誰も味方のいなくなった海野茜

 ある日の昼休み、葵さんの作ってくれたお弁当を食べ終えた僕はいつもの如く彼女とゲームの協力プレイをしていた。大好きな彼女と一緒に大好きなゲームを楽しむ…まさに僕にとって至福の時間である。


 だがそんな幸せな時間を堪能していた僕たちに忍び寄る1つの影があった。


「お、お姉ちゃん…」


 僕たちは一時ゲームを中断し、その声のした方を振り向く。


 そこには海野茜が両腕に教科書を抱えて立っていた。僕はまた彼女が何か企んでいるのではないかと思い身構える。


「あ、あのね…次の数学の授業、私問題を当てられてるんだけど…どうやって解けばいいのか分からないの。だから…お姉ちゃん教えて?」


 彼女の取り巻きをしていた清川はずっと学校を休んでいるし、木島は入院中だ。その他のクラスメイトは教師に指示されるなどの特段の事情が無い限りは彼女の事を無視していた。


 …もはやこのクラスに彼女を助けようと思う者は誰もいない。いや、このクラスのみならず、この学校の生徒ほぼ全員に海野茜のしでかした悪行はすでに広まっており、彼女に関わろうとする者はいなかった。


 助けてくれる者のいなくなった彼女は最後のよりどころとして親族である葵さんを頼って来たのだろう。葵さんなら自分を助けてくれると信じて。


 しかし葵さんは自分を頼って来た彼女を冷たく見放した。


「…私はあなたの姉ではありません。他の人に頼んで下さい」


「お、お姉ちゃ…」


 葵さんに拒絶された海野茜の目にうっすらと涙がにじんでいるのが見えた。


 今までは海野茜が困っていれば周りの誰かしらが助けたし、彼女が何かやらかしてもその取り巻き連中が庇ったり、周りの人間からは大目に見られたりしていた。


 だからこそ彼女の性格はあそこまで尊大に育ったのだろう。


 だが今や彼女の酷すぎる言動により、彼女を助ける者は誰もいなくなった。最大の庇護者だった葵さんまでも、彼女は自分の手で振り払ったのだ。


 海野茜が何かをやらかせば皆白い目で突き刺すように彼女を見る。周りから叩かれ続けた彼女の精神はボロボロで、以前のようにイキリ散らす余裕すらない。


 彼女は手で涙を払いながら必死に葵さんに訴えた。


「そ、そんな…私、お姉ちゃんに謝ったのに…。ちゃんと『ごめんなさい』って謝ったのに…」


「確かに私に対する暴言への謝罪は受け入れました。ですが…私はあなたが沢山の人に迷惑をかけた事に関しては許していませんよ。私の忠告を無視して散々迷惑をかけて…私はそんな子を妹だと思いたくありません!」


「お姉…ううっ…」


 葵さんに拒まれた海野茜はそのまましょぼくれた様子で自分の席へと戻っていった。


「いいの?」


 僕は海野茜の事が嫌いだ。正直どうなろうがどうでもいい。でも葵さんにとっては生まれた時から一緒に居る家族にも等しい存在。


 …葵さんはとても優しい人だ。口ではああ言っているが、そう簡単に妹にも等しかった存在を見捨てられる性格ではないだろう。


「私は…あの子に過保護すぎました。あの子がちゃんと学校生活を送れるようにと色々してきましたが…それがむしろあの子の成長の妨げになっていたと、やっと気づいたんです。今のあの子に必要なのは突き放す事。私はあの子がこれで反省して真人間に育ってくれればそれでいいです」


「葵さんがそう決めたのなら、僕はその判断を尊重するよ」


「ありがとう、生人君」


 葵さんはそう言ってほほ笑んだ。僕たちは中断していたゲームの協力プレイを再開した。



○○〇



 その日の授業が終わった。日直の号令により帰りのSHRも終了し、クラスメイトたちが教室から離散する。


 僕はというと…いつもなら葵さんと一緒に帰るのだが、本日彼女は家の用事ですぐに帰らなくてはいけないそうなので、仕方なく1人で帰る事にした。


 電車の発車時刻まではまだ時間があるので、鞄に教科書類をゆっくり詰め込み帰りの支度を整える。


 帰り支度が整った僕は教室を出て駅に向かおうとした。ところがそこで同じく帰ろうとしていた海野茜とぶつかりそうになってしまう。


「じゃ、邪魔よこの陰キャチー牛!」


 ぶつかりそうになった彼女は僕に向かって悪態をつく。


 けれども彼女の言葉からは以前の様な高慢さは感じられず、むしろ僕に対する怯えを含んでいるように思えた。例えるなら子犬が内心では僕を恐れているのに、必死に虚勢を張って吠えている…といえばいいだろうか。


 僕はそんな彼女を意にも介さず教室を出ようとした。相手にするだけ時間の無駄だ。


 しかしその時、海野茜がいきなり胸を押さえて苦しみ出した。彼女は苦しそうな声を発しながら床に倒れる。


「あ…が…く、苦しい…た、たす…けて…」


 …それは傍から見ると異常な光景だったであろう。教室の真ん中で胸を押さえて苦しそうに倒れた女の子がいるのに、誰も彼女を助けようとしないのだ。


 皆彼女が苦しんでいるのには気が付いている。だが彼女を一瞥いちべつするだけですぐに自分がやっていた作業に戻った。


 ある者は友達と「帰りはどこに行く?」と相談を続け、またある者は急いで荷物をまとめて教室を出る。


 誰も彼女に関わろうとする者はいなかった。そしてとうとう教室内には僕と彼女だけが残される。


「な、なんで…誰も…私を助けて…くれないの? 女の子が…胸を押さえて苦しんでいるのよ? 死ぬかも…しれないのよ? グッ…ウウッ」


 流石に緊急事態ならば…誰かしらは自分を助けてくれると思っていたのだろう。だが誰も彼女を助けなかった。彼女にはその事実が受け入れがたいようだ。


「当たり前だ。お前を助けたらどんなイチャモンをつけられるか分からないからな。最悪の場合は犯罪者扱いされるかもしれないし。お前が今までそういう相手の信頼を失うような立ち回りをしてきたんだ。当然の結果だろ?」


 僕は彼女の疑問にそう回答した。自分を助けてくれた相手を罵倒する人間を助けようとする人などいない。しかも彼女はそれに加えて人を犯罪者扱いしたのだ。


 誰しも自分の身が大事だ。それに守らなきゃいけないモノもある。


 家に家族がいて…学校に友人がいて。大人であれば職場に同僚や上司という人間関係があり、妻または夫、それに子の生活を守らなくてはならない。


 人にイチャモンをつけ、犯罪者として訴えるのはその人の大事な物を全て壊す事に繋がりかねないのだ。


 普通の人なら…そんな異常者と関わり合いになるのは避けるだろう。触らぬ神になんとやらだ。


「あ、アンタでいいわ。特別に…許してあげる。だから…助けて。鞄の中に薬が…グッ…は、早く…。ハァ…ハァ…」


「お前『陰キャに助けられるぐらいなら死んだ方がマシ!』って言ってたじゃないか。お望み通り死ねば?」


「あれ…は、取り消す…から」


「嫌だね。僕はお前を助けないよ。それに僕が鞄を開けたらどうせ後で『セクハラ』とか言う気だろ? あっ、もしかするとその『胸を押さえて苦しんでいる』のすら僕を貶めるための演技かもしれないな」


 自分でもここまで性格の悪い言葉が出るとは思わなかった。僕はそれほどまでにこの女が嫌いらしい。それを聞いた彼女の目に涙が溜まる。


「言わない。言わない…から。おね…がいします。本当に…苦しいの…」


「信じられない」


「ううっ…謝る。あや…まりますから。私が…今まであなたにしてきた…事、全部謝ります。私が悪かった…です。本当に…ごめ…んなさい。調子に乗って…ました。もう…あなたを悪く言わない…から。土下座でも…なんでもするから…。助けて…貰った後に…イチャモンも…絶対つけま…せん。神様に…お姉ちゃんに…誓うから。だから…助け…。グスッグスッ…」


 周りの人たちから見放され、ここまで追い詰められた末にやっと…彼女は自分の過ちを認め、ようやく僕に対する謝罪の言葉を口にした。


「偶然親切なイケメンでも通りかかれば助けて貰えるんじゃないの? じゃあ僕は帰るから」


「そん…なぁ…。お願い…お願い…します。グスッグスッ…」


 だが僕はそんな彼女の必死の懇願を無視して教室を後にした。



◇◇◇


海野茜がどうなったのかは次回。

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