勝負の後
「本山君…ありがとうございます」
「えっ?」
木島との勝負に勝った後、僕たちはその場にへたり込んで動かなくなった木島を放っておいてトイレに行ったまま戻らない正平を探しに向かった。
その途中で葵さんが僕に感謝の言葉を述べた。
「実は私、前から木島君の事が苦手だったんです。妹と仲良くしてくれている手前、あまり表面には出しませんでしたが…鼻息を荒くしながら距離を詰めて来るのが本当に気持ち悪くて…。でも、本山君のおかげでこれからは必要以上に近寄られずに済みそうです」
「いや、僕は別にそんな大した事はしてないよ。ただゲームしてただけだし…」
「それでも…私は助かりました。ありがとう」
葵さんはそう言ってほほ笑んだ。僕は彼女の「ありがとう」という言葉を聞いて心がスッとした。
良かった…僕の行動は間違っていなかったらしい。
僕はただゲームやアニメが好きなだけの陰キャに過ぎない。しかしそんな僕の小さな力でも彼女の…葵さんの助けになれたのだ。それが少し誇らしかった。
それに…僕は別に彼女にお礼や見返りを求めてやった訳ではないが、やはりお礼を言われるというのは気持ちが良いものだ。
たった一言『ありがとう』の言葉があるだけでも大分違う。人が困っていたらまた助けようという気持ちになる。
逆に罵倒されれば助けようという気持ちは失せてしまう。どこの世界に罵倒されてまで人を助けようとする物好きがいるというのだろう。
人は1人では生きていけない。一説によると「人」という字はお互いに支え合っている所を文字にしたものだと言う。
どんな優秀な人間にだって自分1人では乗り越えられない困難な場面がある。僕たちのような凡人なら尚更だ。
…これは僕の完全な理想論かもしれないが、そんな困難をお互いに助け合いながら『ありがとう』とお礼を言い合える優しい世界になればいいなと思った。
命を助けたはずの女の子に罵倒され断罪され…一時は暗黒面に陥っていた僕の心だが、葵さんのおかげで心に光が差し込んでいた。
彼女はやはり素晴らしい人だ。僕の心には彼女に対する尊敬の念と…そして自分では上手く言語化できないもう1つの不思議な感情が生まれていた。
…この感情はなんだろう? 彼女の事を思うと心がポカポカと温かくなる。僕の人生で今まで感じた事のない感情だ。
まぁ、今はいいか。
というか木島、こんな真人間の葵さんにあそこまで言われるなんて…少し可哀そうだが彼には最初から芽なんてなかったみたいである。
そうこうしているうちにゲーセンのトイレの前にたどり着く僕たち。トイレからは丁度正平が出てきた所だった。僕は彼に声をかける。
「おーい、正平! ずっとトイレに籠っていたみたいだけど、お腹大丈夫?」
正平は僕たちに気が付くと顔をこちらに向けた。彼がトイレに向かったのはこのゲームセンターに着いてすぐなので、かれこれ1時間以上トイレに籠っていた計算になる。
「ん? あ、ああ。ちょっとゲリピーでさ。それよりお前らはゲーム楽しめたか?」
「それが…」
僕たちは先ほど正平がトイレに籠っている間に起こった出来事を話した。
「ええっ、木島が絡んで来ただって!? マジか…良かれと思って2人きりにしてたけど…そうか、木島が。でも追い払えたんだろ?」
「ええ、本山君カッコよかったんですよ。こう…シュババババってスタイリッシュにダンスを踊って…」
葵さんが興奮した様子で僕の雄姿を語る。そこまで大げさに言われると少し恥ずかしい。
「でもこれで木島も少しは大人しくなるんじゃないか? あいつ普段からクラスでイキリ散らしてたからいい気味だ」
正平は「ざまぁ!」というような顔をして悪態をついた。彼も木島の事はあまり好きではないのだろう。
「そういえば話変わるけど…2人でやろうとしてたあのゾンビシューティングはどうなったんだ?」
「はい、アレも本山君のおかげでエンディングまで行けたんですよ。本山君って本当にゲームが上手なんですね。凄いと思います!」
僕たちはしばしゲームの話に花を咲かせた。
○○〇
ピピピピピピピピ♪
僕たちが話していると突然正平のスマホからアラームが鳴り響いた。彼はポケットからスマホを取り出して画面を確認する。
「おっ、もう18時すぎか。名残惜しいが…帰りの電車が無くなるから帰らないとな」
僕たちの住んでいるこの地域は田舎ゆえに18時を過ぎると電車の本数が一気に減る。
18時35分発下り電車。これを逃せば次に下りの電車が来るのは20時近くになってしまうのだ。流石に帰りが20時を過ぎると両親を心配させてしてしまう。
なのでそろそろゲーセンを出ないと帰りの電車に間に合わない。正平は電車に乗り遅れないようにあらかじめアラームを設定していたようだ。
「でも正平が全然楽しめてなくない? 何か1つぐらいやって行こうよ」
帰らなくてはいけない時間なのは理解しているのだが、正平が企画した親睦会なのに企画者である彼が楽しめていないのは不純だと思った。それにまだ少しだけなら時間がある。
「いや、俺は今日は腹が痛いからいいや。生人と葵さんが楽しめたならそれでいいよ。2人を誘った甲斐がある」
「そう?」
なんか今日の正平は色々とおかしいな…。いつもなら「遊び足りない!」とか言って時間ギリギリまで何かしらやろうとするのに。
彼の言動に違和感を抱いた僕だったが、正平がそう言うのならと引き下がる事にした。僕たちは帰宅するべく3人揃ってゲーセンの出口へと向かう。
「葵さん、今日は楽しかったかい?」
ゲーセンの自動ドアをくぐって外に出た所で正平が葵さんに問いかけた。
「はい! 私生まれて初めてシューティングゲームをやったんですけど、あんなに興奮するものだとは思いませんでした。とても楽しかったです!」
葵さんはまるで子供のようにはしゃぎながらそう言った。
「だとさ、生人。良かったな」
僕は照れ臭くなり、頭をかいた。今日の僕は葵さんにゲームを好きになって欲しくて、彼女に少しでも楽しんで欲しくて行動した訳だけれども…それが叶ったみたいだ。せっかく一緒に遊ぶのだから相手には楽しんで貰いたい。
「今日は誘ってくれてありがとう♪ では、また明日!」
葵さんは別れ際に特大の笑顔を僕たちに向けると自分の家へと駆けて行った。
僕は彼女の笑顔を見て今日は彼女とゲームをプレイできてよかったと思った。
◇◇◇
では連載を続けていきます。よろしくお願いします。
毎日7時に1話投稿します。
正平君が今日2人をゲーセンに誘ったのは2人の仲を進展させるためなので、2人が楽しめればそれでいいと思っています。
トイレにずっとこもっていたのもそのためです。
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