第八章
1 圭祐
兄と澄香の死は、翌日のトップニュースとなった。あるニュースではカップルの心中とされ、あるニュースでは共犯者の仲違いとされ、あるニュースでは尚人をストーカーだと断定していた。
午後になると円木家には警察が押しかけてきた。その中には圭祐と珠希を職質した二人の巡査も含まれていた。その一人――天乃を前にしながら圭祐は、聴取を受けている母を盗み見た。
「円木さん、もう一度お聞きしますよ。ここ一ヶ月あまりで多発している、暴行事件および通り魔事件のことはご存じですね」
呆れた顔つきの壮年の刑事が聞く。このやりとり自体すでに五回目だった。
「それは、知っています。でも、息子がそんな……」
「質問にだけ答えて、その他は話さないでください」
声を高くする母に、隣の女刑事が鋭く言う。この注意を聞いたのも五回目だ。母はうなだれるように俯いた。
「息子さんに、何か変わったことはありませんでしたか。例えば、家での挙動がおかしかったとか、突然法律について勉強をし始めたとか。反対に、何事にも意欲を示さなくなったとか。些細なことでも構わないのですが」
母はパニックを起こす寸前の顔で大きな息を吐くと、
「先ほどから何度も言っていますよね。そもそも上の息子は引きこもりがちだったので、私には分かりません。でも事件には何の関係もないと思います」
苛立たしげに貧乏揺すりをしていた。
「何度も何度も同じ質問をされても困ります。私だって実の息子を喪って、しかも元婚約者も殺してるなんて……ただでさえ混乱しているのに、その上通り魔事件にも関与ですって?」
「暴行事件もです」
「どっちでも一緒よ! それに協力しているのに何ですかその態度は。人をそんな目でジロジロ見て……」
母は机を叩いて立ち上がると、裏口から出て行った。その後ろを二人の刑事と見張りの巡査が追いかけていった。
「君も、お兄さんのことは知らないのかい」
遠ざかる喧噪を見ながら天乃が言った。
「お兄さんが暴力的になったとか、反対に優しくなったとか……そういうことはなかったかい」
「兄と顔を合わせることはほとんどありませんでしたから。よく分かりません。婚約者とはとっくに別れていたと思っていたので、どこで接点があったのか……」
その言葉は自分でも驚くくらい淀みなかった。天乃は疑わしげな目で何度か念押しをしてきた。
「本当に? 本当になにも知らないのかい」
「知りませんよ。僕も兄を喪ってショックなんですから、あんまり問い詰めてこないでくださいよ」
天乃は疑わしげな目をしていたが、質問をやめた。
しばらくすると二人の刑事に連れられて母が戻ってきた。その顔には疲れがにじみ出ていて、普段は気丈な母が一気に老け込んだように見えた。
「本当に、少しだけ外出ても良いですか。もう僕に聞くこともないでしょう?」
戻ってきた刑事にも聞こえるように圭祐が問うと、すぐに許可が下りた。
「お母さんも、話しづらいこともあるだろうから。しばらく時間を潰していてくれれば、こちらとしても助かる」
天乃は不機嫌そうに、出て行こうとする圭祐を呼び止めた。
「彼女さんとは仲良くやっているのかな。確か……佐藤さんといったか」
一瞬同じ委員会の同級生を思い出した。妊娠したかもと言っていた女子だ。だがすぐに珠希のことだと思い当たって、
「高校生らしい恋愛をしてますよ」
素っ気なく言った。委員会の佐藤は結局お腹の子をどうしたのだろう。
「お兄さんのポケットからは、写真も凶器も見つかった。自分が全ての犯人だと自白するようなものだ。普通こんなことするかな」
「さあ。兄のことはよく分かりませんね」
背を向けたが天乃は続けた。
「澄香さん殺害に使われたサバイバルナイフからは、澄香さんの血液以外にも凝固した血も検出された。猫のものみたいだ。お兄さんには動物虐待の趣味があったのかな」
「あったんじゃないですか」
「でも家の外へ出てもいないのに、どうやって猫を殺したんだろう?」
一瞬だけ言葉に詰まり、
「こっそり外に出てたんじゃないですか。……兄のことなんて僕は知りませんよ。何も」
ぎごちなく笑ってドアを開けた。天野の疑惑の目が、いつまでも追いかけてくるようだった。
*
圭祐は宮下の家を訪れた。ナイフを取り上げて以降、宮下は家に籠もりがちになっているようだった。玄関チャイムを鳴らすと、すぐに宮下が出てきた。
「先輩。ニュース見ました。すみません。俺、本当に……」
「もう何にも心配しなくていいから。とりあえず落ち着けよ」
過呼吸気味な宮下にそう言って、
「少し歩こうか」
と堤防の方へ導いた。
「先輩は、どうして俺を助けてくれたんですか」
沈黙に耐えられないのか、宮下は言った。
「あんなこと……バレたら先輩が危ないのに」
「罪滅ぼしかな。羽崎にいじめられてるとき、何もしてやれなかったし」
「あれは別に先輩のせいじゃないですよ。羽崎が勝手に……」
「でも、止められなかったのは事実だろ」
もし羽崎がいじめていなければ、彼が手を汚すことはなかっただろう。圭祐はその後始末をしただけのことだった。
宮下は小動物を殺すことで日々の鬱憤を晴らしていた。しかしいつからかそれはエスカレートし、夏休みの中頃、ついに一線を越えてしまった。被害者は羽崎と一緒になって宮下をいじめていた女子だった。
宮下が犯人であると圭祐が気がついたのは、四人目の被害者が出てからだ。なぜターゲットを羽崎にしなかったのか。刃物を取り上げるとき、圭祐は聞いた。
宮下は居心地の悪そうな顔でそっぽを向き、
「先輩の彼女だからですよ。俺も最初は、羽崎を殺そうと思ってました。でも、羽崎は先輩の彼女だから……」
自虐的な笑い声を漏らして、
「……本当に馬鹿なことをしました。初めから羽崎を殺しておけば、他の子たちを殺すことはなかったかもしれないのに」
圭祐は笑いかけた。
「いいんだよ。誰に指示されたかは分かってるから」
宮下は頭を下げた。
「ごめんなさい。弱みを握られて、仕方なかったんです。夏休み中かな。初めて人を殺したところを、あの人に見られて、写真まで撮られてて。『これは対等に取引するための道具だよ。脅すつもりはない』って」
圭祐も言われたことのある言葉だった。やはりお気に入りの脅し文句だったのだろう。
「先輩には悪いと思っていました。あの人の計画の一端を、俺は担っていた。でも言うに言えなくて……それに、本心では俺も楽しんでいたんだと思います。俺は人を殺すことが楽しかった」
そこまで聞けばもう充分だった。圭祐は宮下に刃物を全て渡すように言い、計画を練った。途中で変更はあったが、全てつつがなく終わったのだ。
「なんで助けたのかって、さっき聞いたよな」
河川敷につくと、圭祐は言った。川の近くでしゃがみ込んでいる宮下は、首だけで振り返って頷いた。
「何かの本でこんな一文を読んだことがある。『自分が人を殺したのを知ったとき、黙っていてくれるのが友人で、一緒に埋めに行ってくれるのが親友だ』。僕は、宮下の親友になりたかったんだ。理由は、それじゃダメか?」
宮下は真っ赤に塗れた手を掲げた。足下には猫の死体があった。
「俺、殺人鬼ですよ。それでもいいんですか?」
その顔からは、充足感が窺えた。禁煙していた人間が、久しぶりに煙草を吸ったとき、こういう表情をするのかもしれない。
「別に良いよ。殺人鬼だろうが、何だろうが。お前が良いやつなのは知ってるからな」
「良いやつは、こんなことしないですよ」
宮下は猫だったものを蹴り飛ばし、川に落とした。圭祐は流れていく肉塊を見送ってから声を上げて笑い、
「僕も感覚狂ったなあ。猫も、川も、ナイフも、ぜんぶ綺麗だと思えたよ」
そう言って、宮下の手を取った。自分の手にも血を擦り付ける。それから川に手を突っ込んで、あまりの冷たさにまた笑った。
宮下は一連の動作を、訝しげに眺めていた。本当にこの先輩は、狂っているのだろうか。自分のために演技をしてくれているだけなのではないか。そう思っていることが、ありありと伝わる視線だった。
圭祐は宮下の方を向いた。
「それで、親友にはなってくれるのかな」
「俺からお願いしたいくらいですよ」
それから小さな声で、
「……本当に、ありがとうございます」
「もういいって。礼ならいつか兄貴に言ってくれ」
その言葉で弾かれたように顔を上げた。
「そうだ。先輩これからどうするんですか」
「まだやることがあるから家は出ないよ。引っ越しも多分しないだろうな。うちにそんな金はないし」
「そうですか……」
宮下は悲しげな目を伏せた。
そのとき電話が鳴った。表示された名前を見て思わず苦笑する。そうだ。まだ説明をすべき人間が残っていた。
「もしかして、あの人ですか?」
「ああ、珠希からだよ。どうせ兄貴のことだろうな」
圭祐がぼやくと宮下は、「タマキって誰ですか?」と首を傾げた。
「ああ、そっか。じゃあ、珠希じゃなくて……」
職員室で確認した名前を言うと、ようやく納得した顔になり、
「先輩、警戒されてるみたいですね。されないよりはよっぽど良いですよ」
宮下は自嘲気味に言った。圭祐は廃ビルへと向かった。
屋上にはいつも通り『佐藤珠希』が立っていた。昨日のことがあったにも関わらず、普段通り、いや、それどころか上機嫌ですらあった。
珠希はこちらに気がつくと片手に持った夕刊を振って、
「本当によくやったよね。お兄さんに後輩の罪を擦り付けるなんて。それに、私と圭祐の分まで……」
「やっぱり気づいてたか」
兄に頼んだのは、宮下の罪を被って死んでもらうことだった。圭祐は、その後で、兄の死体のポケットに妊婦の写真を忍ばせておいたのだった。
「圭祐、初めは私に罪を擦り付けようとしてたでしょ」
責めるような調子ではなく、楽しげに弾んでいた。
そうだった。初めは珠希に全ての罪を被せて一連の事件を終わらせようとしていた。しかし絶好のターゲットだったはずの澄香を襲うのもすげなく断われてしまった。
「でも、おあいこだからな」
圭祐は責めるように言った。
「珠希だって、最後には僕を暴行事件の犯人に仕立て上げて警察に突き出すつもりだったんだろ。だからあれだけ写真を撮らせてたんだ」
「あ、バレてた?」
付き合うのは卒業まででいい、と珠希にしては珍しいことを言ったのも、思えばそういう意味だったのだろう。もし珠希の身代わりになっていたのなら、圭祐は卒業するより前に警察に捕まっている。
「まあ、お兄さんに罪を着せるのに役立ったんだから、よしとしてよ」
「それと」
話を打ち切ろうとする珠希の声を遮って、
「宮下のことを脅して、意図的に殺人を起こしてたのもお前だな」
「正解。そこまで分かってたんだ」
バレたことに対して、何の負い目も感じさせずケラケラと笑った。
「ああ、でも、勘違いしないでね。別にあの宗教の親子を殺したいからそうしたわけじゃないんだ。ただあの子が辛そうだったから、ガス抜きを教えてあげようと思って。それに手当たり次第に殺してたら、すぐにバレちゃうから。私がある程度ターゲットや頻度を管理してあげてたんだよ」
ターゲットに小柄な小中学生が多かったのはそういう理由だったのだ。万が一抵抗されても制圧できる人間が、珠希によって選ばれていた。
「……でも今思えば、あの子は安全に人を殺して幸せになる、社会はいじめっ子を駆逐できて幸せになる、私はいざという時の保険を手に入れて幸せになる。誰にとっても、利のある取引だったね」
「人殺しはしないんじゃなかったのか」
「そんなこと言ったっけ?」
珠希はニヤリと笑って、
「殺人は罪が重くなるからしないだけで、殺人そのものを否定した覚えはないよ。むしろ殺人は賛成派だ。馬鹿は死なないと治らないからね。ターゲットをいじめっ子に絞ったのもそれが目的」
事もなげに言われると、反論する気にもなれなかった。今さら彼女に一般的な道徳倫理を求めても無駄だ。
「……まだ一つだけ納得いってないことがあるんだけど」
「なに?」
「名前のことだよ。『佐藤珠希』って、あれは何だったんだ?」
ずっと隠していただろうことを暴いたはずなのに、あっけらかんとしていた。
「佐藤は日本で一番多い苗字。珠希は、私の恩人から拝借した偽名だよ」
歌うように言った。わざとはぐらかされていることに気づいて、圭祐は眉を顰めた。
「そういうことじゃなくて、わざわざ偽名を使ってた理由が分からないんだよ。お前の本名は、志奥千摘だろ? 宮下には教えたのに、どうして僕には教えなかったんだ」
「仲間はずれみたいで寂しいの?」
珠希――志奥千摘は、いやらしく唇を横に広げた。
「簡単だよ。宮下君は搾取される側で、圭祐は搾取する側……そうじゃなくても、少なくともされる側ではなかったからだ」
「もう少し分かりやすく言え。要は、僕を警戒してたってことか?」
「平たく言えば、そういうことだね」
志奥はどこか悔しそうな顔で、
「これは私の持論だけど、信用できるのは弱者だけなんだよ。弱者は自分の力の弱さを知っていて、搾取されることにも慣れてるから絶対に裏切ったりしない。その点宮下君は理想的だったね」
宮下を侮辱されているように感じ、圭祐はむっとした。しかし志奥は「褒め言葉だよ」と言って憚らなかった。
「反対に圭祐はダメだ。共犯者としては壊滅的。今回みたいに、どうにか出し抜こうとしてくるから信用できない」
「なら僕が今からお前の名前を警察に言えば、お前はもの凄く困るって事だな」
場合によっては、本当にやってしまっても良いと思った。今まで牽制として使われたボイスレコーダーもとっくに機能していない。
しかし志奥は、
「やりたいならいいよ」
と言いのけた。
「でも、良いのかな。昨日の夜に圭祐が何をやっていたか、私撮っちゃってるんだよね」
志奥が一枚の写真を取り出した。暗がりの中、兄のポケットに写真を入れている圭祐の姿が写っていた。いつだったか、羽崎が持ってきた写真とは比べものにならないほど強制力があった。
「別に脅しってわけじゃないんだ。これがバレたら私も危ないからね。対等な立場でいようよ。私たちは一蓮托生だ」
にこりと笑った。やはりお気に入りのやり方らしい。
「……僕は何をすれば良い」
余分なやりとりは省いて聞いた。
「慣れてきたね」
志奥は写真を仕舞い、
「といっても、別に新しいことをやらせるつもりはないんだ。ただ今まで通り私の隣にいてくれればいい。私はもう圭祐を裏切らないし、圭祐も私を裏切ったりはしないよね。写真も撮らなくて良いからさ。ただ近くにいてほしい。一人より二人の方が、暴力もセックスも楽しいでしょ」
昨日の言葉を根に持っているのだろう。
「でも、僕はしばらくそんな自由には動けなくなるぞ。多分学校もやめるし……兄貴が人殺しなんだ。今まで通りにはいかない」
「それでいいんだよ。今日からしばらく休止にしよう。何年後でもいいからきっと再開させるんだ。そのためにもっともっと、綿密な計画を練ろう。行き当たりばったりじゃダメだ」
圭祐は、志奥が環さんの尻馬に乗っただけだという考えを改めることにした。彼女は本当にこの犯罪に執着している。生半可なものではなく志奥千摘はもはや、環さんと同一なのだとさえ思えた。
「私は世界を変えたいんだ。長期戦は覚悟の上だよ。いつかきっと、圭祐にも世界にも、私が正しかったって認めさせてあげるから!」
高らかに宣言すると、志奥は腹の底からこみ上げるような笑い声を上げた。
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