第弐拾陸話 米飯

 



「何やら向こうが騒がしいな」


「放っておけ、どうせリズ殿と小夜殿がサイ殿を取り合っているんだろ」



 ただ一人の男の子であるサイが女湯に入っている中、男達は男湯でまったりと寛いでいた。


 女湯から聞こえる姦しい声に大鬼族オーガのボスであるシュラが煩わしく感じていると、ドワーフのボスであるボルゾイがいつものことだと言わんばかりに告げる。


 サイ達と出会ってからまだ間もないのに、長年の付き合いのような発言をするボルゾイへシュラが質問する。



「ボルゾイ殿だったか……貴方はサイ様のことをよく知っているのか? 知っているなら是非教えていただきたい」


「う~ん、儂とてサイ殿とあって間もないからな。そんなに詳しくは知らんが、サイ殿は領主の跡取り息子だそうだぞ。貴族って言葉は分かるか?」


「知っているぞ、人間の国で地位が高い者のことを言うのだろ? なるほど、サイ様が子供ながらにして貫禄があるのはそういう事だったのか。サイ様はどの国に属しているのだ?」


「ドラゴニス王国だ。大魔境と隣接している領土を治めているらしい」


「魔物を寄せ付けぬ彼の国か。であると、魔族である我も入ることはできんな……入ろうと思ったこともないが、サイ様が関わっているのなら興味はある。残念だ」


「オレもですよ、シュラさん」



 大魔境からドラゴニス王国を守っている『竜魔結界』は、悪しき魔物を国内に入れないようにする強力な結界だ。悪しき心がなくても、魔族は魔物の延長であるから通ることはできなかった。

 亜人であるドワーフや魚人族ならば、通ることは可能である。


 がっかりして肩を落とすシュラとゴップの代わりに、姿勢正しく温泉に浸かっているスイゲツがボルゾイに問いかける。



「サイ様がどうしてあのように強いのか、ボルゾイ殿はご存じだろうか? 儂は人間もよく知っているが、あんな子は見たことがない。まだ子供であるのに、熟練された強さを兼ね備えているのが信じられんのです」



 スイゲツの疑問は誰もが抱いているだろう。

 剛腕のクレハを圧倒した武術。剣客のスイゲツを上回る剣術。シュラを赤子のように扱かった様々な魔術。


 生まれながらに魔力が多い子共は結構いる。

 だが、武術や剣術を極めている子供はいない。


 何故なら術とは、長年の研鑽と鍛錬を積み上げていくもので、一朝一夕で身につける事は不可能だからだ。それは魔術とて同じだ。


 それにもかかわらず、サイは子供ながらにして達人の領域に至っていた。子供にしては達観し過ぎている気もするし、年を誤魔化していると言われた方が納得できる。存在自体が不思議でしょうがなかった。



「いや~わからねぇな。あのジャガーノートを倒して使い魔にしたり、儂等を守る為に魔王様の代理をしてくれたり、サイ殿は色々と規格外だからな。驚くことばかりで気にしている暇がなかった」


「サイ様は強いです、優しいです。オレの仲間も助けてくれて、余所者のゴブリンキングを倒してくれました」


「そうですか。サイ殿が優しく強い方だということはよく分かりました。ありがとうございます」



 強さの理由は謎のままだが、ボルゾイとゴッブの話からサイの人柄を知ることはできた。魔王代理を務めとる者として、信じるに値する人物だ。



「けどよ、サイ殿も子供らしいところがあるんだぜ。儂が作った武器を見せると笑顔ではしゃいだりな」


「魚人族がくれた魚を食べたサイ様を見た時は驚いた。サイ様は全然笑わないけど、あの時は幸せそうに足をパタパタさせて子供のようだった」


「ほう、それは是非見てみたいものだな」


「左様ですな」



 この中でサイの子供らしい姿を見ているのはボルゾイとゴップだけだ。シュラとスイゲツからしたら化物染みた子供という印象しかなく、無表情のサイが笑っている姿など想像できなかった。



「儂から提案なのだが、オーガの集落を直させてくれないか。温泉があるこの場所は、リズ殿と小夜殿が気に入っていることだろうし、これからも訪れるだろう。なのに、ずっとこの有様じゃ気分も乗らねーだろう」


「我からしたら願ってもないことだが、いいのか?」


「ああ、何でもいいからサイ殿の役に立ちたいんだよ。それに、魔王様が居ない中踏ん張ってくれたシュラ殿たちにもな」



 ドワーフは鍛冶だけではなく、物作り全般に長けている。

 他国では、大工など建築を仕事にしているドワーフも多くいた。



「そういえば、オーガの仲間は他に居ないのか?」


「全員死んだ。余所者との戦いで死んでいった者もいれば、我等が出払っている間に集落を襲撃され、戦えない者や子供が殺されこの有様だ。そいつ等は全て殺してやったが、残っているのは我等だけ。元々多くはないがな」



 魔王リョウマが突然消え、領内は混乱に見舞われた。

 静かに生きていた魔物は突然暴れ出し、この機に乗じ、魔王の座を狙おうと領外の魔族が魔物を引き連れて侵略してくる。


 放任主義の魔王の代わりに、自警団のような役割を担っていたオーガ達が必死に対応するも、圧倒的に手が足りない。


 戦える者が出払っている間に集落を襲撃され半壊し、さらには魔王が手懐けていた【破壊の権化】まで暴れ出してしまった。


 もう限界で、打つ手がなかった。

 それでも魔王が戻るまで、この地を守ろうと奮闘していた時、不意にあの声が聞こえてきたのだ。



『先代魔王に代わって、俺が魔王の代理を務める』



 誰かは知らぬが、勝手に魔王の代理をしようとしている。

 そんな事は絶対に許す訳にはいかないと、天高く聳え立つ土の塔へ向かう。そこに待ち構えていたのは、黒ずくめの格好をした人間の子供だったのだ。


 仲間が死んだと聞かされたボルゾイは、同情するように告げる。



「そんな事があったのか。儂等が魔界の異変に気付いたのは、ジャガーノートが暴れ出した時だった。そのずっと前から、シュラ殿達はこの地を守る為に戦っていたのだな」


「オレも、自分の仲間を守るので精一杯だった……」



 皆、この騒ぎによって多くのものを失った。

 それは仲間だったり、住処だったり。しかし、今後失われていくことはないだろう。


 何故なら、サイが魔王の代理となってこの地を守ってくれるからだ。平和を望む者達にとっては救いの手だった。


 だが、サイはあくまでも魔王代理。

 ずっとこの地にいる訳ではない。魔王リョウマが戻ってくるという希望を持ちながらも、自分達の居場所は自分達で守るしかなかった。



「我は軍を作ることをサイ様と約束した。協力してくれるか、ボルゾイ殿」


「勿論だ。儂等も巣穴に引きこもってばかりではいられないからな」


「オレも、もっと強くなる!」



 未来に向け、皆が動き出そうとしていた。

 そんな彼等を横目に、年長のスイゲツは静かに微笑む。


 亜人でもなく、魔族でもない。

 人間の子供であるサイが魔王の代理を務めるのは、なんと不思議なことだろうか。


 なんにせよ、自分達にとってサイは救世主に他ならなかった。



 ◇◆◇



「こ、これは……もしや米か!?」



 そんな救世主のサイは、オーガが出した料理を見て驚愕していた。

 風呂上りのサイは、オーガの子供用の服を着ている。その服は日本でいう袴のようで、サイはまた懐かしい気持ちになった。


 リズと小夜が「きゃーサイ様似合ってますよ!」「お可愛いです!」と興奮しているが、今のサイは眼中にない。

 何故なら、目の前にお椀によそわれた米があるからだ。



「サイ殿は米を知っているのですか?」


「うむ、知っているとも。シュラ殿は米をどこで手に入れたのだ?」


「手に入れたというより、元からありました」


「魔王様が祖先に作り方を伝授したそうですぞ。なんでも、この土地は米を作るのに適しているようで、集落の近くに米がなる田もあります」


「また魔王か……」



 まさか異国の地で米と出会えるとは思わなかった。しかも大魔境で。

 博識のアルフレッドに米という食べ物が無いか聞いた時、そんなものは知りませんと言われた時はどれほど絶望したことだろう。


 やはり魔王日本人説が浮かび上がってくるが、今はそんなことどうでもいい。目の前にある米を一刻も早く食べたかった。



「いただきます」



 祈りを捧げる異国の地ではなく、日本式の言葉を口にしながら、箸を持って米をすくい、食べる。


 久しぶり、いや前世ぶりに食べた米は魂を震わし、サイの目から一筋の涙が零れる。突然泣いてしまったサイに全員がぎょっと驚く中、米を飲み下したサイは一言。



「美味い」



 しみじみと感じているサイの様子に、リズは激しく動揺していた。

 サイが涙を流したことは今までに一度たりともない。赤ん坊の頃から知っているリズが、だ。


 そんなサイが、米と呼ばれる白い食べ物を口にして初めて涙を流した。


 この米というものは、それほど美味いものなのか。気になったリズはごくりと唾を呑み込むと、サイの真似をするように箸を使って米を食べた。



「美味し……くはないですね。なんかもちもちしてるし、ねちゃねちゃしてるし……えっ、私の舌が変なのですか?」



 初めて米を食べた感想は、全然美味しくないだった。

 米を知らぬ者にとっては口に合わないのだろう。リズだけではなく、サイの両親が食べても同じ結果になる筈だ。

 だがサイにとっては慣れ親しんだ故郷の味であり、涙が出てしまうほど美味かった。



「儂もこれは苦手だな……」


「オレも肉の方がいいです」


「触感は気持ち悪いですね」



 リズだけではなく、他の者も口に合わないようだ。

 オーガ達は米を食って育ったので好物であるが、それ以外は微妙な反応である。皆が手を止める中、サイはあっという間に平らげてしまった。



「すまぬ……おかわりはあるか?」


「あ、あります! 米は別の場所に保管していたので、まだ沢山あります」


「ふむ、それは助かる」


(――ッ!? か、可愛い!)



 しょんぼり気味に尋ねるサイにシュラが慌てて言うと、サイは満面の笑顔を溢す。


 その笑顔を見た瞬間、ズッキューン! とシュラの胸を何かが貫いた。ずっと無表情でクールなサイが子供らしく笑う顔は、ギャップもあって破壊力抜群である。


 ボルゾイやゴップが言っていたのはこれだったのかと、シュラは激しく動揺する。クレハやミコトも同じような反応で、スイゲツは孫を見るようなあたたかい目をしていた。


 因みにリズと小夜は悶えまくっている。

 笑顔一つで周りが騒いでいる中、サイは心の中でこう思っていた。



(ぐぬぅ……こうなると味噌汁や漬物も食べたくなってくるな)

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