第2話 事の発端

 事の発端は数時間前に遡る。


 

 すっかり日が昇り、天辺へと至ろうかという時間にルビナの町のギルド支部に一人の男が入ってきた。


「ふああぁぁ〜〜……」


 男はドアのベルをガランゴロンと鳴らしながら、大欠伸を一つ。それを見たギルドの受付嬢が呆れた視線を向けた。


「カインさん、おはようございます」


「あぁ、フレルさん、おはよぉ……」


「またこんな時間まで寝てたんですか? そんなだからどこのパーティにも入れないんですよ? せっかく腕は良いのに……」


 このやり取り、カインとフレルの日常である。カインの実力を知るフレルからすればボヤきたくもなる現状だ。


 冒険者の朝は早い。基本的には日の出とともに出かけていく。朝が弱いカインはそれに合わせることができず、ずっとソロで活動していた。そのおかげで今の実力があるわけだが。


 能力のある者同士がパーティを組めば、より難易度の高いクエストに挑むことができる。難易度の高いクエストがクリアされればギルドとしての評価も上がり、フレル達ギルド職員のお給料にも反映される。


 フレル、なかなかに現金な女である。


「しょうがないだろ。朝は弱いんだ……。その分午後からはちゃんと活動してるんだからさぁ」


「まったくもう、しょうがない人ですねぇ。ならとっとと今日のクエストを決めちゃってください」


 カインがここにいるうちは受付嬢であるフレルもお昼休みを取ることができないのだ。


「はいはい……。ふぁ……」


 フレルにせっつかれて、再度欠伸を漏らしながらカインはふらふらとクエストボードを見に行く。


 ぐうたらに見えるカインも別にやる気がないわけではないのだ。本人の言葉通り朝が弱いだけで、その分きっちりと仕事はこなしてくる。


 その点はフレルも理解しているので、小言は最小限で済んでいた。


「う〜ん……、今日はまたろくなのが残ってないな」


 クエストボードをざっと眺めたカインがぼやく。


 手頃で報酬の良いクエストは早い者勝ち。当然こんな昼間際にやってきてもそんなものは残っているはずがない。


 現在クエストボードに掲載されている仕事は『ドブ攫い』『薬草つみ』『迷い猫探し』等々、割と年がら年中張り出されているものばかりだった。


 早くしろ、というフレルの視線を背中に感じながらもカインが決めきれずにいると、ギルドのドアがすごい勢いで開かれた。


 血相を変えて飛び込んできたのは、農民風の男。よほど急いで来たのだろう、額には大量の汗が浮かび、肩で息をしている。


「た、大変だっ! ウルカ村が、コブリンの群れに襲われたっ!」


 ウルカ村はルビナの町から大人の足で歩いて1時間ほどの距離にある農村だ。収穫間際には一面実った小麦の稲穂で金色に染まり、その景色はこの辺りではちょっとした名所として知られている。


「コブリンの群れなんて、村の男が総出でかかれば簡単に追い払えるだろ?」


 農村と言ってもウルカ村はそれなりの規模だ。普段農業で鍛えた大人の男がいくらでもいるはずで、コブリン程度に被害を与えられる心配はほとんどないといってもいい。あっても夜間に農作物をやられる程度か。


 何をそんなに慌てているのやらと、カインはあまり相手にもしていなかった。男の次の言葉を聞くまでは。


「そりゃ追い払ったさ。追い払ったけど、森へ押し返す途中で、やつら女の子を一人拐いやがったんだ!」


 それにはカインもフレルも反応した。コブリンに捕らえられた女の行く末なんて一つしかない。更にその先にはコブリンの増加という結果も待っている。


 最底辺の魔物であるコブリンも数が増えれば面倒事に繋がる。それこそ次なる被害者が発生する可能性も。


 カインとフレルは顔を見合わせた。


「……なぁ、フレルさんや。これはクエストになるか?」


 冒険者にとってクエストが全て。独自に動くことができないわけではないが、報酬が発生しないのならば旨味がない。報酬がなければ日々の生活にも困ってしまうのだ。


 だが、ここはギルド支部。現金な女だが、フレルは優秀だ。


「そうですね、緊急クエストとして扱いましょうか。マスターは相変わらずどっかほっつき歩いてるんで、私が承認します」


 ここギルドのマスター、じっとしていられない性分で、いつも職員に仕事を放り投げてあちこちに出張っている。


 それでマスターが務まるのだから、楽なものだ。職員には常々そう思われていた。


 実際には裏で色々と動いているのだが、それを悟られないよう立ち振る舞うマスターは意外とできる男だった。


「よしっ、なら俺が出るぞ。おい、あんた。その子が拐われた詳しい場所を教えろ」


 報酬が出るならとカインにやる気が漲る。さっきの眠そうな姿はどこへやら、このクエストは俺のものだと息巻いている。緊急クエストともなれば、その報酬にも期待できるだろう。


「えっ、あぁ……。うちの村の南側の草原だ。ちょうど村と森の間くらいの……」


「というと、あそこか。……んっ?」


 カインは頭の中に地図を思い浮かべた。ウルカ村には何度も行ったことがあるのでだいたいの位置は把握できる。ただ一つ引っかかることがあった。


 先程まで眺めていたクエストボードへと視線を向ける。そこにあった『薬草つみ』のクエスト。その目的の薬草が群生しているのがちょうどその草原なのだ。


「フレルさん、一つ聞いていいか?」


「なんでしょう?」


「今日、この薬草つみのクエスト受けたやつはいるか?」


「なんでそんなことを……、あっ!」


 フレルもカインの言葉の意図を理解したのだろう。すぐさま受注管理表を開いて目当てのページを探し出した。


「あ、ありました! えっと……、って、ソフィーさん?!」


「ソフィー? 知らない名前だな」


 ここのギルド支部に所属してからそれなりに長いカインも耳にしたことがない名前だった。


「まぁ、そうでしょうね。彼女、ここに来たのは最近ですから。でも、もし彼女が被害者なら……、ギルドメンバーからコブリンの母体を出すことになりますね……」


 フレルは神妙な顔つきで呟く。


 ギルドメンバーからコブリンの母体を出すことになれば、ギルド支部全体の恥ともなる。ギルド本部からの評価も下がり、お給料にも反映される。


 やはりフレル、現金な女である。


「そりゃ良くないな。しかし、俺一人か……」


 このクエストは誰にも渡さないと息巻いていたカインだが、さすがに一人でコブリンの大群を相手にするのは骨が折れるかもしれないと思案し始めた。


 そこは優秀なフレル、男を奮い立たせるいい言葉を知っている。事態は一刻を争う、かもしれない。フレルはカインをさっさと送り出したかった。将来のためにも、安定したお給料は守られねばならない。


「ちなみにソフィーさん、聖女です」


「なにっ?!」


 聖女と聞いてカインが驚いたのは、なにも聖女が珍しいからではない。


 聖女といっても、世界に一人しか現れない、なんてことはない。全体に占める割合で言えば少ないほうだが、聖属性の魔術に適正を持つ女性がつくジョブを聖女と呼ぶ。


 よって、カインが声を上げたのは別の理由からだ。


 この聖女というジョブの女性は男性からの人気が高い。聖女というだけでモテモテになれるほどだ。癒やしを与えてくれる女性、モテない道理はない。


 カインも例に漏れずそっち側の男だった。


 カインの心が動いたところで、フレルはもう一押し。


「さらにさらに、ソフィーさん、とっても美少女です」


「よしっ、すぐ連れ戻してくる!」


 カインはやる気をたぎらせて立ち上がった。


 この男もなかなかに現金なようだ。美少女な聖女との縁を作りたい、フレルにはカインのその心が透けて見えていた。


「カインさんならそう言ってくれると思ってましたよ! 一応、急ぎで応援部隊を編成して後を追わせますので、頑張ってくださいね!」


「おうっ、任せとけっ!」


 風のように飛び出していったカインを見送ったフレルはため息を漏らした。


「ふぅ……。勢いで焚き付けちゃいましたけど、まぁカインさんなら大丈夫ですよね。……ですよ、ね?」


 お給料を守るためとはいえ、一人で向かわせたことにわずかに不安になっていた。


「と、とにかく、応援部隊、ですね。……ったく、こんな時にマスター、どこ行っちゃったんですかー?!」


 苦労人フレル、マスターを探すために受付を同僚に任せて、お昼休み返上で町中を駆け回ることになったのだった。

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