3 礼子
昼のニュース番組を見ながら、礼子は自分の人生を根本から否定されているような感覚に襲われていた。これは何かの間違いなのではないか、自分は悪い夢を見ているだけなのではないか。何度も繰り返し自問した。
画面上部のテロップには『通り魔事件、七人目の犠牲者……残忍な手口と犯人像』と出ている。今日の明け方、近所の公園で小学生の遺体が見つかったらしい。被害者の写真には見覚えがあった。カウンセリングをした子どものうちの一人で、名前は確か美波と言った。
テレビでは専門家やコメンテーターが顔をつきあわせて議論を白熱させていた。清香とその娘が殺されたときのニュースにも出演していた、どこかの大学の女性教授がまた涙を流しながらコメントをしていた。
「私にも子どもがおりますが、もし自分の子どもが同じ目に遭ったらと思うと、怖くて怖くて……どうしてこの美波ちゃんが、深夜に公園を歩いていたのかは分かりませんが、普通、小学生が一人で歩いているところを見て襲おうと思いますか? 思いませんよね。普通の人なら、警察に届けるなり、話を聞いてあげるなり……そういったことが出来たと思うんです。でも、この犯人はそんなことをせず美波ちゃんを殺しました。前にも言ったように、この犯人はどこかおかしいのだと思います。もし、美波ちゃんを発見したのが犯人ではなく他の誰かだったら……もし私だったら……そう思うと本当に悔しくて……。この子が、井月さん親子が亡くなったときから、狙われる定めであったとするなら社会全体が一丸となって救ってあげなければならない少女だったと、私は……そう思います」
そこまで言い切ると顔を伏せて静かに泣き始めた。慌てた様子でカメラが別の出演者の顔をアップで映した。
この事件を起こしたのは、上の息子であることは礼子も分かっていた。状況証拠も物的証拠も充分だ。刃物が下の息子の部屋で見つかったのは恐らく、役立たずなりの浅知恵だったのだろう。彼は昔からそうだった。臆病で小心者で、自分の非を認められない。
礼子は怒りのままテレビを消して、二階へ足を向けた。すぐにでもあの少女――美波を殺した証拠を消さなくては。そして、上の息子を追い出さなくては。あんな木偶のせいで、私が今まで積み上げていた苦労や努力を崩されるのは我慢ならない。
しかし立ち上がったのと同時に、インターフォンが鳴った。
礼子は訪問者を確認して息を呑んだ。
以前クリニックまで訪ねてきた刑事、天乃だった。今日はもう二人同行者がおり、一人はスーツで、もう一人は制服だった。
再度インターフォンが鳴る。
どうする? もう、証拠が出そろって、あの木偶を逮捕しに来たのか? いや、それならもっと大人数で来るだろう。少なくとも、三人なんてことはない。では、話を聞きに来ただけだろうか。令状を取るための最終確認なのかもしれない……
また、インターフォンが鳴った。礼子は髪を掻きむしり、家中を歩き回った。
そして昼前に職場からかかってきた電話を思い出した。無断欠勤した礼子の安否を確認するものだったのだが、そのとき電話口でこう言われたのだった。「刑事さんが、礼子さんを訪ねてきましたよ」と。
礼子は玄関口まで行ってドアに手を掛けた。彼らは、まだ上の息子にたどり着いていない。そう思い至ったからだ。恐らく彼らは、今朝方遺体で見つかった少女の話を聞きにきたのだ。清香が亡くなったときも、それ以前に妊婦が襲われたときも、天乃は話を聞きに来たではないか。刑事捜査には明るくないが、被害者の身辺を調べるのも捜査の一環なのだろう。
礼子は四回目のインターフォンを聞いてから、ドアを開けた。
頭の中で、あの美波という少女のカウンセリング結果と、客観的に見た親子関係、天乃からされるであろう質問を思い浮かべる。
ええ、その女の子なら、確かにカウンセリングに来ていましたよ。末松さんという、今は辞められましたが、元々うちで働いていたパートの方の娘さんと同級生だったみたいで。
ええ。九月上旬に起きたあの事件です。あの事件の被害者の子と仲がよかったらしく、カウンセリングをしてくれと頼まれましてね。
美波ちゃんは落ち着いていて、そこまで取り乱すようなこともありませんでしたね。年相応に奔放さがあって、少し言葉遣いは乱暴でしたが……あんな子が亡くなってしまうなんて、世の中理不尽なものですね。
え、親子関係ですか? さあ……カウンセリングをしているとき、お母様とお話しする機会はほとんどありませんでしたから……。でも、特別仲が悪かったようには見えませんでしたよ。つかず離れずの関係といいますか、過干渉でも不干渉でもない、バランスの取れた親子のように見えましたが……。
深夜に子どもだけで出歩いていた理由ですか? それこそもっと分かりませんね。ただこれは個人的な見解ですが、深夜徘徊をする子どもというのは、何かしら心にしこりを抱えていることがほとんどなんです。将来への不安であったりとか、現状への鬱憤、あるいは家庭に居場所がない子どもや、家族間に問題がある場合も考えられますね。
よく深夜に、不良がコンビニに溜まりますが、あれも同じ理由なんですよ。彼らもまた、心にしこりを抱えているんです。小学生の美波ちゃんが、一体どのようなしこりを抱えていたのかは刑事さんもご存じでしょうが……
「宮下礼子さんで、お間違いないですね」
警察手帳を半端に覗かせた、スーツ姿の若い刑事がいった。やはり天乃と同種の目をしていた。
「実は、お聞きしたいことがございまして……」
きた。礼子は、驚いた顔で『ええ、その女の子なら……』と言う準備をする。
しかし刑事の次の言葉は、思いもよらないものだった。
「今朝早く、宮下さんがカウンセリングを担当している円木一恵さんが、息子の円木圭祐に殺害されました。円木圭祐は現在逃亡中で、行方が分からなくなっています。何か、ご存じありませんか?」
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