2 わたし
階段を、一段一段踏みしめて、屋上を目指す。
頭のなかにはこの一ヶ月あまりのことが巡っていた。
夏休み明けに自殺をしようとしたことや、神林と井月が死んだこと。母からの暴力や、正義先生の悪態や、姉の秘密。そして、千摘さんの匂いや、千摘さんの声や、千摘さんの笑顔。そうした記憶の切れ端が走馬灯のように頭の中を巡った。
千摘さんはわたしを救ったその手で、多くの人間を死に追いやった。許されざる殺人鬼。でも間違いなくわたしの救世主だった。
屋上では、千摘さんが煙草を吹かしていた。くわえ煙草のまま近づいてくる。甘い紫煙が体に纏わり付いたが、決して不快ではなかった。
「どうだった? お姉さんの秘密は分かった?」
薄い笑みを浮かべ、
「いや、ここに来たって事は、そんなこと、聞くだけ野暮だね」
わたしは小さく頷いた。
「……わたしは生まれてくるべきじゃなかったんですね。ようやく分かりました。姉と似てない理由も、母から殴られる理由も。それから、姉と母が同じ秘密を持っているってことも」
風船を詰められたように胸の奥が苦しくなって、千摘さんの姿が霞んだ。
「千摘さん……わたしを、救ってください」
言い切るの同時に、わたしは抱き締められていた。それはわたしと母の間に欠けていた、あるいはわたしと世界の間に欠けていた温もりだった。
「……本当に、いいの? 私が、さっちゃんを助けてもいいんだね」
千摘さんのやり口は知っている。恐らくこれが最後の一線だ。願ってしまえば、家族は死ぬ。
わたしは全てを理解した上で頷いて、彼女に身を預けた。
「そうだよね。みんな、嫌いだもんね。お母さんも、お姉ちゃんも、自分のことも」
千摘さんの声が、優しく蝕むように耳に忍び込んでくる。
「さっちゃんは何も悪くないよ。生まれてきてダメなことなんてあるものか。悪いのはぜんぶ世界の方だよ。君に優しくない世界が悪いんだ」
背中をさすられ、ついに涙腺が決壊した。声も抑えられなくなる。
「私がさっちゃんに、生まれてきて良かったって言える景色を見せてあげるから。だからもう、そんな悲しいことは言わないでよ」
優しい声を聞きながら、わたしを救ってくれるのはもう本当にこの人しかいないのだと、どこか醒めた気持ちでそう思った。
「明日、全部終わらせよう」
だから、千摘さんのその声が弾んでいるのも無視するしかなかった。
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