第弐拾話 ノブレスオブリージュ

 




「父上、よろしいでしょうか?」


「いいよ、入っておいで」



 久方ぶりに父上が帰ってきたので、挨拶ついでに相談もしたくて書斎に向かった。扉を叩いて入室の許可を得ると、中に入って父上に挨拶をする。



「お帰りなさい、父上。お勤めご苦労様です」


「ただいま、サイ。元気にしていたかい?」



 椅子に座っている、黒髪で眼鏡をかけている落ち着いた雰囲気の男。


 ディル=ゾウエンベルク。ゾウエンベルク辺境伯であり、俺の父親だ。父上は仕事で家を空けていることが多い。それも一日や二日ではなく、七日だったり一月だったりする時もある。


 正確な仕事内容は知らされてないが、どうやら国家に関連する仕事だそうだ。最初の頃は戦場にでも行っていると思っていたのだが、そもそもこの国は争いなどしていなかった。



「はい、息災です。父上に色々とご報告があります、よろしいでしょうか」


「いいよ、聞かせてくれ」


「では、新しいメイドの件から。小夜という女を俺の独断でメイドに雇うことにしました。当主である父上に相談もせず勝手に決めてしまい、申し訳ございません」


「その話はアルフレッドから聞いているよ。相談はして欲しかったけど、そもそも僕は余り家に居ないからね。それに、サイが連れてきたのならきっと良い子なんだろう。新しいメイドの子はサイとリズに任せるよ」


「ありがとうございます、父上」



 母上にはごり押しで許可を得たが、当主である父上に却下されたらどうしようもなかったので、許可してくれて助かった。

 まぁ、父上はお優しいから受け入れてくれると思ってはいたのだがな。



「次に、領内に入ってきたドワーフのことですが……」


「うん、それもアルフレッドから聞いている。全く困ったもんだよ、六歳の子供に当主代理を任せるなんて酷いと思わないかい? いくらサイが優秀で大人びていているといっても、まだ子供なのにさ」


「ええ、まぁ……」


「でも、サイは上手く問題を解決してくれたね。アルフレッドが凄く褒めていたよ、ゾウエンベルク家の次期当主になるに相応しい振る舞いだったって。よく頑張ったね、サイ。父として誇りに思うよ」


「いえ、俺は父上と母上を見習っただけですから」



 傷ついたドワーフ達を見て、父上や母上だったらどう対処すべきか。そう考えて模倣したに過ぎない。それと前世でお世話になっていた御屋形様や織姫様の影響もあるだろう。


 それらが無かったら、リズが忠告していた通りドワーフ達を受け入れなかった。見知らぬドワーフよりも、民に危害が及ぶ可能性を考えてな。


 笑顔で褒めてくれた父上は、「でもね」と真剣な顔を浮かべて続ける。



「問題を解決しようと一人で魔界に入ったことは許さないよ。それも、ジャガーノートとかいう恐ろしい怪物と戦ったんだってね。今はサイの使い魔で、新しいメイドの子がそうだと聞いているけど」


「申し訳ございません……(魔界のことだけではなく、小夜についても知っていたか。アルフレッドかリズから漏れたのだろうな)」


「サイが特別強いのは分かってる。アルフレッドやリズのお墨付きだし、僕だってサイの剣術や魔法が優れているのを実際に目の当たりにしている。もう僕なんか手が届かないほど遥か高みにいることもね。本当に、神様の生まれ変わりなんじゃないかって疑うほどだよ」


「……」


「でもねサイ、それとこれとは別なんだよ。どれだけ強かろうとサイはまだ子供で、僕とミシェルが愛しているとても大事な存在なんだ。だから、余り無茶をして心配させないでほしい」


「申し訳ございませんでした、父上」



 何故だろうか、リズに怒られた時よりも胸に突き刺さる。

 優しい父上から怒られたからだろうか。きゅ~っと胸を締め付けられるようなこの感覚は、前世でも今世でも感じたことがない。


 深く反省していると、父上が柔らかい声で「おいで」と言うので、父上の膝の上にすとんと乗った。


 父上は左手で俺を抱き、右手で頭を撫でてくる。

 くすぐったくて、あたたかくて、沈んだ心がいとも容易く浮き上がった。



「“ノブレスオブリージュ”という言葉について話したことあったかい?」


「のぶ……? いえ、記憶にないです」


「そっか。この言葉にはね、王族や貴族などの高い地位に居る権力者には、相応の義務や責任が伴うという意味があるんだ」


「義務や責任……ですか」


「うん。亡き僕の父さん、サイのお爺さんが僕によくこの言葉と一緒に言っていたんだ。大いなる力を持つ者は、多くの人々を救い導く為にその力を振るわなければならないってね」


「お爺様が、ですか」



 ゾウエンベルク家の先代当主であった父上の両親は、俺が生まれる前に亡くなっている。顔すら分からないし、父上も話さないからどんな人物かも分からない。ただ、アルフレッドは祖父を厳しい人だったと言っていた。



「そうだよ。恐い人だったけど、貴族たる人だった。そんな父さんを尊敬しているし、この言葉はしっかりと僕の胸に焼き付いている。まだ早いけど、いずれ当主になるサイにもこの言葉を受け継いで欲しいと思っている。もう一度言うよ、ノブレスオブリージュだ」


「ノブレスオブリージュ。はい、父上。しかと胸に刻みました」


「サイは他の誰よりも凄く大きな力を持っているから、背負う責任や義務も人一倍大きくなってしまうだろう。でも、サイなら大丈夫だと僕は信じているからね」


「父上……ご相談があるのですが」



 父上にドワーフや魔界のことについて相談する。

 今魔界では魔王がいなくて荒れていること。ドワーフ達と交流していること。ドワーフや魔族から、新しい魔王になって欲しいと頼まれたことを、包み隠さず話した。


 俺としてはなんら関係のない魔界を治めるなどあり得ないと考えている。だが、ドワーフ達を助けてやりたいとも思っている。


 たった今、ノブレスオブリージュという言葉を父上から与えられた俺はどうすればいいか悩んでいた。

 この際だから父上から案を授けてもらおうと話したのだが、父上は困ったように笑う。



「はは……魔王か。それはまた大きな話だね。魔界の情勢についてはアルフレッドから聞いたよ。七大魔王の一角が突然消えて、混乱状態に陥っているってね」


「はい。この機に他の土地からも多くの魔族や魔物が侵略してきて、現地の者は困っているようです」


「それは大変だね。彼等に頼られて、サイはどうしたいと思っているんだい?」


「わかりません……。俺にはゾウエンベルク家の次期当主としての役目がありますし、そもそも魔物でも魔族でもない人間の俺が魔王になるというのもおかしな話です。ですが、彼等を放っておけないとも思っています」



 胸の内を吐露すると、父上は俺の身体を反転させ、じっと目を見ながら告げてくる。



「ならサイがしたいようにすればいいさ。魔王にならなくてもいいし、助けたいのなら助けてあげればいい。サイにはそれだけの力があるからね」


「よろしいのですか?」


「いいよ。ただし、僕やアルフレッドに相談すること。魔界に行く時は必ずリズを連れていくこと。後は魔界のことはミシェルに黙っておくこと、凄く心配してしまうからね。それが守れるなら魔界に関わることを許すよ。当分の間は僕も居られるし、自由にやってごらん」


「ありがとうございます、父上」



 ◇◆◇



「私は絶対に反対です! 何でサイ様が魔王なんかにならなくちゃいけないんですか!? あり得ません! 自分達の命ぐらい自分達で守れってんです!」


「え~小夜はご主人様が魔王になってくれたら嬉しいです。エルフに邪魔されず、ご主人様とこうしてイチャイチャできますから!」


「おい、魔物如きが良い気になるなよ。サイ様のお背中を洗うのは本来私の役目なんですからね。サイ様がどうしてもと仰るから仕方なく許したんですよ」



 俺の身体を素手で洗いながら嬉しそうに喋る小夜に、浴槽に入っているリズが鬼の形相で注意する。


 ドワーフ達を守ってもらう代わりに、背中を洗わせると小夜と約束してしまった。だから俺からリズに今日のところは許してやってくれと頼んだのだ。


 どうでもいいが、胸を背中に当ててくるな。

 一々けしからん真似をしないと駄目なのかこいつ等は。



「サイ様、本当に魔界と関わるつもりですか?」


「ああ、もう決めたことだ」


「でもどうするのですか? 魔王になるおつもりがないなら、事態は解決しませんが」


「それについては考えがある」



 魔王にはならない。

 だがこのままだとドワーフのような平和に暮らしたい者達が戦いに巻き込まれてしまうだろう。

 ならば今考えられる手は、これしかなかった。



 ◇◆◇



「よろしかったのでしょうか、旦那様」


「何がだい?」


「分かっておいででしょう、若様のことです」



 その日の夜。

 アルフレッドがディルの書斎を訪れていた。訪ねた目的は勿論、まだ六歳の次期当主について。

 長年ゾウエンベルク家を支え続けてきた老執事は、当主でもあり父でもあるディルが下した判断に僅かな不満を抱いていた。



「魔界のことをサイに許したことかい?」


「それ以外にありますでしょうか」


「ふふ、アルフレッドも心配性だね。僕の時より甘いんじゃないかい?」


「とぼけないでいただきたい」



 少しからかったつもりだったが、老執事は怒ってしまった。

 これくらい普段は受け流すのに、余計彼らしくないと感じるディルは、ふざけた態度を改めて真面目に伝えた。



「勿論僕だって大切な我が子が危険を犯そうとするのは嫌だよ。でもねアルフレッド、僕は運命さだめだと思うんだ」


「運命……でしょうか」


「サイは特別な子だ。剣術に関しても、魔法に関しても、僕なんかよりも遥か高みにいる。いや、もうアルフレッドだって抜かしているだろうね。その上、ジャガーノートとかいう魔界の怪物と戦って使い魔にしてしまったんだろう? 六歳の子供がそんなことを成したなんて言っても誰も信じないだろうね」



 サイが神童と呼べるほどの才覚があったのは、ディルも十分わかっていた。実際に剣を合わせたり、魔法を直接見せてもらった時は、僕の子供はなんて凄いんだろうと嬉しくてはしゃいだりもした。


 だがサイの強さは、ディルの範疇に収まるものではなかった。


 六歳になった今では完全に自分や、自分を育ててくれた師匠でもあるアルフレッドをも凌駕している。それに加え、生まれながらに授けられた【鑑定眼】というユニークスキル。


 子供がどうとよりも、人間や亜人、魔物に魔族を含めた全ての生物において規格外の存在だ。勉強が得意でなかったり、甘いものが好きなところが辛うじて人間っぽく見えるだけで、本当は神様なんだと名乗られても驚きやしない。



「それほど大きな力を持っているのには、きっと意味があるんだと思う。魔界が荒れて、サイが偶然ドワーフ達と関わったのもまた何かの運命なんだろう。そして、サイが迷いながらも自分の意思で彼等を助けたいと言ったのもね」


「旦那様……」


「な~に、リズがついていれば大抵のことは大丈夫さ」


「それについては不服ではありますが、反論できませんね」


「ふふ、でしょ?」



 納得したくないけど納得するしかない態度を出す執事に、ディルは可笑しそうに笑みを溢した。

 昔からリズを苦手としているアルフレッドも、実力に関しては認めているというか、認めざるを得ない。


 ディルは最後に、アルフレッドへこう告げた。



「僕も暫くは家に居られるし、領内のことも対応できる。だからサイには自由にやってもらおうじゃないか。時が経てば、サイにはゾウエンベルク家の運命さだめが否応なしに絡みついてくるんだからね」

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