第陸話 4歳と剣術
「今日から若様には勉強だけではなく、剣術も学んでいただきます。ゾウエンベルク家の当主となる若様は、ご自身もお強くならねばなりませんので」
「わかった」
アルフレッドにそう言われた俺は、内心で飛び跳ねるほど喜んでいた。
これまでずっと勉強勉強の毎日。元々勉強が嫌いで苦手な俺としては地獄の日々だった。
庶民だったらこれほど勉強しなくても十分であっただろうが、貴族のもとに生まれた俺は覚えなければならぬことが山ほどあった。いくら子供の頭は吸収力が高いといっても限度がある。
特にアルフレッドのしごきはきつく、何度根を上げたか分からない。逃げなかった自分を褒めてやりたかった。
そんな地獄の勉強が今日で終わると聞いて、有頂天になるのも無理はないだろう。そんな俺の心を読んだのか、アルフレッドが注意してくる。
「言っておきますが若様、勉強が終わった訳ではありませぬぞ。若様は最低限の知識を学んだに過ぎません。これからも勉強は続けてもらいます。というより、これからもっと難しくなるので覚悟していてください」
「ぬぅ……」
ふざけるな。今までも大変だったのにまだ終わらないのか。しかもこれからもっと難しくなとか冗談も大概にして欲しいぞ。
はぁ……貴族とはなんと面倒なのだ。御屋形様や織姫様も俺のように沢山勉強なさったのだろうか? 目上の者の苦労は、下々の者には分からないからな。
「ところで、何故母上がおられるのですか?」
「サイが心配だからに決まってるでしょ。な~に~、私がいたら困ることでもあるのかしら~」
「いえ、そのような事はないですが」
若干機嫌悪そうに言う母上を慌てて宥める。
母上が不機嫌なのは、俺がずっと勉強ばかりで、母上との時間を余り取れなかったのが原因だろう。母上はことあるごとに俺を構ったり抱き締めたりするからな。
俺が勉強している間、勿論母上も違うことをしている。
母上は花を愛でるのが好きで、普段から自分で花壇に水をやったりしている。料理は苦手だが裁縫は得意で、俺の服は全部母上の手作りだった。
それと時々リズと共に平民のもとに出向いて、領主の妻として労いの言葉をかけたりしているそうだ。だから平民も、母上のことやゾウエンベルク家を快く思っている。
普段はそういったことをしているのだが、今日に限っては何故か母上が様子を見に来ていた。
それは母上が今言ったように、俺を心配してのことだろう。母上にとって俺はまだ病弱な子供なのだ。
「別に私がいても構わないわよね、アルフレッド?」
「勿論でございます、奥様」
「怪我だけはさせないようにね」
「心得ております」
アルフレッドも大変だな。
母上がいる手前、勉強のように厳しくはできないだろう。そう思っていたら、アルフレッドが木の棒のような物を手渡してきた。
「これは?」
「木剣です。剣術の訓練には木剣を使います」
「ふむ、真剣ではないのか」
「まさか。子供に真剣など持たせません」
「そうか」
前世で半兵衛から忍びとしての生き方を教わった時は、いきなり俺に刀を渡して襲い掛かってきたぞ。死ぬ気でやらないと本当に死ぬぞ、と脅しながらな。
厳しいアルフレッドのことだから同じだと思っていたが、母上を心配させぬよう配慮しているのだろうか?
「それを持って、自由に振ってみてください」
「振ればいいのか?」
「はい」
「わかった」
自由に振っていいと言われたので、とりあえず敵を想像して斬りかるように振ってみる。
「なんとっ!? (剣術の才があるかどうか把握する為に自由に振らせてみたが、まさか初めて剣を振ってこれほど筋が良いとは!? 若様は聡明だけでなく、武にも長けておられたのか。正に神童……このアルフレッド、恐れいりましたぞ若様)」
「凄い凄い! 凄いわサイ! 天才よ!」
木剣を振っていると、母上が興奮しながら褒めてきていた。その横にいるアルフレッドは、鳩が豆鉄砲を食ったような顔を浮かべてじっと俺を見ている。意外とああいった驚いた顔を浮かべるよな、アルフレッドって。
俺としては凄いと褒められるものではない。
身体が小さくなっているからか、前世のように思うように動けん。想像に身体がついてきておらず、戸惑っているくらいだ。木剣は重いし、動きはのろまだしな。
「若様、剣の振り方はいつどうやって覚えられたのですか?」
「どうやって? う~む、なんとなく、だな」
(なんとなく、ですと!? なんとなくで剣の持ち方、振り方を正確に行えるのか! 信じられん……)
また驚いているな、アルフレッド。
だがこれに関しては申し訳ない。俺は剣術の才がある訳ではなく、たまたま前世の記憶を持っているだけだからな。
その事を言えないから、嘘を吐くしかないのだが。
「今日は素振りの稽古だけと考えておりましたが、気が変わりました。若様、私と手合わせをしましょう」
「わかった」
「何言ってるのよアルフレッド! そんな危ないことダメに決まってるじゃない」
「奥様、ご心配なさらず。手合わせといっても、私から剣を振ることは一切ございませんので、若様がお怪我をする可能性はありません」
「母上、俺なら大丈夫ですから」
「そ、そう? でも、危なかったら止めるからね」
「はい」
よし、心配性の母上から承諾を得られた。
これで存分にアルフレッドと戦える。俺はずっと前から、この屈強な執事と戦ってみたかったのだ。今回はアルフレッドが俺に攻撃しなくて残念だが、どれほど強いのかと胸が躍ってしまう。
「さぁ若様、いつでもどうぞ」
「うむ、ではゆくぞ」
俺は地を蹴って、木剣を構えるアルフレッドに肉薄する。今の小さな身体ならば、足を狙っていただろう。しかし真剣ではなく木剣である為にその手段は排除する。
だから俺は、跳躍しながらアルフレッドの目に向かって突きを繰り出した。
「おっと」
「ちっ」
自分では良い奇襲だと思ったが、首を傾けるだけで躱されてしまった。落ち着いていて、反応も良く、対応が良い。やはりこの老人は侮れん。
「初めから急所である頭部を狙うとは、驚きましたぞ若様。次はどうなさいますか?」
「敵に教える馬鹿がいるか」
「ふふ、左様でございますね」
さっきの一撃が躱されるのなら、正面から攻撃しても同じことだろう。正道が通じないというのなら、邪道を試してみるしかあるまい。
「ふん」
「ほう、そう来ましたか」
そう判断した俺は、木剣で地面を削りながら振り上げる。僅かだが土煙によって目くらましをした。本当は毒霧で目潰しをしたかったのだが、今はこれが精一杯だ。
土煙で視界を潰している間に、気配を消しながら背後に周り込む。跳躍し、真上からアルフレッドの脳天目掛けて木剣を振り下ろした。
「甘いですぞ」
「――っ!?」
虚を突いた筈だったが、俺が放った斬撃はアルフレッドの木剣に跳ね返されてしまった。衝撃が強く、幼子の腕力では耐えきれず木剣を弾き飛ばされてしまう。俺も吹っ飛ばされたのだが、くるりと宙で一回転しながら着地した。
「やりますな、若様」
「お前もな、アルフレッド」
「何がやりますな、よ! サイ! 大丈夫!?」
「うぐ……母上、苦しいです」
互いに健闘を称えあっていたら、突如母上が慌てて駆けつけてきて強く抱きしめてくる。怪我はないかと全身を触ってくるので「問題ありません、母上」と言ったら、安堵の息を漏らした。
その後すぐ、鬼の形相でアルフレッドを睨む。
「ちょっとねぇアルフレッド! あなた自分から剣を振らないって言ってたわよね。どーいうつもりなのよ」
「も、申し訳ございません。殺気を感じましたので、身体が勝手に反撃してしまいました」
「な~にが殺気よ。子供のサイがアルフレッドを殺そうとする訳ないじゃない。アルフレッドにしては見苦しい言い訳ね」
「おっしゃる通りです。申し訳ございません、奥様」
(それが殺気を込めておりました、母上)
日頃厳しく勉強させられているアルフレッドに、少しは痛い目を見せてやろうと恨みというか怒りをぶつけようと本気で斬りかかったのは間違いない。
別に殺そうと思ってもないし、この程度でアルフレッドが死ぬ訳がないのだが、アルフレッドからしたら殺気に感じたのだろう。
だからつい手を出してしまった執事は悪くないのだが、母上に怒られているのでこのままにしておこう。ふふふ、少しは痛い目を見るがいい。
「ですが奥様、若様は天賦の才を持っております。私もまさか使わせられるなど思ってもおりませんでした。しかも剣を初めて持った4歳の子供にです。天才という一言では片付けられません」
「サイが凄いのは十分わかったわ。でも、危ないから今後手合わせは無しよ。怪我したらどうするの」
「承知しました。正直申しますと、私から若様に剣術を教えることはもうありません。信じられないことですが、今の時点で若様の剣術は完成されております。ですので、今後は剣術以外のことを教えていきたいと思います」
「うん、そうしてくれる」
「えっ」
な、なんだと!?
もう剣術はできなくなってしまったのか!? アルフレッドとの手合わせもなしだと!? そんな馬鹿な、折角勉強の息抜きが出来ると思ったのに……そんなのあんまりじゃないか。
「サイも、余り無茶しちゃダメよ」
「わ、わかりました……母上」
糞、アルフレッドと戦えるからと調子に乗った俺の考えが浅かったか。母上の前では加減しておけばよかったと、俺は酷く後悔したのだった。
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