第拾捌話 理不尽な暴力
そのゴブリンは慎重かつ狡猾だった。
美味そうな食べ物を手に入れても絶対に食べたりせず、仲間にあけ渡す。
そいつはタダでくれてラッキー! こいつ良い奴だな! と感謝しているだろうが、そうではない。
手に入れた食べ物を食べても死なないか、仲間に毒見させているのだ。有り難そうにむしゃむしゃ食べるそいつが、何も起きなかったら次に食べればいい。
だが、腹を壊したり死んだりしたら絶対に手を付けない。常に安全を確認、確保していた。
狩りでもそうだ。
獣でも魔物でも、無傷な状態の敵とは戦わない。反撃を喰らう恐れがあるからだ。一番槍を仲間に任せ、自分は少し離れたところで観察する。仲間が殺られ、獲物が消耗した頃を見計らい、一番おいしい所を頂くのだ。
恐ろしい魔物が跋扈する魔界において、ゴブリンは食物連鎖の最下層。
過酷な環境で
そのゴブリンは言葉を覚えようとした。
仲間のゴブリンが喋っている言葉の意味は理解できるが、亜人や魔族が話している言葉は分からない。
身を隠しながら亜人や魔族の会話を聞き、言葉の意味を理解して、少しずつだが覚えていった。
言葉を覚えると、そのゴブリンはホブゴブリンに進化した。
身体は大きくなり、力も強くなった。普通の魔物ならば調子に乗り、強くなった力を誇示したくなるだろう。
だがそのゴブリンは違った。
調子に乗るどころか、余計慎重に生きるように己を律した。
群れのボスになったホブゴブリンは、仲間を指示し狩りを行っていく。無能な仲間に知恵を与え、罠を張ることで狩りの幅や成功確率がぐんと上がる。
強力な魔物でも、やり方次第で倒すことは容易だった。
ホブゴブリンは悟った。力が必要なのは勿論だが、生きていく上で重要なのは知恵であると。考える力こそが最大の武器であると結論付けた。
だが慎重に生きる反面、もっと強くなりたいという気持ちもあった。
それは魔物に宿っている絶対的な本能。ただ生き抜くだけであるならば、今まで通り弱い物を罠に嵌めて殺せばいい。
だが魔物の本能がそれを許さず、強くなりという欲望が、他者を支配したいという渇望がドロドロと胸の奥から湧き出てくる。
それはホブゴブリンも例外ではなかった。
強くなるには、強い者を喰らうしかない。
ホブゴブリンが狙ったのは亜人や魔族だった。奴等は頭も良く強いが、ゴブリンを格下だと舐めている。その考えを利用した。
慎重かつ狡猾に、亜人や魔族を罠にかける。
その罠で一番効果的だったのが、仲間意識の強さだった。魔物は仲間に思い入れなどしない。親子関係などを除けば、隣に居る奴がいつ死んだところでどうでもよかった。
だが、亜人や魔族はそうではない。
隣人が殺されれば怒り狂い、冷静な判断ができなくなる。仲間を助けようと、簡単に罠に引っかかってくれる。
狡猾なホブゴブリンにとって、仲間意識が強い亜人や魔族は罠に嵌める格好の的だったのだ。
多くの亜人や魔族を殺したホブゴブリンは、ゴブリンキングに進化した。
己自身が強くなったのは勿論、群れも随分と大きく育った。群れの大半がゴブリンだが、ホブゴブリンやゴブリンアーチャーなど進化系も少なからずいる。
それに加え、バトルウルフやロックベアなど、ゴブリン以外の魔物だって従えていた。
ゴブリンキングは群れに階級を定め、強い者が美味しい思いをできるようにした。そうすれば、上も下もサボらず真面目に働くからだ。
勿論自分は階級の頂点。まさに王様だった。
だが王様になっても尚、ゴブリンキングの飢えが収まることはない。もっと強く、もっと上にいきたいという欲望が己を突き動かしてくる。
どこまで登ればこの飢えは満たされるのだろうか。一番強くて偉い魔物とは何だと考えた時、それは一つだった。
魔王だ。
ゴブリンなんかの王ではなく、魔物の王だ。
ここら一帯を支配している魔族がいることは、ゴブリンキングも知っていた。そしてその魔族が、魔王と呼ばれていることも。
ならばその魔王とやらを殺せば、自分が新たな魔王になれる。
魔王……その言葉を口にしただけで、欲望がさらに増した。今まで求めていたものは魔王だったのだと気付いた。
ゴブリンキングは魔王を殺すべく動いた。
だが、強くなっても狡猾なところは消えていない。より万全を期す為に先遣隊を送った。魔王がどれほど強いのか知るために、遠い場所から眺めていた。
「「ギャアアアアアアアアアアッ!?」」
「何ダ……アレは!?」
瞬く間に皆殺しにされていく配下を目にしながら、魔王の強さに驚愕する。
魔王は強かった。余りにも強かった。
同じ生物とは思えない。強さの次元が違った。
自分がどれほど強くなろうが、一生敵う存在ではない。
繰り広げられる理不尽な暴力に、戦う気なんか一瞬で失せた。
「イヤだァアアアアアアアアアア!! 死にたくナイ!!」
「魔王様、この群れを率いているゴブリンキングが逃げたようです。始末しましょうか?」
「放っておけ。何百年ぶりに魔王の座を奪いに来た度胸に免じて、生かしておいてやろう。その変わり、他は一つ残らず皆殺しだ。今まで築き上げてきたものが一瞬で壊される無力感を、あの可愛くて愚かなゴブリンに教えてやれ」
「承知いたしました」
「それにしても、仲間を置いて一目散に逃げるとはな。身の程が分かっている賢いゴブリンじゃないか。好きだぞ、そういう奴」
ゴブリンキングは逃げた。仲間の絶叫を背に浴びながら逃げた。
ただのゴブリンだった時のように、強敵から生き延びる為に必死に逃げ続けた。逃げて逃げて逃げて、ゴブリンキングは自分が生きのびたことにようやく気付いた。
仲間は誰も戻ってこなかった。
今まで築きあげてきたものが全て無くなり、とめどない消失感が押し寄せてくる。
あの理不尽な暴力を思い出すだけで、恐怖で身体が震えてしまう。
自分が魔王に勝つことは、天地がひっくり返っても不可能だった。
ゴブリンキングは魔王になることを諦めた。
また一からゴブリンを育て、それなりの群れを作り慎ましく生きていこうとした。
けれど、魔王になりたいという欲望は捨てきれなかった。
そんな時、とある情報が流れてきた。どうやら他の大地を支配している魔王が消えたらしい。新しい魔王になるべく、多くの魔族がその大地に向かっていると。
「新しい魔王……だト」
ゴブリンキングは閃いた。
打ち負かされた魔王には何をしたって勝てない。だが、違う土地でなら魔王と戦わずして魔王になれる。
席を寄越せ。魔王の空席に座るのは自分だ。
誰かに盗られてしまう前に、ゴブリンキングは配下を連れて移動した。その地に辿り着いたところで、同族を見つける。
「お前ら、良い武器を持っているナ。寄越セ」
「キサマ等、余所者だな!?」
同族の群れを率いているのはホブゴブリンだった。
ホブゴブリンとその配下は、良い武器を所持していた。ゴブリンキングはホブゴブリンをボコボコに、その配下を半分殺した。
そして、この武器をどうやって調達したのかを聞き出す。口を割らなかったので、教えないと残りの配下を殺すと脅した。
どうやらドワーフから譲り受けたものらしい。
武器があれば戦力も上がる。魔王の座を争うにも武器が欲しい。ゴブリンキングはもっと武器を手に入れる為、ドワーフの居場所まで案内させた。
ドワーフがどれだけ強いのか分からない。
様子見で先遣隊を送ったのだが、一匹も帰ってこなかった。
ドワーフはそこそこ強いようだ。ならばいつも通り罠を張り、おびき寄せればいい。ホブゴブリンを使い、ドワーフを罠のところまで誘導しろと命令した。
「何だアレは? 亜人の子供カ?」
だが、ホブゴブリンは一向に戻ってこなかった。
代わりに洞窟から出てきたのは、黒ずくめの格好をした亜人の子供。
ゴブリンキングはここで退くべきだった。
何故ならば。
その子供が、魔王と同じ理不尽な暴力を持つ存在だったからだ。
◇◆◇
「ふむ、やはり罠を張っているな」
洞窟を出た俺は、周囲から異様な雰囲気を感じ取っていた。
見晴らしの良い洞窟周りは何もいないが、少し奥から始まっている雑木林からは多数の気配を感じる。恐らく雑草や木々に紛れ潜んでいるのだろう。
賢いゴブリンキングのことだ、何かしらの罠を仕掛けているのは分かっていた。力技でねじ伏せることも可能だが、罠があると知っておきながら馬鹿正直に真正面から戦う必要もない。
ならば今回は、久方ぶりに忍び本来の戦い方で相手になってやろう。
「忍法・――――」
忍術を発動し、準備は整えた。
俺は右手にクナイを持ち、息を殺し、足音を立てず、気配を絶った。木の陰に隠れているゴブリンに背後から忍び寄り、悲鳴を上げさせず首筋を掻っ切る。
「――ッ!?」
(一)
死体を隠した後にその場から移動し、雑草の中に伏せているゴブリンの首にクナイを突き立てる。次は木の枝に乗っているゴブリン、次は隠れる気もなく棒立ちしているゴブリン。
(二、三、四、五……十五、十六)
手前から順にゴブリンの命を黙々と絶っていく。
至るところに落とし穴や吊り網などの罠が張ってあったが、その程度の罠に引っかかる間抜けではない。
だがまぁ、人質を取られて冷静でない者なら引っかかるだろうな。
狡猾なゴブリンキングのことだ。
近くに居ないとしても、必ず洞窟の様子が窺える場所に居るだろう。全てのゴブリンを殺しながら辿っていくと、少し開けた場所にゴブリンの群れがあった。
両手足を縄で縛られ、円になって座っているゴブリンが五匹。
その五匹を囲うように見張っているホブゴブリンらしき魔物が四匹。
さらに奥には、ホブゴブリンよりも二回り大きい体躯のゴブリンが一匹。腰に布を巻き、ボロボロのマントを羽織り、あらゆる生き物の骨を組み合わせた趣味の悪い首飾りや王冠を身につけている。
十中八九、あの図体がでかいのがゴブリンキングだろう。
(鑑定眼)
『ステータス
名前・無し
種族・魔物(ゴブリン)(ゴッブの群れ)
レベル・9』
『ステータス
名前・無し
種族・魔物(ホブゴブリン)(ゴブリンキングの群れ)
レベル・25』
『ステータス
名前・無し
種族・魔族(ゴブリンキング)(群れのボス)
レベル・72
スキル・【悪知恵】【カリスマ】』
『ゴブリンキングとは、ホブゴブリンが進化した種族』
『【悪知恵】スキルとは、悪いことを考える力が働く能力』
『【カリスマ】スキルとは、人々を惹きつける能力』
鑑定眼で調べると色々分かったことがある。
まず縛られているゴブリン達はやはりゴッブの仲間のようだ。気になったのは、それらを囲っているホブゴブリンが全て魔物であることだ。
ゴッブが魔族だからあのホブゴブリン達も魔族だと思っていたが違うようだ。同じ種族でも個体によって違うのだろう。
最後にゴブリンキングだ。
レベルは七十二とかなり高い。しかもスキルが二つもある。【悪知恵】と【カリスマ】、どちらもゴブリンキングに当てはまる能力だな。
敵の情報を知ったところでこれからどう動くか考えていると、ゴブリン達に動きが見えた。
「ゲギャギャ(キング、亜人のガキはずっとあそこから動かないようです。どうします?)」
「罠にかかって来ないカ。ならばゴブリンにガキを殺させ、その首をドワーフに晒せ」
「ギャギャ(わかりました)」
ホブゴブリンが何を言っているのか分からないが、ゴブリンキングの言葉は聞き取れた。どうやら“あそこで立ったままのもう一人の俺に”痺れを切らしたようだな。
「ギャギャ! グギャ! (キング! ゴブリン達がいません! 全部です!)」
「何だト!? 何が起こってル!? 逃げたのカ!?」
「ギギャ! (わかりません!)」
「使えん奴等ダ! ならお前がガキを殺してこイ! (それにしても、何故ゴブリン達は突然いなくなった。オレを裏切ってどこかに行ったのカ? 嫌な予感がすル)」
ゴブリンキングに蹴られながら命令されたホブゴブリンは、慌ててもう一人の俺を殺しに向かう。動くならここだと判断した俺は、もう一人の俺を動かして落とし穴にわざと引っかかった。
それを見たホブゴブリンが、ゴブリンキングに報告しに行く。
「ゲギャギャ(亜人のガキは落とし穴に引っかかってましたぜ!)」
「そうカ(考え過ぎったカ)……ならオレが行ク。お前達、ついてこイ。ドワーフ共を穴倉から引きずり出してやル。お前はここに残ってこいつ等を見張ってろ、いいナ」
「「ゲギャーー」」
ゴブリンキングは見張りに仲間を一人残して、他の仲間を連れて洞窟へと向かっていく。
少し意外だったな。あの狡猾な者のことだから、この異変に何かを感じて撤退することもあると考えていた。だが奴は退かず、力でねじ伏せる策に出た。
所詮はゴブリンか。
少々期待外れではあるが、俺としては思い通りに動いてくれて非常に助かる。
「グゲゲゲ……(あ~あ、オレも雑魚狩りしたかったな。まぁいいか、こいつらいたぶって遊んでよ――)……グヒッ!?」
「「ゲゲッ!?」」
「待て、俺はゴップの仲間だ。助けに来た」
一人になったホブゴブリンの首筋を掻っ切ると、捕まっていたゴッブの仲間に声をかけつつ、縄を斬り裂く。
俺の言葉が通じているのか分からないが、大人しくしていてくれと頼んだら頷いてくれた。
さて、ゴップの仲間を助けるという約束は果たした。
残るはゴブリンキングを始末するだけだな。俺は雑木林の中を駆け、洞窟に入ろうとするゴブリンキング達の前に立ちはだかる。
「何故亜人のガキがいル!? お前は落とし穴に引っかかって死んだ筈ダ!」
「あれは偽物だ。貴様等の注意を引き付けるためのな」
「何だト!?」
驚愕するゴブリンキングに種明かしをする。
俺は忍術で自分の分身を作るのと同時に、変わり身の術を使って雑木林に入った。ゴブリン達がずっと警戒していた俺は、土くれで作った偽物だったのだ。
いわゆる、分身の術と変わり身の術の合わせ技だな。
では何故、最後にあえて分身を落とし穴に引っかかってみせたか。
その理由は一つしかない。
「慎重で狡猾な奴を欺くにはどうすればいいと思う? 罠にかかったと見せかけて油断させるんだ」
「馬鹿ナ! オレの手下共がいなくなったのは、お前の仕業だったのカ!?」
「やっと気付いたか。思っていたより頭が悪いんだな」
「亜人のガキが調子に乗るナ! お前等、このガキを殺セ!」
「「……」」
「おイ、何を黙っていル! さっさと殺レ!」
「無駄だ、そいつ等はもう死んでいる」
そう告げた瞬間、三匹のホブゴブリンが首から血を流して倒れる。血を流して死んでいる仲間を見て驚愕しているゴブリンキングに、俺はこう問いかける。
「殺そうと思えばいつでも殺せたのに、何故俺がお前を生かしているか分かるか?」
「……ッ」
俺は背中にかけている鞘から刀を抜き放ち、額から冷や汗を流しているゴブリンキングに切っ先を突きつけた。
「レベル72の魔族が、どれほど強いのか知りたいからだ」
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