恋人になった僕と葵さん

 昼休み、僕は葵さんといつもの如く昼食を取るために中庭に移動していた。


 今日は彼女と恋人になって初めての昼食だ。それになにやら今日は葵さんからのサプライズがあるらしい。


 僕の心は晴れやかだった。憧れの人と付き合えて、それを友人たちに祝福して貰えて、イメチェンも大成功だったようだし…僕はなんて幸福なんだろう。人生の中で1番と言っていいほどの多福感が心を支配していた。


「はい、どうぞ。昨日言っていたサプライズです」


 葵さんは中庭にある休憩所の席に座ると僕の前に青い巾着袋に包まれた箱を差し出した。中身はもちろん…。


「本山君のお口に会えばいいんですが…」


 葵さんの手作りお弁当である。


「いやいや、とんでもない。葵さんの作った料理に不味い料理なんて無いよ」


 葵さんは謙遜してそんな事を言ったのだろうが、彼女が料理上手な事はこれまでお弁当を分けて貰った経験から分かり切っていた。僕の舌に涎が溢れる。


「ありがとう葵さん。でも僕の分のお弁当を作るの大変だったんじゃない?」


 彼氏として男として…女の子の手作りお弁当を食べられるのは凄く嬉しい。でもそれが葵さんの負担になっていないか僕は不安だった。


「いつもより材料を少し多めに調理するだけですし、手間はそれほどかかっていません」


「お金だって余分にかかってると思うし…あっ、材料費いくらかかった? 払うよ」


 僕はポケットから財布を取り出して中を開いた。ところが葵さんはそれを両手を振って拒否する。


「本山君からお金なんていただけません。只でさえあなたには命を助けて貰った恩があるのに。それにあの子の事で色々ご迷惑をおかけしていますし…。それはしまって下さい」


「そんなの気にしなくていいよ。僕は別にお礼が欲しくて葵さんを助けた訳じゃないし、海野茜の件に関しては葵さんは関係ないじゃない」


「ですが…」


「葵さん。僕は葵さんと恋人として対等な関係でいたいんだ。僕にそんな負い目を感じていたら、いつか葵さんが精神的に疲れちゃうよ。僕は彼氏として葵さんにそんな風になって欲しくない。だから…これは受け取ってくれないかな? 対等である証として」


「本山君…。分かりました」


 葵さんは渋々僕からお金を受け取った。僕の考えに納得はしてくれたようだが、生真面目な性格の彼女はそれを受け入れるのに時間がかかるのだろう。頭では理解していても、どうしても気おくれをおこしてしまうのだ。


 …そこは彼氏である僕がフォローしないとな。


「ごめん、しんみりとした空気になっちゃったね。さっ、お弁当を食べようか? 葵さんのお弁当楽しみだなぁ♪」


 僕はウキウキでお弁当箱の蓋を開けた。中にはなんと生姜焼き弁当が入っていた。生姜焼きの食欲をそそるスパイシーな香りが鼻孔をくすぐる。


「うわぁ、美味しそう!」


「男の人はガッツリとしたものが好きだと思って…。あっ、そういえば本山君はお弁当のおかずは何が好きですか? リクエストがあれば受け付けますよ」


「基本的には何でも食べるけど…やっぱり肉系が好きかなぁ?」


 唐揚げ、ハンバーグ、肉団子、ウィンナー! これらを嫌いな男の子の方が少数派ではないだろうか? いや、いない訳ではないだろうけれども。


 僕の答えを聞いた葵さんはクスクスと笑いながらそれを了承してくれた。


「分かりました。ではお肉多めで作ります」


 肉を1枚箸で掴んで口に運ぶ。ジューシーな豚肉と甘辛い生姜焼きのタレが絶妙にマッチしている。そしてそこに白米を放り込むのだ。


 これは…控えめに言っても最高だね!


「美味しい、美味しいよ。流石葵さん!」


「ふふっ、ありがとうございます♪」


 僕は生姜焼き弁当があまりに美味かったのでペロリと平らげてしまった。


「ご馳走様。本当に美味しかったよ」


「お粗末様です。もしかして…足りませんでしたか? 多めには作っておいたんですけど…」


 僕は腹を摩って調子を確認する。少し物足りないと言えば物足りないが…後で購買でパンでも買えばいいだろう。


 だが僕の表情を見てそれを察したのか、葵さんは自分のお弁当に乗っている生姜焼きを箸で掴むと僕に差し出してきた。


「えっ!? いいよいいよ。葵さんの分がなくなっちゃう!」


「いいんです。こういう事もあろうかと私の分も普段より多めに作ってあったので…。それにその…せっかくですし『あーん』というのをやってみたくて…。ダメ…ですか?」


 葵さんは頬を紅潮させ、その瞳を潤せながら僕の方を上目遣いで見上げて懇願してくる。…これを断れる男などこの世にいないだろう。


 彼女の分のお弁当まで貰うのは申し訳ない気持ちがあるが…彼女の頼みも断れない。僕は早々に彼女の上目遣いに屈して口を開ける。


「あ、あーん…///」


「あーん…////」


 彼女の箸先にある肉が僕の口の中へと消える。僕はそれをゆっくりと噛んで飲み込んだ。…正直、緊張で味が全く分からなかった。


 今、僕の顔は茹蛸ゆでだこみたいに真っ赤になっているに違いない。正面の葵さんの顔も真っ赤っかだ。


 よく漫画やドラマなんかで恋人同士がやる定番として挙げられる「あーん」だが、何故定番と言われているのか分かった気がする。


 恋人と「あーん」すると、心がとてつもない満足感に包まれる。おそらく相手に愛されている、認められていると理解できる行為だからだろう。そしてその愛してくれた相手に自分もまた愛おしさを感じて幸せな気持ちになるのだ。


 僕たちは心からこみ上げて来る多福感にしばらく浸っていた。


「あのさ、2人の世界に入っている所悪いんだけど…俺、邪魔じゃない?」


「うぉい!?」


「わぁ!?」


 ところがいきなり横から聞こえてきた声に驚いて僕たちは飛び上がる。


 そうだ…この場には正平もいたんだった。


 僕たち2人が付き合えたのは正平の力添えのおかげだ。なので改めて僕と葵さんの2人でお礼が言いたくて、彼を昼食に誘っていたのだ。


 だが僕たちは2人の世界に入るあまり…正平の存在がすっぽりと頭から抜け落ちていたらしい。ごめん…正平。


「…むしろなんで俺を昼食に誘ったんだよ。誘われてノコノコついてきた俺もバカだったけどさ。イチャイチャを見せつけるためか?」


「ご、ごめん正平。正平には改めて僕たちからお礼を言いたくてさ。だから昼食に誘ったんだ。ンンッ! 正平、君のおかげで僕たちは無事付き合えたよ。色々気遣ってくれてありがとう!」


「私からもお礼を言わせてください。藤堂君、本当にありがとうございました。本山君から聞いたんですけど、藤堂君がよく腹痛を起こしていたのは私たちを2人きりにするためだったらしいですね」


「正平が恋人を作る時は僕も絶対協力するから!」


「私もです!」


「ふっ…いいって事よ」


 僕と葵さんは2人で正平に今までのお礼を述べた。彼はそれを聞き入れると微笑しながら席を立つ。


「あれ、どこ行くの?」


「ちょっとコーヒーを買いにな。甘ったるくてしょうがねぇや」


「えっ? でも正平ってコーヒー苦手じゃなかったっけ?」


「うるせぇ! 苦いもんで中和しないと胸やけ起こしそうだわ! 末永くお幸せにな!!!」


 正平はそう言い残すと自販機の方向へ消えていった。



◇◇◇


正平君がコーヒーを買いに行ったのは2人の雰囲気の甘ったるさに胸やけを起こしたからです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る