦う程の知性があるならば逆に、自分の強みと弱みを知っているわけだから、弱点は隠している可能性が高いと踏んだ。


「そこで作戦なんだが…」


 敵は、自分たちの弱点に合わせて能力を使い分けてくる。一体一は避けた方がいいだろう。そして、相手は巨大な分動きがのろい。これらから――


「お互いの弱点を補完できるペアで基本的には動く!もし自分たちと相性の悪い相手だったら、他のペアと交代で動いてくれ!」


 仲間はその言葉に頷き、お互いが補完できるペアを作る。


「俺は一人で残りの二体を相手する!」


「ちょ、ちょっと神楽ちゃん。そんな体で大丈夫なのぉ?風の噂で、大怪我をしたって聞いたけど…」


「今のところはまだ歩けるから問題ない…それに神器をふたつ持ってる自分が担当するのが一番良い。最悪…何とかする。」


「そうだけどぉ…。」


 アンコは何か言いたげにしながらも、神楽の体を心配する。その横から、猿之助が神楽へ向かって近づく。


「…神楽、絶対無理するんやないで。時間稼ぎでええ、頭数を減らしたら直ぐにそっちへ向かう。」


「あぁ…よし、みんないくぞ!」


 神楽の掛け声に合わせ、七人は一斉にヤマタノオロチへと立ち向かう。


 その存在に気づいたヤマタノオロチは、天に向かって八つの頭で大きな咆哮を上げる。


「よし、バラけろ!」


 愛桜と鈴音、猿之助とアンコ、麗奈と扇浦…そして中央に神楽に別れた。


「あなたとは協力したくないけど…今は水に流してあげる!」


「どうもありがとっ!」


 こちらに向けて構えるガトリングに対し、鈴音は一矢を構えると…


「…ごめん、神楽くん。フルバースト!」


 1本の矢を放つと、宙で無数の矢に分裂してガトリングの弾と音を立てながら撃ち合う。その間に――


「横がガラ空きよ!」


 ガトリングを撃っている一頭の真横へと瞬時に回り込み、そして首を撥ねた。


「すごい…なんでそんな早く動けるの?」


 その素早さは、まさに人外並みだ。あのウサイン・ボルトでも人の形として捉えることはできるというのに、愛桜は人の形を成さない影としてでしか認識できない。なぜ、その素早さが実現できるのだろうか…。


「ふふーん!代償から得られるものもあるって前に言ったでしょ?私の代償は言ったら血液なの。体内の血液を消費して炎を燃やす。でも逆に、血液を操作することが可能になったってわけ。」


 動いたら疲れてしまうというのは誰しもの共通認識だろう。では、なぜ体は動くと疲れてしまうのだろう。それは、栄養や酸素が細胞に行き渡らないためだ。


 体を動かすためにはエネルギーが必要不可欠。そして、そのエネルギーを届けるために心臓の鼓動が速くなったりする。つまり、血流を良くしてしまえば…


「――早く動けるってわけよ!」


「ちょっとよく分からないけど…分かった!」


「…ほな、どいたどいたどいたぁぁ!」


 二人の頭上を、金の延べ棒に乗った二人が通り掛かる。


「アンコいくでぇ!ワイらの力、見せつけるんや!」


「そうねぇ!さぁ、いくわよいくわよー!」


 真横に伸びた延べ棒は一頭の付近まで急速に伸び、


「これでもくらいなさ〜い!美脚あたぁあっく!」


 アンコがヒールを一頭の方向へ伸ばすと、今度はヒールの先が急激に伸びて、大量の突き蹴りをお見舞する。


「あちょちょちょちょちょ…ちょぉあ!!」


 突き蹴り一つだけでは首を落とすことは出来ない。だが、突き蹴りを短期間で大量に行うことによって敵を穴だらけにし、首を無きものとする。


「よし、猿ちゃん!次はあの子にお仕置するわよぉ!」


「任せときやー!」


 延べ棒は二人を乗せたまま次の一頭に向かって伸び進む。


「…あいつら派手にやってんな…。」


「刑事さん、私達もいきましょ」


 麗奈、扇浦ペアの前に現れたのは二頭。挟まれるような形となり、二人は背中合わせで構える。その内の一頭の周囲に電撃が走り、直後に電撃の光線を二人に放つ。


「いけ!殺戮の扇子!」


 雷のような轟が響きながらも、その電撃を扇子が盾となり受け止める。しかし、その反対からは火炎のブレスが迫っていた。


「こっちは任せて!はぁあっ!」


 麗奈が手を前にかざすと、冷気によって即席の氷盤を作り出され、火炎のブレスを受け止める。


「はぁ!」


 その刹那、氷盤を残したまま麗奈は真上へと飛び上がり、


「――フルバースト!」


 氷で出来た白銀の槍を火炎のブレスを放つ一頭に投げ飛ばす。頭上に刺さった一頭は槍から放たれた冷気によって、その瞬間に氷漬けにされて動きを止められる。


「…なッ!?麗奈危ない!」


「…ぇ?」


 敵の反応速度は素早かった。

 飛び上がった麗奈を見るや否や、扇浦のことは諦め、麗奈に向かって首を大きく振った。


「ガハッ…!」


 油断を付き、麗奈の腹部にオロチの頭が衝突する。その衝撃によって麗奈は海の方へと高く打ち上げられ、青い空が目前に広がる。


「ぁ…。」


 目の前が暗転していくと共に、痛みがすっと消えていくのが分かる。頭の後ろを引っ張られているような感覚。意識が徐々に遠のいていく…。


「ッ…!!」


 しかし、こんなところで死ぬ訳にはいかない。その強い覚悟で何とか薄れゆく意識から自分を取り戻し、周りの景色に焦点を合わせる。


「これでッ…!」


 海へと着水する瞬間、手足から冷気を発することで海を凍らせて着地する足場を作りあげ、見事海面に着地することに成功する。そして、空気中の物質の温度を急激に変化させることで…


「はぁぁあっ!」


 爆発的な勢いを生み出し、放物線を描きながら風を切るように宙へと飛び上がった麗奈は、オロチの頭を捉え――


「くらぇええっ!!」


 オロチの真横から、瞬時に作りあげた氷の剣で一頭の首を両断する。


「うお…やるな。」


「まぁね〜。」


 これで八頭中四頭の首が撥ねられた。その内の二頭を相手取っていたのは、神楽であった。


「ヴぇああぁあ!」


 交互に繰り返される体当たりに対して、神楽は剣と封印の書を使って凌ぎきっていた。


 二頭は能力が不明な個体だ。だが、今の所は体当たりのみで能力を使ってくる気配は無い。恐らく、ノーマルな個体なのかもしれない。


「…まだ余裕だな。」


 各々がオロチの首を撥ねているのが見える。副団長が首を撥ねて、残りは三頭ぐらいであろうか。このま二頭を凌ぎきって、応援が来るまで耐えれば…


「――また来るか」


 繰り返される体当たりに、適当に剣を振るってやり過ごす。だが、神楽はどこか違和感を感じていた。


「まて、もう一体はどこだ?」


 思えば体当たりを繰り返すのは一頭だけで、いつの間にかもう一頭の姿が消えていた。長い首があるおかげで敵の位置を見逃すということは無いから、この場にいないということは引いたのか、それとも応援に行った可能性が高い。


「とりあえず、ここを耐え凌げば…っ…!?」


 再び体当たりをしてくる一頭を退けたその時――その一頭の影に隠れて長く短い舌が神楽の体を縛り付けた。


「ぐっ…ぁぁあッ!」


 強烈な縛り付けに、神楽は思わず右手に携えていた創造の筆を落としてしまう。


「お兄ちゃん!?」


 その叫び声に真っ先に気づいたのは、妹の安倍愛桜であった。愛桜は神楽の方を振り向くと――


「――ブースト!」


 身体中の血液の流れをさらに加速させ、影となって神楽を縛り付ける個体に対して剣をふりおろす。だが…


「うぁっ…!」


 その刹那、甲高い金属音と共に先程の柔らかさとは違った感触を覚える。


「こ…これは…!」


 そう、神楽を縛り付けているその個体は無能力ではなかった。身体を神器でも簡単に斬ることの出来ない程にまで硬化させる、メタル化だったのである。


「ぐっ…がぁぁっ!!」


「お兄ちゃぁぁん!!」


 愛桜の叫びも虚しく、神楽は舌で縛られたまま、ヤマタノオロチ本体の方へと引き寄せられる。


「くそ!神楽が捕らえられたか!」


 そこに二頭を討伐した扇浦・麗奈ペアが合流する。遅れて、猿之助とアンコも合流する。


「ど…どうしよう…お兄ちゃんが…。」


「…あ、愛桜…その傷…!」


「…ぇ、」


 扇浦に指摘され、愛桜は自身の体に目を向ける。


 腕や足、あらゆる部位には赤い斑点が大量に刻まれ、血管は異常なほど大きく太り、中には出血をしているものもあった。


 それは、愛桜の代償が命に関わる所まできていることを知らせていた。


「あ、あれ見て!あれ!」


 その時、麗奈が焦りながら指を指す。みんなが視線を移すと、そこには縛られた神楽を狙う火炎のブレスを用いる一頭がいた。


「さっきやったはずやのに…あれじゃ丸焦げや!」


「…お兄ちゃん…お兄ちゃぁああん!!」


「おい待て!その体じゃ!」


 愛桜は自身の体の変化を知りながらも、扇浦の静止を振り切り、一番にヤマタノオロチに向かって駆け抜ける。


「なんてバカなことをするんだ!」


 扇浦が駆ける愛桜の背中を追いかけようとするも、その前に二頭が咆哮を上げながら扇浦の行く手を阻む。


「クソッ!」


 ヤマタノオロチ本体に向かう少女の背中は小さくなっていく。だが、そう簡単に近づくことを許すような敵ではない。その行く手に一頭が立ちはだかる。


 一頭が一直線に向かってくる愛桜を捉えると、青白い冷気を含み、そして愛桜に向かって冷気のブレスを放つ。


 煙が立ち、地面が凍る。

 だが、その場に愛桜の姿は見当たらなかった。


「ブースト!」


 声が聞こえたと思ったその時にはもう遅かった。肉が弾けるような音と共に、視界が地面に落ちる。


「はぁああっ!」


 落とした一頭の首の上を辿って駆け抜ける。人の目には形として残らない。黄色に輝く影だけが、ただそこにはあった。


 だが、その閃光を目印に横で狙っている一頭がいた。愛桜の位置を捕捉すると一頭の口元が開き、ガトリングで愛桜を殲滅しようとする。だが――


「――じゃますんなあ!」


 愛桜の声が真横で聞こえたと思ったら、そう認識した瞬間に首は切られる。


 全身の血液の流れを加速させることで栄養を細胞に行き渡らせて身体能力を向上させる、愛桜の代償を逆手に取った応用技。形も残らないその素早さに、ヤマタノオロチも歯が立たなかった。


「今…ここでやるしかない!はぁあっ!」


 二頭を次々に倒した様子を見た麗奈は、手元にあった氷結の槍を宙へ投げる。それが一頭の頭に突き刺さり、その槍を中心として青白い輝きが広がり、瞬時に凍結させる。


 同時に麗奈は勢いよく走り、冷気の放物線を描きながら空高く飛び上がり、


「フルバーストッ!!」


 冷気で作り出した片手剣で凍結した一頭を貫く。まるでガラスにヒビが入ったかのように、凍結した頭から首元まで粉々に砕かれ、氷塊として地に落ちる。


「よし、やったわ!」


 と安心していたのも束の間、麗奈の背後から電撃を構える一頭が顔を出し、電撃が一頭の周りを走り始める。


「麗奈ちゃんあぶなぁあい!!」


 麗奈の背後の敵に気づいた鈴音は矢を構える。だが、一体どうやってあいつを止める…。


 普通の矢では対象がデカすぎて不可能だ。フルバースト技を打ったとしても、あれは広範囲を狙った技であり、本体には刺さっても電撃の攻撃は避けられないだろう。一体どうすれば…どうすれば…


「…いや、やるしかない!」


 私はなんのために契約者になった?――大切な人を守れるためになったはずだ。それなのに、目の前の人を救えなくてどうする。


 やれないじゃない、私がやるしかないんだ。

 運命も…限界も…超えろ!


「私たちは…負けない!」


 刹那、鈴音を取り囲むように虹色に輝く矢が展開する。そして――


イヤーアロー!」


 直後、水色の矢から真っ赤に燃え上がる赤色に輝く矢に変わり、紅の矢を麗奈の方向に向かって放つ。


 放った赤き矢は鳥が翼を広げたかのように広範囲な炎を纏いながら直進し、麗奈の背後へ迫った一頭の首を撥ね、燃やした。


「あれは…まさか…。」


 突如、見知らぬ技が飛んできた麗奈は驚きながらも振り向き、鈴音の姿を見て一言――静かにそう呟く。


「嬢ちゃん!わいに向かってぶっとくてぶっぱやい矢を打ってくれ!」


「わ…分かった!ックドラガーアロー・改!」


 周囲を取り囲んで飛ぶ矢を五つ掴むと、次は漆黒に染まった矢となり、束ねた矢を猿之助の側に向けて放つ。


「いくでぇ!!」


 その矢を捉えた猿之助は矢に向かって飛び乗る。飛び乗った矢は猿之助の背後にいた一頭に向かって一気に加速し――


「これでも喰らいやがれ!」


 空気を切り裂きながら一頭に近いた猿之助は、その刹那に金の延べ棒を空高く伸ばし、一頭の首を切り落としながら、一頭の下を高速で潜り抜けた


「打撃系でも勢いがあれば切れるんやでぇ!」


 猿之助が矢に乗って空を舞うその下で、扇浦は扇を構えた。


「頼むぞ…神楽ァッ!」


 扇浦は、そう言い放つと扇子を大きく仰ぐ。その先に突風が発生して、目の前に対峙していた二頭は神楽の位置する中央へ流され、神楽を狙っていた火炎の一頭に衝突する。


「今だ神楽!そいつらを全て捕えろ!」


「ぐっ…ぐああああッ!!」


 片手でスナップを効かせることで頭上に投げた封印の書を口で掴み取ると、そのまま封印の書を一頭に押し当てた。


「応用術ッ!楔ッ!!」


 その瞬間、封印の書から草木の楔が侵食し、その場にいた四頭をまとめて捕らえる。そして――


「はぁぁああっ!」


 神楽のさらに頭上へと飛んだ愛桜は、青白い輝きを放つ剣を構えて言い放った。


「――フル…ばぁストぉぉお!」


 剣から青白い炎が一気に吹き出し、天高く炎が燃え上がる。そして、回転をしながら硬化したオロチの首にぶち当たった。


「ぐぁぁぁぁあああッ!!」


 火花が飛び、熱風に乗って血液が重力に逆らって飛沫が上がる。愛桜の込めた熱は、確かにオロチの首を溶かし始め…そして四頭の首を一気に、斬った。


「う…うぁぁぁあッ!!」


 首を切り落した直後、天高く上がった火柱と爆風に呑まれ、神楽は遠く高くに体を吹き飛ばされる。


「ふ、フルバーストッ!!」


 創造の筆を使い、筆先を地面まで伸ばすことで落ちる体を支え、地面へと無事に着地する。


「かぐらぁぁ!!」


 着地した神楽に、猿之助がすぐさま駆け寄る。


「神楽、無事か!!」


「あぁ、何とか無事だ…。」


「そうか、良かった!嬢ちゃんは…。」


 オロチごと巻き込んだ火柱は次第に収まり、それに伴って煙が辺りに立ちこめる。しばらくして、風が煙を運ぶことで徐々に視界が開けていく。そしてそこには――


「あ…愛桜!!」


 膝立ちで突っ立つ一人の少女の姿があった。愛桜の姿を確認した全員は、神楽を筆頭に走り向かう。


「あいらっ…!返事をしてくれ!」


「…ぁ、お兄ちゃん…。」


「そうだ!あいら!俺だ!」


 愛桜はゆっくりと顔を上げる。だが、どこか焦点が合わない。しかしともあれ…


「――生きてて良かっ…た…?」


 抱き締めようと神楽が腕を伸ばしたその瞬間、どこからともなく血飛沫が上がり、その血が神楽の手に掛かる。


「ぇ…なんだ…これ…。」


 血にまみれた両手に理解が追いつかなかった。いや、理解をしたくなかった。なぜなら、その血は――


「お、おい…あいら…?」


「私…お兄ちゃん…が生きてて…よかっ…た。大好き…だよ…?」


 愛桜が言葉を言い終えた瞬間、全身の血管が破裂し、血飛沫が上がる。電源が落とされたかのように、愛桜の身体はばたりと地に落ちた。


「きゃぁああっ!」


「くっ…。」


 岡崎麗奈は悲鳴を上げ、扇浦は唇を噛み締めた。そして…


「ぅ…嘘だ…そんな…!」


 神楽は後ずさりをしながら小さく呟く。


「は…ハハッ。そんなはずないだろ?何かの間違い…そう…」


 ――これは何かの間違いだ。


 きっと夢を見ているはずだ。この世界は幻。またいつものように、愛桜は笑って起こしに来てくれる。それで目覚めるはずだ。そう…これは何かの…


「間違い、そう。何かの間違いなんだ。この世界はおかしい、そんなはずがないんだから。あぁ…そうか、分かったぞ。」


 神楽は爪を立てた両手を頬に当て、


「起きろ…起きろッ…あ…あぁ、あああああアアアアァァああァアッ!!」


「かぐらあッ!しっかりしろ、やめるんや!」


 自身の顔を掻きむしり出し、頬の皮膚が抉れていくのを見た猿之助は、その両手を掴み取り、涙を堪えながらも大声を上げた。


「しっかりしろっ!落ち着け!思い出すんや!自分は何者で、今は何をすべきなのかを!」


「な、何者…。俺は…っ!」


 ――安倍神楽。契約者であり、神楽の守り人のリーダー。そして、妹の安倍愛桜を…


「――愛桜をっ…殺した…っ。ぅ…うぅ…うぁぁぁあああッ!!」


 神楽は全身の力が抜け、四つん這いになりながら泣き叫んだ。


 ヤマタノオロチを討伐した神楽たちであったが、そのはあまりにも大きいものだった。

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