第九話 「人のために死ぬな、人のために生きろ」

 一方、横浜市街には高層ビルほどの大きさを誇る巨大なヤマタノオロチが、繁栄した都市を一瞬のうちに瓦礫の山へと変貌させていた。


「こ、こちらをご覧ください!」


 空中を飛ぶヘリコプターにて、男性アナウンサーがテレビ中継を行う。


「突然現れた怪物によって…い、一瞬のうちにして横浜は…横浜は破壊されてしまいました…。」


 瓦礫の山と化した横浜。それを見たアナウンサーは目に入る光景に釘付けとなり、我を忘れる。今まで多くの人が営み、繁栄していた横浜は謎の怪物によって無惨にも消え去った。その光景はアナウンサーのみならず、そこに居合わせた全ての人々が大きな衝撃を受けた。


 衝撃で唖然とする者、愛しの人を亡くし悲しみにくれる者、思わぬ出来事に混乱する者…。その怪物によって、負の感情が波紋のように日本全国を覆った。だが、


「――ま、待ってください!なんていうことでしょう!?か、怪物に向かって進む…」


 ――白を基調とした袴姿の、1人の少年の姿がそこにはあった。


 逃げ惑う人々とは逆行して歩みを進める少年の存在に、オロチの一頭が気が付き睨みを効かせる。だが、少年は目を合わせることも無く、街を蹂躙するオロチへと距離を詰める。それに警戒心を抱いたのか、一頭のオロチの頭が天高く登り…


「――か、怪物の動きに異変が。」


 そうアナウンサーが察知した瞬間であった。その一頭の口から炎が沸き上がり、少年へと眩く輝きと共に炎が発射される。


 その中継を見ていた視聴者の誰もが終わりを予見していたが、その少年は違っていた。


「はぁッ!」


 取り出したのは筆の形をした大きな剣。それを手元で高速に回転させることで、オロチの火炎放射を霧散させていく。


「な、なんということでしょう!あの怪物の攻撃を受け止めてしまいました!突如現れた彼は一体何者なのでしょうか!?もしや、彼は――」


 それを見ていた、横浜中心街から逃げる者達、中継していたアナウンサー、画面越しの視聴者は一斉に歓喜の声を上げた。そして彼らは一斉に口にした。彼は――英雄であると。


「お兄ちゃん、本当に戦うの?」


 その後ろを小走りで駆けてきたのは、妹の安倍愛桜である。


「あぁ、戦う。こいつを野放しにしておけば、さらに多くの人の命が亡くなるからな。」


「でも、ふたりじゃ勝てっこないよ。」


 上目遣いで不安そうに見つめてくる愛桜の頭を、神楽は優しく撫でる。


「何も今勝たなくていい。みんなはこれを見てすぐに駆けつけてくれる。だからそれまで、できるだけの命を救えるように、こいつを足止めするんだ。」


「…うん、分かった!」


 愛桜は、神楽の言葉に大きく頷く。


 古事記にも書かれた伝説の悪魔、ヤマタノオロチ。今まで対峙して来た中で最もスケールの大きい悪魔だ。この化け物を凌ぎ切るのは容易なことでは無いだろう。だが、今ここで食い止められる者は自分たちしかいない。自分たちが今、やるしかないのだ。


「神楽、愛桜!」


 化け物を見上げる二人の真横から声が掛かる。二人は合わせて声の方向へと視線を向けると、そこには左目に眼帯をつけた警官が向かって来ていた。


「来たか、隻眼の捜査官。」


「…その二つ名はやめてくれ。とりあえず、現状を手短に教えてほしい。」


 その場に姿を現した警官こそ、孤児院から急行した扇浦那義であった。


 状況を尋ねた扇浦に対し、他の契約者が合流するまで足止めをし、できるだけ被害を防いでいく方針が神楽の口から伝えられる。


「なるほど、方向性は理解した。だが、相手は強大だ。当然、救えない命もある。決して死ぬなよ?」


「あぁ、分かってる。」


 扇浦の忠告に対し、神楽は頷きで返す。


 神楽と扇浦は一年以上の付き合いだ。契約者として悪魔を滅する神楽の守り人と、悪魔事件を取り扱う警察の特別部隊、この二つが協力した方がより悪魔被害を減らせるとの利害関係で、協力体制を築いてきた。そのため扇浦は、神楽の一人で背負いこもうとする性格や、神楽が与える悪魔への影響は十二分に理解していた。だからこそ、扇浦は再三に渡り、神楽へとこの言葉だけを深く忠告をしてきた。決して死ぬなと。


「大丈夫、お兄ちゃんは絶対私が死なせないから。」


 その横から愛桜が言葉を付け足す。


 一人で背負いこんでしまう神楽と、兄のためならと突っ走ってしまう愛桜。この兄妹は本当に危ないと、扇浦は常々思う。


「じゃあ、手分けして逃げ遅れてる人を助けよう!扇浦さんは左を、俺は正面を、愛桜は右側を頼む!何かあったら下がって合流で!」


 神楽の提案に二人は了解の合図を送り、流れるように三人はそれぞれの方向へと枝分かれする。


 まずは左を担当した扇浦。瓦礫の山を走ったその先には、足を瓦礫で挟まれた高齢者の男性と、その瓦礫を頑張って持ち上げようとする中学生程の少年の姿があった。


「つぐみ、もういい。わしはもう助からない。わしが助かるためにつぐみが死ぬ必要はない。だから…ここから逃げるんだ。な?」


 中学生の孫が、安心してこの場から逃げられるように、できる限りの笑みを作って逃げるように促す。


 足元の瓦礫は中学生程度の孫の力では動かせないこと、化け物が近いこの場所では早急な救助が見込めないことも、二人は既に悟っていた。だとしても、引けない理由がそこにはあった。


「じぃちゃん、そんな事言うなよ!こんなところで死んじゃダメだ!僕はまだ何も…何もじぃちゃんに返せてないんだよ!」


 瓦礫を手に取る少年からは、無数の涙がこぼれ落ちていた。


 父は仕事のストレスで退職し、以降は酒とギャンブルに明け暮れて多額の借金を抱えた。それをどうにかしようと母は体を売って働いたが、仕事と家庭のストレスで精神病を発症。その中に取り残された一人息子をここまで支えてきたのは、祖父の力であった。


 両親がその有様であるため、家計は決して裕福ではなかった。だが、息子である自分は何も大きな苦労はしていなかった。毎日十分な食事は出るし、学校もなんら不自由なく行け、洋服も遊び道具も、ほしいと思ったものは最低限そこにはあった。


 家計は裕福ではないのに、自身だけ不自由のない生活を送れる。そのおかしな状況に関して、幼い当初は気づくことはできなかった。だが、成長するにつれてそのカラクリを解明できるようになった。両親のせいで子供がひもじい思いをしないようにと、祖父が自身に直接援助を行ってくれていたのだ。当たり前だと思っていた光景が、人の努力の結晶で成り立っていた。だから、祖父には返せない程の借りがある。いい大学に入って、就職して稼いで、恩返しをしようと思っていた。なのに――


「――ダメだ!じぃちゃん!誰か…誰か…」


 少年が周囲に助けを呼ぼうと目を配ったその時であった。ふと、化け物のいる前方上空を見上げると、その内の一頭と目が合ってしまったのである。


「あ…ぁああっ!」


 気づかれた。

 目線があった時、少年は死を悟った。


 薙ぎ払うかのように、勢いを付けて一直線に近づいてくる一頭。影が迫り、その恐怖感で足から力が抜け、尻もちを着いたまま身が竦んでしまう。


 自分は未熟だった。成長して少しは力が付いたと思っていたが、勘違いも甚だしいところだ。所詮は、現状のひとつすらも変えられない弱者。いつも守られっぱなしの弱者だったのだ。


 もうなんでもいい、これからなんだってする。苦しいことも辛いことも、全部逃げずに受け止める。そしていつか、この力を世の中の人のために使ってみせる。だから今は…今だけは…


「――だれかぁあっ!助けてぇえッ!!」


 大きな影が二人を飲み込もうとしたその時、甲高い金属音が辺りから鳴り響いた。


 生きてるのか…?

 半信半疑になりながらも、閉じた瞼をゆっくりと開けるとそこには、人の半身ぐらいはありそうな大きな扇子で、オロチの頭を切り裂く警官の姿があった。


「はぁっ!」


 扇子で敵を切り裂くと、肉が破裂する爆発的な音と共に、真っ黒なヘドロが宙を舞う。一頭のオロチはその勢いを無くし、首を引っ込める。


「大丈夫か!今助けるからな!」


 警官は手に持っていた扇子で、まるでケーキをカットするかのように瓦礫を滑らかになぞると、いとも簡単に瓦礫がボロボロと形を崩していく。


「あ、あなたは…。」


「今はそんなことはいい!君には、やることがあるだろう?」


 常識的には考えられないような力の存在に、少年は驚きを覚える。扇浦は、そんな唖然としている少年に対して言葉を掛けると、何かを思い出したかのようにハッとした表情で、祖父に注目を向ける。


「お爺さん、足は動くか?」


「…あぁ。片足は動くが、挟まれていたもう片方はダメそうだ。」


「そうか。ならお孫さんの力を借りて出来るだけ遠くへ逃げるんだ。」


「いや、わしはもういいんです。わしのような老骨など置いて、さっさと逃げてください。つぐみだけが生きられれば、わしは…。」


 そう言葉を口走った時、それを聞いた扇浦は鬼のような形相で叱咤した。


「そんな自己犠牲の精神はいい!私たち警官は市民を守るためにいる!二人とも必ず、生きてここから返してみせる。だから這いつくばってでも命を繋げ!」


 扇浦がこの世で1番嫌いなものは、自己犠牲の精神だ。


 人のために自分の命をかけることは、日本では美徳とされてきた。弱き者を守る、大切な人を守る、そのために命を賭ける勇気は素晴らしいものだ。だが、そこに残された者の気持ちは置いていかれる。


 悪魔に携わる仕事をしてきて、命を賭けて散っていった者は今まで沢山いた。人々はその勇気を讃えても、残された私の心には後悔が残った。


 今、あの人が生きていたらどうなっていたのだろうか。あの時、私にできることは他になかったのだろうか。私は、初めて目の前で命が散った時から、常に考え続けている。残された者は考え続けなければならないのだ。それは答えのない問い、苦痛だけが続く茨の道だ。だから…


「――人のために死ぬな、人のために生きろ!少しでも希望がある限り、生きることを諦めるな!少し先まで歩けば避難誘導をしている警官達がいる。そこまで…いけるな?」


 二人に問いかける扇浦。その問い掛けに真っ先に反応したのは、孫のつぐみであった。


「…はい!必ず二人でたどり着いてみせます!」


 つぐみは、祖父の負傷した側に立ってふらつく体を支える。ずっしりと重みが肩に乗っかるが、祖父が痩せ型であったことも幸いし、支えがあれば歩行は可能であった。


「…警官さん、ありがとうございます。この救われた命、大切に使っていきます。」


 つぐみの祖父はそう言い残し、二人は扇浦から一歩ずつ離れていく。その背中を見届けた扇浦は、再びオロチと対峙する。


「…さて、カッコつけたのは良いものの…。」


 扇浦の目の前には、負傷からすっかりと回復した一頭がガンを飛ばしていた。


 その一頭は扇浦に対して雄叫びを上げ、その衝撃波に包まれたことで周囲の音が掻き消される。まるで、先程の借りを返さんとばかりの勢いである。


「来るなら来い。」


 一頭は天高く空を見上げると、次の瞬間――口元から雷のような電撃を扇浦に放つ。


「護れ!殺戮の扇子!」


 扇浦がオロチへと扇子を投げると、回転しながら人の身長を優に超える大きさに変化し、扇浦を護る盾として電撃を受け止める。


 殺戮の扇子は攻防どちらにも優れた神器だ。敵の攻撃を盾として受け止め、敵が疲労してきた隙を、石をも切り裂く扇子の刃先で攻撃をする。だが、この戦い方には決定的な弱みがあった。


「…くそ、もう一体出てきたか。」


 それは、複数の敵の攻撃に対して弱いという点だ。


 電撃を放つ一頭の後方から、別の一頭が顔を覗かせてこちらへ向かってくる。偶然かどうかは分からないが、どうやら弱点が見破られていたようだ。


「まずいな…。」

 

 挟み撃ちにされては確実にやられる。こういう時は挟み撃ちにされる前にこの場から距離を取ることが吉だ。だが、先程の二人の足取りから考えて、まだオロチの射程圏内にいる可能性が高い。故に、この場から離れてしまえば二人は消し炭ということだ。急いで下がって扇子で防ごうにも、電撃の速さには敵わない。なら、いっその事攻撃して怯ませるか…?


「…くっ、一体どうすればここを抜け出せるんだっ…。」


 扇浦絶対絶命の同時期――扇浦と少し離れたところでは、紅き閃光が走っていた。


「はぁぁっ!」


 一頭によって放たれた冷気の光線を、まるで体操選手のように、軽やかにスピーディに躱しつつ、逃げ遅れた人々を探し回る。その時――


「あ、あれは…!」


 目の前に見えたのは一人の影…。お腹を大きく膨らませた妊婦が、お腹をさすりながら倒れ込んでいた。


「さっきから付き纏ってしつこいのよッ!」


 攻撃を避ける動きから一変――愛桜がオロチの方へと一歩を踏み込むと、瞬時に一頭の目の前まで距離を詰め、橙に輝く火炎の剣で一頭の首を両断した。


 首を両断された一頭は攻撃することが不可能となり、瞬時に首を引っこめる。その隙を作った愛桜は、倒れた妊婦の元へ駆け寄る。


「大丈夫ですか!?」


「あ、ありがとうございます…。でも大丈夫じゃ…ないかも。動いたらじ、陣痛が…。」


「じ、陣痛!?ど、どうしよう!」


 一人で動いている都合上、助けられるのは歩行ができる者のみに限られる。歩行の介助しながら戦うことは難儀…ならこの人は助けられない者と区切ってここに置いていくか…。いや、そんなこと出来るわけが無い。例え、それが不的確な選択であったとしても、自分がそれを許さない。


「分かりました…私が隙を作りながら体を支えます!」


 ヒットアンドアウェイ作戦。

 オロチの頭を切ってしまえば敵の攻撃は無効化できる。それなら、何度も首を切って隙を作って…これを繰り返していけば逃がすことは出来る。そうと決まれば…


「…えッ!?」


 と、足を動かそうとしたその時であった。まるで、足が地面に接着されたかのように、力を入れても動かなかったのである。驚きで目を見開きながらも足元へと視線を移すと、その足元は氷塊によって地面にびっしりと接着されていた。


 咆哮を上げながら、愛桜の目前へと復活を果たす一頭。その姿を目にした瞬間、愛桜は事の重大性に気付かされる。


「嘘だ、だってこの程度の氷塊なら温度差で違和感に気づくはずなのに…。」


 周囲の地面を見ると、自分の顔が反射していることに気が付く。鏡のように反射出来るものが地面の上に存在している…つまりこれは氷だ。オロチから足元へと一直線に薄い氷の板が貼っている。だが、一体どうやって気取られないように凍らせられたのだろう。凍らせることは決して簡単では無い。空気、水…なにかの物質を経由しなければ離れたこの場所まで凍らせることは不可能なはずだ。ならばどうやって…


「――まさか。」


 逆に言えば、水や空気を経由すれば離れた地まで凍らせることは可能ということだ。となれば答えはひとつ。自身の足元まで気付かぬうちに水を流し、導線を作った上で瞬時に凍らせた。


「…悪魔ごときにやられたってことね。」


 復活を果たした一頭は、再び愛桜に向かって冷気による光線を放つ。動けない愛桜は、それを受け止めるしか術はなかった。


「いいわ…勝負よッ!」


 その光線を、燃え盛る火炎の剣で受け止める。


 氷の術と炎の術の決戦。

 双方が撃ち合った瞬間、鏡を叩き割ったかのような甲高い音が響き、まるで火花のように、紅き炎と蒼き氷塊が空間へと噴き上げる。お互いが相殺し合い、空からは雨の如く水が愛桜の肩を叩き付けていた。


「…くっ、もっと…!」


 紅き剣に纏わりつく炎の色は、橙から黄へと変化していく。


 愛桜の持つ心情の剣は、自身の思いが強ければ強いほど、血液を介してその能力を向上させることが出来る。相手の最低温度はマイナス273度、それに対して熱さというのは上限がない。思いの丈が強ければ、理論上はここを切り抜けられるはずだった。


「そんな…なんで…」


 冷気の当たった刀身から色を失い、徐々に凍結し始める。表面を覆う氷によって剣が発する熱を遮断し、その温度差を縮めていく。


「ごめん…みんな…。ごめん…お兄ちゃんっ…!」


 刀身の色が黒に染まったその刹那、愛桜は一瞬にして氷像へと成り果てた。


 紅き閃光が色を無くしたのとまた同時期――中央を担当していた安倍神楽も苦戦を強いられていた。


「くそっ…またこれか!」


 巨人の悪魔の時と同じ、小さなヘドロの怪人を生み出して、逃げ遅れた人々を襲っていた。


「ゔぁぁっ!!」


 大地を駆けながら、一匹も取り逃すまいと剣で切り刻んでいく。しかし、全ての怪人を倒していくのは限界があることは神楽も分かっていた。前回の時は、鈴音の広範囲な攻撃の援護もあって対策ができたが、今回は自分一人だ。それに加え…


「もう一体来たか。」


 怪人を生み出す一頭に加え、さらにもう一頭が戦闘に参加する。その一頭が神楽の姿を捉えると、口元が花びらのように開き、そこから眩い光が周囲を照らし出す。今までとは少し挙動が違うと警戒したその刹那――


「なにッ…!!」


 その光は、宙に放出されると共に花火のように弾け飛び、弾丸の雨となって神楽の元へ降り注ぐ。


「応用術、帳!」


 封印の書の帳で、式紙による防御壁を立てる。それと同時に、創造の筆のスピン防御も加えることで、光の弾丸を全て防ぎ切ることに成功する。


 だが、このままこうしていてもジリ貧なことは分かっていた。自分を守ることだけで精一杯、このまま消耗しきってしまえばここから動くことも出来なくなるだろう。故に、どこか隙をついて攻勢に転じなければならないと考えていた。しかし一方で、神楽は妙な違和感を感じていた。


 先程から、攻撃をこちらにしてこない。それぞれの頭で連携が取れるぐらいならば、相手に反撃の隙を与えずに畳み掛けてくるぐらいの知性的な戦い方をしてきてもおかしくは無いはずだ。様子見をしているのか…あるいは…。


「た、たすけてぇ!」


 その時、神楽の背後で甲高い男の子の声が聞こえた。声の出処はどこかと、神楽が振り向いた先にいたのは、小さな怪人に追い回される小さな男の子であった。


 怪人たちに追い回される男の子、攻撃をしてこない悪魔。密かな違和感は嫌な予感へと変わり、瞬時に悪魔の方へと振り返ると、弾丸の照準を合わせていたのは神楽ではなく、男の子の方であった。


「させるか!」


 大地を蹴りあげ、少年の元へと急ごうとしたその時、事件は起こった。


「がはッ…!」


 神楽は体のバランスを崩し、音を立てながらその場に倒れ込んでしまう。


 何かに躓いたかと思って足元を見てみるも、そこは何も凹凸の無い地面。バランスを崩した原因が、まだ完治しきっていない足のもつれによるものであることを知る。


 一方、体制を崩した神楽を見た悪魔は、それを好機としたかのように、小さな怪人が次々と神楽の足にまとわりつき、重みを持ってがっちりと固定されてしまう。


「くそっ!どけ!」


 ムカデの集合体のように、足に絡みつく無数の怪人達を剣で切り落としていくも、次から次へと現れる数に圧倒される。


 その間に、花びらのように開いた一頭は再び光を凝集し始め、逃げ惑う男の子へと照準を合わせる。


「まて…よせ…やめろぉぉお!!」


 倒れ込む神楽の叫びも虚しく、オロチから一点の光が宙に打ち出され、弾丸の雨が男の子の元へと降り注ぐ。


「ぁぁぁぁああっ!!」


 逃げる少年の背中を無数の弾丸が貫いた。開けられた風穴から鮮明な赤色が勢いよく噴き出し、少年は膝から崩れる。服に付いた赤い斑点はじわじわと広がり、コンクリートの地面が瞬時に赤いカーペットへと変わる。


「――ッ…!クソがぁぁッ!!」


 神楽はその場にひれ伏しながら、大声を上げて激昂する。


 目の前で一つの命が潰えた。手の届く範囲であったにも関わらず、その命を救うことができなかった。救えなかったという悔しさ、自分の力不足である故の不甲斐なさ…そして何よりも一番は、悪魔という存在がたまらなく憎い。


 いつだって、大切なものを奪っていくのは悪魔だった。父の命も、妹たちの未来も、自分の人生も…みんなの命も。奴らは、自分の求めるがままに、ただ理不尽にあらゆるものを貪り尽くす。そんなのが許されていいはずがないんだ。だから俺が、絶対に――


「――絶対に、ぶっ殺してやるッ!」


 その刹那、封印の書から放たれた式紙が神楽の周囲を囲い、神楽にまとわりつく怪人たちを次々と切り刻んでいく。


 怪人は無に帰した。だが、足は未だに動かない。それを察知したのか、今まで怪人を生み出していた一頭が首を大きく振り、頭で神楽に体当たりを強行する。だが、そう簡単に潰されるわけにはいかない。


「創造の筆!フルバーストォ!!」


 筆を前方に構えると、筆先は六本の触手のように伸びて枝分かれし、体当たりをしてくる一頭の首に突き刺さり、勢いを受け止める。


 まるで、大きな魚が掛かったかのように重さが柄にまで一気に伝わる。正直、足の踏ん張りが効かない状況下では剣の重みに腕が持っていかれそうなぐらい辛い。しかし、


「ここで…負けられるかァァッ!」


 両腕で剣を持ち、今ある全力で一頭の勢いを受け止める。受け止めきれてはいるが…この先の状況が好転する未来は見えなかった。


「くっ…。」


 光を凝集し、がら空きの真横から狙いを定め始める一頭。流石の神楽でも、普通に戦うだけでは封印の書の守りは貫通されてしまうと分かっていた。


 神楽は唇をかみ締め、究極の二択を迫られる。このまま死ぬか…あるいは、


「――を使うしかないのか…。」


 静かに息を吸い、神楽はゆっくりと口を開ける。


 絶対絶命の窮地に立たされた、神楽、愛桜、扇浦。死を覚悟した三人であったが、今確かに救いの足音が近づき始めていた。

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