第肆話 2歳とゾウエンベルク家

 



 俺の家、ゾウエンベルク家は貴族というものらしい。

 貴族とは何かといえば、日本での武家や大名のようなものだ。それを知っても、然程驚きはしなかった。


 前世でお世話になっていた藤堂義秀とうどうよしひで様の屋敷ほど広く大きい訳ではないが、それなりに広くて大きい立派な屋敷を見て回り、ただの家ではないことは薄々分かっていた。

 というより、家名がある時点でそれなりの地位がある家であるだろう。


 前世では貧しい農民の家に生まれて食うのもやっとだった俺が、大名と同じ地位である貴族の家に生まれてくるなど、全く可笑しな話だろう。

 まぁゾウエンベルク家は貴族といっても、田舎大名のようにみやこから遠く離れた田舎貴族であるらしいがな。



「サイ~、どこに居るの~」


「母上、俺はここです」


「あら、見~つけた」



 俺を呼ぶ声に反応して声をかけると、若い女がひょこっと部屋を覗きこんでくる。美しい空色の髪をした女は俺を見つけるや否や、何故か急に抱き締めてきた。



「あ~もう~サイは可愛いわね~」


「は、母上……苦しいです」


「も~ママって呼んでって言ってるのに~。サイは言葉を覚えるのが早くて凄いって喜んだけど、母上なんて堅苦しい言葉どこで覚えたのかしら。ママって言わないと離してあげないんだから」


「それはご勘弁ください」



 この若い女は俺の母親、ミシェル=ゾウエンベルク。

 母上は今のように、事あるごとに俺を抱き締めてくる。それはきっと反動によるものだろう。


 生まれたばかりの俺は目を開けられず、開いてもすぐに気絶してしまっていた。母親からすれば、我が子が病を患っているのではないかと心配で気が気でなかっただろう。

 その反動なのか、目も開けて元気になった今でも過剰に心配してきたり抱き締めたりしてくる。


 少しうざったくもあるが、俺は無碍にせずあるがままに受け入れていた。

 母上のそれは愛情あってだと理解しているからだ。前世で俺を隠して死んだおとうとおかあがそうであったように、親が子に無性の愛を与えるのは極自然なこと。


 それを恥ずかしいと言って拒むのは幼稚であり、愛情を与えてくれる母上に失礼だ。


 ましてや、俺は“普通の子”ではない。

 前世の記憶を持った変わっている子であるが為に、母上にはなるべく普通の子として関わりたいと思っている。


 腹を痛めて生んだ子が普通ではないと知ったら、母上はきっと悲しんでしまうだろうからな……。愛を注いでくれる母上を悲しませたくない、と俺は思っている。その関係で、俺が前世の記憶を持っていることは母上に知らせていなかった。



「またサイが倒れたってリズから聞いたわよ」


「はい……申し訳ありません」


「怒ってる訳じゃないのよ。ただ、余り心配かけないでね。心配でママが倒れちゃうから」


「はい、母上。気をつけます」


「ふふ、分かってくれたらいいのよ」



 柔らかく微笑む母上は、俺の額に唇を落とす。

 俺は恵まれているのだろう。こんなにも慈愛に溢れた子想いの母上のもとに生まれたのだから。



 ◇◆◇



「リズ」


「わっ!? サイ様!?」



 掃除をしている若い女に用があって声をかけると、その女は肩が跳ねるほど驚いた後に小言を言ってくる。



「背後から声をかけるのはやめてくださいと言いましたよね? ただでさえサイ様は足音も気配もないんですから、声をかけられる度に驚いてしまいます」


「すまない」



 とは謝りつつも、恐らく不可能だろう。

 半兵衛に忍者としての生き方を教わった俺は、敵に気配を抱かせず足音も立たせない歩法を身につけている。その歩法は生まれ変わった今でも無意識に使っているから、直すのは難しい。



「謝らなくていいですよ。気付けない私も悪いですから」



 この若い女はリズ。

 ゾウエンベルク家に仕えるメイドというものだ。メイドとは、前世でいう女中のようなものだった。主に屋敷の家事と、俺の世話もしてくれている。


 因みにゾウエンベルク家には女中がリズ一人しか居ない。この広くて大きい屋敷をリズ一人で家事をこなすのは骨が折れると思われるが、使用人はもう一人居るのだ。それでもまぁ二人だけというか……田舎貴族なだけはあるな。


 メイドのリズは黒く奇妙な服を身に纏っている。

 その服はメイド服というらしく、メイドが仕事をする時に普段着る正装のようなものらしい。最初は見慣れなかったが、今はもう慣れた。


 それに黒いメイド服は、美しい金髪のリズによく似合っている。でも、大きな乳房が強調されているのは少しいかがわしいというか……目のやり場に困ってしまう。


 そんなメイドのリズは、実は人間ではない。

 俺はリズを見つめながら、鑑定眼を使用した。



『ステータス

 名前・リズ

 種族・エルフ

 レベル・???』



 リズの種族は人間ではなく、エルフとなっている。

 では『エルフとはなんだ?』と疑問を抱くと、鑑定眼が答えを出してくれた。


『エルフとは、古代に妖精から派生した種族である。長命で、魔力に長け、魔法が得意。外見が美しく耳が横に長いのが特徴である。亜人デミ・ヒューマンとも呼ばれている』


 さらに深堀して妖精について調べたが、俺が知っているのだと妖精は妖怪に近い摩訶不思議な存在だそうだ。


 耳が長いリズを初めて見た時は妖怪の類だと思った気がするが、強ち間違いではなかったようだ。人間に似ている妖怪で例えると雪女に近いのかもしれんな。


 因みに亜人とは、姿が人間に似ているが人間とは異なった生物の総称だそうだ。


 リズはレベルが???と見たことがない文字になっている。

 鑑定眼で調べるとこれは“はてな”と読み、『不明』や『測定不能』という意味らしい。つまり現段階ではリズのレベルは不明ということだ。



「こら、サイ様。また魔法で私を見ましたね。それはやっちゃダメだと何回も言いましたよね? サイ様のお体を心配しているから注意しているのですよ」


「すまない」



 叱られた俺は、素直に謝る。

 しかし、何故リズは俺が鑑定眼を使ったことが分かっているのだろうか? リズからしたら、俺はただ見ているだけだというのに。

 そんな疑問が顔に出ていたのか、リズはいたずらな笑みを浮かべてこう言ってくる。



「私には分かるんです。だから秘密にはできませんよ、サイ様」


「何故分かるんだ?」


「ふふ、それは秘密です」


「ぬ……」



 何故分かってしまうのだろうか。

 その理由さえ分かれば、俺も対処できるんだがな。



「そういえば、何か御用でしたか?」


「ああ、魔法とやらについて知りたくてな。リズなら詳しいと思って聞きにきたんだ」



 どうやら異国にも、魔法という日本でいう妖術のようなものがあるらしい。


 まだ文字をろくに読めないが、鑑定眼を使いながら一冊の本を読んでいる時に初めて知った。物語の本には魔法使いなる者が登場し、火の竜を出したり水の檻を出したりして敵と戦っていた。

 魔法とはそんな奇怪な事までできるのかと驚いた俺は、魔法について知りたいと思いリズに聞きにきたのだ


 エルフは魔法が得意らしいからな。だからエルフのリズも魔法が使えると思って聞きにきたのだが、リズは首を横に振る。



「サイ様に魔法はまだ早いです。もう少し大きくなったら教えますよ」


「そうか……」


「そんな可愛い顔で落ち込まないでください。ちゃんと教えると約束しますから。今はまだ教えられない事情があるのです。分かってくださいますか?」


「ああ、分かった。その時は頼む」


「はい、私が手取足取り教えて差し上げます」



 魔法とやらが知りたかったのだが、リズは教えてくれなかった。教えられない事情があるようだが、その事情も教えてはくれないのだろう。

(実年齢は)子供ではないのだから駄々をこねる事もあるまい。リズが教えてくれる日を待つとしよう。



 ◇◆◇



「若様、お勉強の時間です」


「ぬっ……」


 老人の男にそう言われた俺は、露骨に顔を顰めた。


「嫌そうな顔をなさらないでください。今日もビシバシお勉強しますぞ」


「ぬぅ……」


 この老人はアルフレッド。

 ゾウエンベルク家に仕える執事だ。執事とはメイドとほぼ同じで、家事手伝いを男がするのだそうだ。


 ゾウエンベルク家はこのアルフレッドとリズの二人で屋敷の家事をしている。たった二人で可能なのかと疑問ではあるが、二人共凄く真面目に働くし、なにより仕事が早い。リズは洗濯や掃除等を担当しているが、アルフレッドはそれに加え何でも熟している。


 一日三食美味い飯を作る料理人でもあり、ゾウエンベルク家の金庫番でもあり、俺の教育係でもあるのだ。


 老人がそこまで働けることに驚きだが、アルフレッドは俺の知っている老人ではなかった。

 背が高く、老人とは思えぬほど背筋が真っすぐ伸びていて、執事服という黒い衣装に包まれた筋肉も名の知れた兵士並みに盛り上がっている。


 どう見ても執事というより兵士の身体付きだ。

 ただの老人ではないだろう思って前に一度鑑定眼を使ったのだが、信じられない結果が出てきた。



『ステータス

 名前・アルフレッド

 種族・人間

 レベル・123』



 アルフレッドのレベルは123いちにーさんだった。

 俺は学がないのでまだ指の数二十本分しか数えられないが、鑑定眼によると指六人分の数らしい。実際に六人分の強さではないそうなのだがな。


 アルフレッドに至っては強者であると察していた。

 彼からは強者が出す特有の雰囲気があり、俺の勘がこいつは只者ではないと告げてくるからだ。


 正直な所、ここまで強い雰囲気を醸し出す者は前世でも多くなかった。御屋形様や半兵衛、名を馳せた武士達と肩を張ることだろう。


 何故こんなにも強い者が執事としてゾウエンベルク家に仕えているのか分からないが、俺はアルフレッドのことが苦手だった。

 何故なら、アルフレッドの勉強は厳しいからだ。



「さ、今日は若様が苦手な算術です。今日は百まで覚えないと飯抜きでございます」


「ぬぅ……」



 俺は勉強が苦手だ。というより嫌いだ。

 物覚えが早く吸収力が高い赤ん坊の身体であっても、中々覚えることができない。それは恐らく、前世の時から勉強に苦手意識を持っていたからだろう。


 俺のような下賤の者は学がなくたって生きていけるし、身体を動かす方が性に合っていた。師である半兵衛も学がなかったしな。


 だから勉強なんぞしなくてもよかった。

 だが、今世ではそうもいかないらしい。



「若様はいずれゾウエンベルク家の当主となる御方です。覚えねばなるまい事は山ほどある為、算術程度で根を上げてもらっては困るのです」


「わかった……やればいいんだろう、やれば」


「その意気でございます、若様」



 糞、こういう時に貴族に生まれたことを後悔してしまうな。

 だがまぁ、うだうだ言わずにやらねばならん。それが貴族に生まれた者としての務めだからな。



「そこ、間違っております」


「うぬぅ……」



 やはりアルフレッドは厳しくて苦手だ。



 ◇◆◇



「頑張ってるかい、サイ」


「父上……」



 アルフレッドからの厳しい指導に頭も身体もくたびれてしまった俺は、寝室で横になっていた。そこへ、家に帰ってきた若い男が声をかけてくる。


 この若い男はディル=ゾウエンベルク。

 ゾウエンベルク家の当主であり、俺の父上だった。


 俺と同じ黒い髪に、黒い瞳。

 細い目には丸眼鏡をかけており、身体の線は細い。優しい顔立ちと同じで、性格も穏やかで優しい。

 そんな父上を鑑定眼で調べた結果はこのようだった。



『ステータス

 名前・ディル=ゾウエンベルク(父親)

 種族・人間

 レベル・86』



 ステータスを見た時少し驚いた。

 正直、父上のレベルがこれほど高いとは思わなかったからだ。リズは例外として、父上からはアルフレッドのような強者の風格がない。実際には強いが、強く見せないようにしているのだろうか?


 俺には何故父上が弱そうに見せているのか分からない。御屋形様もそうであったが、地位の高い者は下の者に対して常日頃から威厳を示さねばならない。

 にもかかわらず、父上はリズやアルフレッドに対しても下手な態度を取っている時がある。


 当主がそんな態度を見せていいのかと疑問ではあるが、力を隠さないといけない事情でもあるのだろうか……。



「アルフレッドは手加減してくれないよね。僕もそうだったから分かるよ」


「父上もですか?」


「そうだよ。僕もアルフレッドから色々学んだんだ。勉強は嫌いかい?」


「はい……」



 優しく尋ねてくる父上に、自信なく頷く。

 すると父上は俺の頭に手を置いて撫でてきた。



「サイなら大丈夫さ。サイは僕と違って頭が良いからね。立ち上がるのも早かったし、言葉だって覚えるのが早かった。こんな達者に話せる二歳児なんてどこにもいないよ」


「それは……」



 俺が前世の知識を持っていたからだ。悪く言えば卑怯者である。



「本当は僕も見てあげたいんだけど、時間を取れなくてごめんね」


「いえ、父上が仕事で忙しいのは分かっていますから」



 父上は仕事が忙しく、殆ど屋敷に居ない。

 どんな仕事をしているのかは聞いていないが、たまにしか帰ってこれないのでよっぽど大変な仕事なのだろう。

 当主自らがそんな大変な仕事をしているのが疑問ではあるがな。考えられるとしたら、父上は日々戦場に赴いているのかもしれない。



「ありがとう、サイ。サイが利発な子で僕は凄く助かっているよ。これからも寂しい思いをさせてしまうと思うけど、僕はサイを愛している。それだけは絶対だよ」



 そう告げると、父上は俺の額に唇を落とした。

 父上が俺を愛しているのは十分伝わっている。だから別に寂しいと感じることはなかった。


 父上だけではない。

 俺はゾウエンベルク家の全員から愛されていた。

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