第捌話 平穏な日々

 



「若様、お風呂の時間ですよ」


「俺はいい」



 断って横を通り過ぎようとすると、満面の笑顔を浮かべるリズが、俺の両脇を後ろからがっしり掴んで持ち上げてきた。



「ダメですよサイ様、行きますよ」


「おい離せ、主君に向かって何をする。俺は布で拭くだけでいいといつも言っているだろう」


「だからダメですといつも言ってますよね。お風呂に入って一日の汗と汚れを流し、しっかりと疲れを取ることが大事なのです。常に健康であるのも貴族の務めですよ」



 嫌だと言ってもリズは聞く耳を持ってくれない。

 前々から思っていたが、リズもアルフレッドも家来の癖に主君への態度がぞんざい過ぎないだろうか。


 二人の実質な主君は父上ではあるが、当主の子である俺にももう少し敬って欲しい。前世の俺が織姫様に対してこんな態度を取ったら、御屋形様から打ち首を言い渡されていただろう。


 いや……御屋形様も姫様もお優しいからそこまではいかないかもしれんが。



(くそ……リズめ、覚えていろ)



 胸中で悪態を吐く。

 こんなにも拒否しているのは、俺は風呂が苦手だからだ。

 ゾウエンベルク家には立派な風呂がある。十人以上も入れる大きな浴槽だが、毎回リズが魔法で湯を沸かしているから薪は使っていない。


 だが、数人しか入らないというのにわざわざこんなに大きな浴槽を使うのは贅沢過ぎる。それも信じられんことに毎日だぞ。

 水だって同じものを使わず捨ててしまい、毎回新しいのに入れ替えるなど勿体ないことをしているそうだ。


 前世では風呂のような贅沢なものはなく、川に入るか水に浸した布で身体を拭くぐらいだった。御屋形様の屋敷には当時流行っていた五右衛門風呂があったが、勿論家来の身分である俺は一度も入ったことがない。


 そもそも裸になるのが落ち着かない。人前で裸になるなんて以ての外だ。

 だから毎回嫌だと断っているのに、このメイドは強引に俺を風呂に入れようとする。百歩譲って入ってもいいが、納得いかない点が一つあった。



「おっふろ~おっふろ~」


「何度も言っているが、何でリズも一緒に入る必要があるのだ」



 それは、このメイドが一緒に風呂に入ろうとしてくるからだ。

 男が女と一緒に風呂に入るなんて絶対考えられない。しかもこいつはメイドだぞ。分をわきまえるべきだろうが。



「何度も言っていますが、サイ様がしっかりとお風呂に入らないからです。一度だけ一人で入らせてみたら、浸かることもせずサッと入ってサッと出たじゃないですか。だから私がサイ様を監視しなくてはなりません」


「せんでいい。あっおい、人前で乳房ちぶさを見せるな」



 リズがメイド服を脱ぐと、陶器のような美しい裸体が露になってしまう。しかも大きな乳房を隠そうともしないから、俺が目を背ける羽目になる。全く、なんてけしからん奴だ!



「あれれ~、サイ様ったら照れているんですか」


「て、照れてなどいない!」


「恥ずかしがらなくてもいいですよ。それとも、私の身体は目に入れたくないほど醜いですか? プロポーションには凄く気を使っているんですけど」


「そうじゃない! 恥じらいを持てと言ってるんだ!」


「ふふふ、子供相手に恥ずかしいことなんかありませんよ。ほらサイ様も脱いで脱いで!」


「あっこらやめろ」



 俺が目を閉じているのをいいことに、リズが強引に服を脱がせてくる。結局裸になった俺は、リズに連れてかれて風呂場に入った。



「さぁ、お背中流しますね」


「いい、自分でやる」


「ダメです。サイ様は洗うのが乱暴ですから、お肌を傷つけてしまいます。だからこうやって、私が手で丁寧に摩ってあげますからね」


「く、くすぐったいぞ」



 リズが石鹸とやらで泡立てた両手で、俺の背中を優しく摩ってくる。細い指で撫でるようにされるのはくすぐったくてしょうがない。


 それにこのメイドは、背中だけじゃなくて指先の間から何まで全身隈なく洗ってくる。しかも洗うのに全く恥ずかし気がない。本当にこのメイドには恥じらいというものが欠けていた。



「はい、流しますよ。目を瞑っていてください」


「うぬ」



 頭からかけ湯をされ、全身の泡を落としていく。

 身体を洗い終わったら、リズに連れていかれ湯舟に浸かった。



「毎度のことだが、何故俺を抱くのだ」


「毎度のことですが、サイ様がサッと出ないように捕まえているんです」



 俺の体勢は、リズの懐にすっぽり入っている状態だった。

 逃げられないように腰に腕を回され、頭は二つの大きい乳房に挟まっている。身動きができず、蛇に睨まれた蛙のようだった。



「その無駄に大きい乳房をどうにかしてくれ。気が散って全然休まらない」


「あら~? サイ様は小さい方がお好みですか?」


「違う!」


「では大きい方がお好みで?」


「そういうことを言っているんじゃない! もういい、出る!」


「ダメです。ちゃんと二十秒数えてから出ましょうね。い~ち、に~い……」


「ぐぬ」



 何故俺がこんな目に合わなければならんのだ!

 異国の文化なんて嫌いだ!



 ◇◆◇



「じゃあサイ、魔法を見せてくれないか」


「はい、父上」



 久しぶりに帰ってきた父上から、魔法を見せて欲しいと頼まれた。

 リズが父上に報告したのだろう。俺が魔法を使えるようになったのだとな。


 だが、俺には異国の魔法を使うことはついぞ叶わなかった。

 俺が使えたのは忍術だけ。その上、前世では一日に数回しか使えなかった為ここぞの切り札として扱っていたのだが、今世ではいくらでも使えて、なんなら威力や規模も増している。


 嬉しい悲鳴だが、なんとなく忍術については隠していた方が賢明だと判断し、咄嗟に魔法だと誤魔化した。リズは疑っていたが、最後は魔法だと納得してくれた。


 俺としては異国の魔法を使ってみたかったのだがな……期待していただけに残念だ。



「では、いきます」


「うん」


「臨・闘・在・臨……火遁・火吹カスイの術」



 父上に確認を取った俺は、九字護身法を結びながら大きく息を吸い込み、性質を変化させた“気”を加えて一気に吐き出す。

 すると、俺の口から空気ではなく火炎が放射された。忍術を終えた俺は、振り返って父上に尋ねる。



「どうでしょうか、父上」


「驚いたよサイ、凄いじゃないか。火属性魔法なんだろうけど、こんな魔法は今まで見たことがないよ。少し気になったんだけど、手の形を色々変えているのは何故なんだい?」


「これはですね……九字護身法といって、“気”……ではなく魔力の性質……ではなく属性を変えているのです」


「九字護身法か……なるほど、それが呪文の役目を果たしているのかもしれないね。サイはそのやり方をどうやって知ったんだい? 誰かに教えてもらったのかい?」


「そ、それはですね……なんとなくできるようになりました」



 我ながらなんと見苦しい言い訳だろうか。

 なんとなくで父上が知らない魔法を使える訳ないだろう。リズからもしつこく聞かされたが、なんとか通してみせたのだが、果たして父上には通用するだろうか。

 父上は怪訝な表情を浮かべていたのだが、俺の頭にそっと手を置いて優しく撫でてくる。



「凄いじゃないか、サイ。誰も使えない魔法が使えるということはね、サイが特別であるということなんだ。これからもサイだけの魔法を伸ばしていってごらん。困ったことがあれば、僕やリズにいつでも相談していいからね」


「はい。ありがとうございます、父上」



 もっと追及されると覚悟していたのだが、父上は笑顔で褒めてくる。

 なんて寛容で懐が深いのだろうか。普通ならば「貴族の息子として何故一般の魔法が使えないのだ、恥知らずめ」と激怒してもいいくらいだ。


 ディル=ゾウエンベルクは貴族らしく偉そうにふんぞり返ったりはしない。初めは力を隠す為に敢えてそうしているのかと疑ったが、そうではなく父上が優しい性格なだけであった。


 腰が低いともいえるが、きっと誰に対しても慈悲深い御心で接してきたのだろう。地位が高い者の立場としてそういう態度はいかがなものかと思われるが、時にはそういう優しい支配者が居てもいいのだと気付かされた。



「他にはどんな魔法があるんだい?」


「では、土の壁を作りましょう」



 俺は当主の息子だ。

 いずれはゾウエンベルク家を継ぐことになるだろう。その時は、父上のような優しい当主を目指そうと心に誓ったのだった。



 ◇◆◇



「天気が良くて気持ちが良いわねぇ」


「そうですね、母上」



 俺は今、母上に連れられて散歩に繰り出していた。

 仲良く手を繋いでいる親子の後ろには、リズが付き添うようについてきている。リズにしては珍しく、いつものように出しゃばったりせず大人しくしていた。



(屋敷の外に出るのは初めてかもしれんな)



 広大な自然の風景を眺めながら、ふとそんな事を考えた。

 この四年間、俺は屋敷の外には出たことがない。出たとしても広い庭までだ。特に理由はないが、強いて言えば屋敷の中で勉強ばかりして出かける暇がなかったことだろうか。



(異国も日本と変わらず、田舎なのだな。ゾウエンベルク領は辺境にあるからかもしれんが)



 初めて見る外の景色はどんな世界なのだろうかと少し期待したが、ずっと変わらぬ緑の景色に“こんなものか”と心の中でため息を溢した。


 前世で俺が暮らしていた所や、御屋形様にいた所とそう変わらない。木造の家がぽつぽつと並び、農民がいて、小麦や野菜畑があった。


 しかし田んぼはなく、その変わり牛や山羊や鶏を育てる牧場という場所が沢山ある。牛や山羊などの家畜を育てることを酪農と呼ぶらしい。


 領によって特産品は様々だそうだが、ゾウエンベルク領は辺境にあり土地だけは広くて豊かなため、主な特産品は酪農から取れる乳やチーズに家畜そのものだそうだ。家畜は肉といった食料にもなるからな。


 国への年貢も、米がないので家畜を収めているらしい。これらの知識は全部アルフレッドから教えてもらったことだ。



「母上、どうして外に連れ出してくれたのですか?」


「サイも大きくなったし、そろそろ皆に顔見せしようと思ってね」


「そういうことでしたか」



 確かに、さっきから平民に手を振ったりと、自分から声をかけて「子供のサイです」と俺を紹介したりしていた。

 何故今の時期なのだろうかと思ったが、そういえば母上は俺の身体が病弱であると思っていたことを思い出す。外に連れ出す機会を探っていたのだろう。



「ゾウエンベルク領がどんな所か、サイに見せたかったのよ。皆しっかり働いているし、平和でいいところでしょ? まぁ、ちょっぴり田舎だけどね」


「はい、そうですね」



 笑顔で聞いてくる母上に同意した。

 会う平民達は皆が精を励んでいる。そして誰もが笑顔で母上や俺に接していた。取り繕った笑顔でなく、本物の笑顔でだ。


 その光景は領主と平民ではなく友人のような関係に見える。それは母上が常日頃から出向き、平民と交流をして慕われているからなのだろう。


 さらに気付いたのだが、平民は殆どの者がふくよかな体つきをしている。

 貧しくて食うに困ることがなく、ゾウエンベルク領が豊かである証拠なのだ。



「母上は、もう子は作らないのですか?」


「な~に~、どうしちゃったのサイ。姉弟が欲しくなっちゃったの? 一人じゃ寂しい?」


「いえ、そういう訳ではありませんが……」



 ずっと気になっていた。

 何故両親は新しい子を望まないのかと。領主は跡継ぎを残す為にできるだけ子を多く生む必要がある。もし子に何かあった時の代わりがいるから、最低でも二人は必要だ。


 織姫様には兄が、つまり御屋形様を継ぐ長男が居たらしいが、俺が来る前に病気で亡くなってしまったらしい。だから藤堂家は織姫様の婿になる者が継ぐことになっていた。


 今のところ、ゾウエンベルク家は長男の俺だけだ。

 だから弟妹がいつか生まれると思っていたが、今になっても新しい家族が増える気配はない。この際だからと聞いてみると、母上は突然俺を抱き締めてくる。



「私はサイが元気に育ってくれればそれで十分なの。姉弟は作ってあげられないけど、その分私がいっぱい愛してあげるわ。だから、サイも危ないことしちゃダメよ」


「はい……心得ました」



 後になってリズから聞いたのだが、母上は俺が生まれる前に二度も堕胎しているそうだ。もう生める身体ではなかったのだが、どうしても子供が欲しいと願った母上が、念願叶ってようやくできた子が俺だったのだ。

 母上は俺を生むのが限界で、これ以上は無理なんだそうだ。



「母上、俺は強く生きます。ですから安心してください」


「ええ、そうね。強く生きなさい」



 たった一人の息子として、ゾウエンベルク家の跡継ぎとして。

 そして母上を悲しませたくないと思った俺は、死ぬ訳にはいかなくなった。


 新しい命に生まれ変わってから、俺は初めて今世で生きる意味を見出したのだった。

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