第114話
「夜分恐れいります。ミハエル・アーミル卿ですね?」
深夜帯に入って間なしに訪問する者がいた。
この屋敷には住み込みで働く者はいない。今の立場では通いのメイドを雇うのがせいぜいなのだ。
収入的に厳しいわけではない。
爵位を持たない法衣貴族にとって、身分不相応な贅沢は立場が上の者から厳しい視線にさらされるのだ。
しかも、ただメイドを雇うにしても注意すべきことがあった。
メイドが若い女性、特に見目麗しい場合は愛人ではないかと勘繰られてしまう。また、それがどこかの貴族の系統だったりすると、さらにややこしいことになる。
貴族の系統がメイドをする場合、大きくわけてふたつの可能性があった。
それは政略結婚を望む策略か、もしくは花嫁修業の一環かのどちらかである。
前者はより権威のある貴族とつながるため、後者は作法を初めとした貴族女性としての研鑽を促すためだ。
研鑽のためにメイドとして経験を積む多くの女性は、王城や公爵家といった王家と関わりのある所へ身を置くことが多い。
そして政略結婚を望む場合、将来有望な法衣貴族もその対象となる。
ただ、中には職権を濫用させるために娘を嫁がせる、もしくは懐柔や誘惑をくわだてる貴族や商人も存在する。そのため、法衣貴族は日々身辺の注意を怠るわけにはいかなかった。
経緯はどうあれ、そのようなことが起こればすぐにでも職位を取上げられてしまう。
ミハエルは法衣貴族の中でもある意味で裁量権が大きい立場にある。そのミハエルを取り込もうと画策する者たちは少なくはなかったのだ。
「そうだが。こんな時間に何用だろうか?」
貴族が住む地域とは異なり、この屋敷の周辺には夜間に巡回する衛兵はあまりいない。
一応、法衣貴族が住む一帯として定期的な巡回は行われているのだが、それとて日中に二度、夜間には一度しかなかった。
不審者がうろつくことは少なかったが、こんな時間帯にアポなしで来る奴など怪しいとしか思えない。
「あなたの悩みを解決しに来ました。三ヶ月前、総会の打ち上げ後にいろいろとあったそうですね。」
ミハエルはその言葉を聞いて思わず玄関扉を開けてしまった。
不審者の可能性も考えてドア越しに要件だけ聞いてしまおうと思っていたのだが、ミハエルにとって聞き流せない案件だったからだ。
「初めまして。冒険者ギルドの特命執行官です。」
目の前に立っていたのは、上背はあるが猫背の姿勢を崩さない髪の薄い男だった。
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