第玖話 執事のアルフレッド 

 



「若様、それは間違いでございます。食器は外側から使うのがテーブルマナーなのです」


「ぐぬ、そうだった」



 間違いを指摘すると、若様は眉間に皺を寄せた。

 悔しそうな時は子供のようなお顔を見せるので、つい厳しくしてしまいます。ですがこれも、いずれゾウエンベルク家の当主となる若様の為を思ってのことなのです。


 今は若様に貴族としてのテーブルマナーを教えております。

 若様は儀礼やダンスなど身体を使ったことはすぐに覚えるのですが、こういった細々としたものは覚えるのが苦手なのですよね。

 算術を覚えるのは特に大変でした。若様はお勉強が苦手ですからね。



(もう5年になりますか……)



 もう一度試している若様を見下ろしながら、ふと昔を思い浮かべる。

 まだ数年前のことだというのに、遥か遠くのように思えます。そう思うのは、わたくしが歳を取ったからでしょうか。



 ◇◆◇



 わたくしはアルフレッド。

 ゾウエンベルク家に仕えて早40年になる、御年60の老執事でございます。


 当時20歳で世界を放浪していた私は、偶然ゾウエンベルク家の先代当主と出会いました。故あってゾウエンベルク家に仕えることになり、私は執事になりました。そのあと現当主であるディル様が生まれてからは、私はディル様の教育係を仰せつかっておりました。


 ディル様は大変優秀で、全く手のかからない子でしたが、いかんとも優し過ぎました。

 優しくて慈悲深く、人や何かを傷つけたり戦うのが苦手なディル様がゾウエンベルク家の宿命を背負わなくてはならないと知った時、私は憂いてしまいました。


 ですがディル様は、泣き言を一つ言わず今も尚ゾウエンベルク家の使命に励んでおります。


 そんなディル様もご結婚なされました。

 パートナーとなる御方は、ミシェル様というとてもお美しい女性です。


 ミシェル様はいつも元気で明るいのが魅力的で、ディル様が惚れたのも無理はありません。太陽のようなミシェル様が、ディル様の闇を晴らしてくれているのが大変ありがたく思っております。


 先代当主や奥様が亡くなられた時に、まだ若いディル様が闇に取り込まれかけてしまいしたが、ディル様を救ったのがミシェル様との出会いだったのです。


 結婚したお二人は本当に幸せそうで、私は少し肩の荷が下りました。ミシェル様がいれば、ディル様は大丈夫であると安心したのです。


 そんな幸せそうな二人でしたが、跡継ぎには中々恵まれませんでした。

 ミシェル様は二度ご懐妊したのですが、全て流産となってしまったのです。流産した時の奥様は見ておられないほど悲痛に暮れておりました。


 身体が弱り、もう妊娠はやめた方がいいと医者にも言われました。ディル様も養子を迎え入れようと相談したのですが、奥様は頑なに自分で生みたいとおっしゃっていました。

 そんな中、三度目にして待望の跡継ぎが生まれたのです。


 名前はサイ。

 ディル様によく似た、可愛らしいお子様でした。奥様がどれだけこの出産に懸けていたか存じている私は、若様が無事に生まれて自分のことのように泣いてしまいました。



「どうしましょう、サイが目を全然開けないわ」



 ですが、困ったことが一つあったのです。

 生まれたばかりの若様が目を開かなかったのです。何かの病気だろうかと心配しましたが、そういう訳ではありませんでした。


 医者が診ようと若様の瞼をこじ開けようとしても、頑なに開かなかったのです。どうなっているのだと困惑しましたが、他は特に異常がなく身体も健康なため、少し様子を見ようとディル様がおっしゃりました。


 それから半年経ち、ようやく若様は目を開けられました。

 ですが、目を開けた途端に気を失ってしまうのです。ディル様がおっしゃるには、目を開けている時に魔力の反応が感じられたのこと。


 若様の意識に関係なく、勝手に魔法が発動しているかもしれないとのことです。それについて奥様は凄く心配されていましたが、時が経つにつれ、若様は徐々に目を開けていられる時間が増えていきました。


 2歳頃までは時々気絶することがありましたが、今ではそのようなことはありません。やはりディル様が言っていた通り、若様は魔法を使っていたようですね。私は魔法に疎いので、どんな魔法なのかは分かりませんが。

 なにより、奥様のご心配が解消されて大変よかったです。



「アルフレッド、少しいいか」


「どうしましたか、若様」



 若様は不思議な子です。

 一歳になるまでは極普通の赤ん坊だったのですが、一歳を越えた辺りから突如色々と変わられたのです。


 すぐに立ち上がるようになったり、聞いたこともないような堅苦しい言葉を突然喋ったりしたのです。泣くこともなくなり、いつも周囲を観察するようになりました。


 赤ん坊にこんな事を言うのはおかしいですが、別人になったようです。

 赤ん坊どころか大人の雰囲気を醸し出している若様は、不思議な子でした。



「さぁ若様、勉強の時間ですぞ」


「うむ……」



 そんな若様が二歳になる頃、ディル様から若様の教育係を仰せつかりました。

 自分のように教育して欲しいとおっしゃられたので、執事の仕事の傍らに若様を厳しく勉強させます。


 ですが、頭脳明晰で優秀なディル様と比べて若様は余り賢くありません。やる気は感じられるのですが、勉強が苦手なのか簡単な算術だって全然覚えられませんでした。


 言葉をはっきりと覚えるのが早かったので期待していたのですが、それ以外は残念な結果です。言葉は覚えられても、文字を覚えるのは時間がかかりましたし。



「ぐぬ……わからん」


(ふふ、こういう時は子供らしく可愛らしいですね)



 いつも寡黙な大人の雰囲気を醸し出しているのに、勉強になると子供のように頭を悩ませる姿は微笑ましくて、つい厳しく指導してしまいます。勿論、若様の為を思ってのことですけど。


 若様は勉強が苦手ですが、物分かりもよく利発な子です。

 貴族について教えていた時は、三歳で信じられないほどの理解力を示しました。とても算術を覚えらない子供には思えないほど、聡明な一面を見せたのです。


 若様は勉強だったり習い事は苦手ですが、偏った知識や理解する力が凄まじかったりと、どこかちぐはぐな所がありました。


 そんな若様に驚かされたのは、初めて剣術を指導する四歳の時でした。


 気絶することもなくなり、身体も大きくなられたので、そろそろ剣術を教えようと思いました。ディル様は一年早く剣術を習い始めたのですが、若様は奥様が心配したり勉強が中々進まなかったので、一年遅れております。


 結局、若様を心配して奥様が付き添っていますし。ご心配なさらずとも、若様に怪我をさせたりはしません。

 私は子供用の木剣を若様に渡して説明します。



「それを持って、自由に振ってみてください」


「振ればいいのか?」


「はい」


「わかった」



 そう言う若様は、木剣をおのが手足の如く振りました。闇雲に振るっているのではなく、目の前にいる敵に対して振っているようにも思えます



「なんとっ!?」



 衝撃の光景に、私は胸が高鳴りました。

 初めは剣術の才があるかどうか把握する為に自由に振らせてみせたのですが、これほどまでに筋が良いとは全く思ってもみませんでした。今日初めて木剣を持った四歳の子供が、百戦錬磨の剣士にも劣らぬ剣技を披露してみせたのです。


 若様は聡明だけでなく、武にも長けておられている。正に神童と呼ぶべき子でしょう。


 若様がどれだけやれるか把握したかったので、手合わせをお願いしました。勿論、私から攻撃したり反撃したりするつもりは一切ありません。



「さぁ若様、いつでもどうぞ」


「うむ、ではゆくぞ」



 素早く懐に飛び込んできた若様は、下から突き上げるように私の顔を狙ってきました。しかも信じられないことに、躊躇なく目を狙ってきたのです。その事実に私は背筋が震えました。四歳児が淡々と急所を狙ってきたことに。


 正直、今の一撃も若様が子供ではなかったら躱せなかったかもしれません。



「初めから急所である頭部を狙うとは、驚きましたぞ若様。次はどうなさいますか?」


「敵に教える馬鹿がいるか」


「ふふ、左様でございますね」



 若様が放った次の一手は、目くらましでした。

 木剣で地面の砂を払い、私の視界を潰してきたのです。そのタイミングで、完全に気配も経ちました。

 直後、強烈な殺意が背後から襲ってきます。反射的に防御し、身体が勝手に反撃をしてしまいました。


 しまった! と思ったのですが、若様は空中で一回転すると華麗に着地したのです。私が心配する必要は全くありませんでした。



(なんということでしょうか。まだ四歳の子供に、私が剣を使わされるなんて。若様は武神というよりも、鬼神の生まれ変わりかもしれません)



 目の前にいる小さな男の子に、久方ぶりに恐怖を抱きました。


 初めて剣を持ったのにも関わらず、その剣技は熟練しており。初めての手合わせで躊躇なく急所を狙う豪胆さ。正面から敵に敵わないとみるや否や、目くらましで攪乱する機転。極めつけは、身体が震え上がるほどの強烈な殺意。


 優しくて戦いに向いていないディル様とは違い、若様はいくさの申し子です。剣術だけでも天賦の才を持っておられましたが、戦に関して右に出るものは居ないでしょう。



(私が教えることはありません)



 ミシェル様から手合わせ禁止と叱られてしまいましたが、その必要はもうありません。既に若様の剣術は私と同じレベルに達しているからです。これ以上私が教えることは一つもありませんでした。


 若様はゾウエンベルク家きっての神童に間違いありません。成長された若様が、どれほど力を身に着けているのか末恐ろしくてたまらないと同時に、胸が躍ってしまいます。


 若様ならばゾウエンベルク家の過酷な使命を背負えるでしょう。ゾウエンベルク家の未来は明るいです。



「若様、フォークとナイフを持つ手が逆です。左手でフォークを持ち支えながら、右手のナイフで肉を切るのです」


「ぐぬ……何故利き手の逆で食べなければならんのだ」


(ふふふ、可愛らしいですね)



 納得できないと顔を顰める若様に、つい微笑んでしまいます。

 天賦の才を持った戦の申し子も、テーブルマナーを覚えるのは一苦労みたいですね。



「アルフレッドさんの回想に私が一度も出てこなかったんですけど、どういうことですか?」


「おや、いつの間にいらしたんですか、リズ殿」


「ええ、たった今し方。またアルフレッドさんがサイ様を虐めてないか様子を見にきました」


「はっはっは、なんのことですかな」



 こやつ、また私の時間を邪魔しにきおったな。

 本当にこのエルフは邪魔ばかりしてきて困りますね。


 まぁいいです。

 このエルフのメイドについては、またいずれお話しましょうか。

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