2 わたし
あれから二週間が経った。
学校では新しい加害者が誕生して、新しい被害者が生まれた。加害者は堂島を筆頭とする神林の取り巻き、被害者は井月の取り巻きだった。教室という世界に、やはり救世主は存在しなかった。わたしは蚊帳の外から両者のいがみ合いをただ傍観し、学校が終わるとすぐ家に帰った。
家でも、加害者と被害者と傍観者の三すくみができていた。母は以前よりも激しく私を殴り、私は抵抗することもなくそれを受け入れ、姉はただ傍観している
学校では傍観者のわたしが被害者になっている。もしかしたら母もどこかでは被害者で、姉はどこかでは加害者だったりするのかもしれないと思った。
母と姉が外出するのを待って、わたしは姉の部屋に忍び込んだ。
通学鞄をひっくり返すと、教科書や化粧ポーチが床に散らばった。ポーチは口が開いたまま入っていたようで、中からいくつもの化粧品が飛び出してきた。そのほとんどがわたしでも名前を知っているようなブランド品だった。その中にあった香水は、母が以前なくしたと騒いでいたものだった。
今さら憤慨する気持ちもなかった。
化粧ポーチを脇に置き、教科書とノートを一つ一つ見ていく。教科書には落書きがされ、ノートはほとんど真っ白だった。鞄の底に押し込まれていたくしゃくしゃの小テストには、いくつもバツが並んでいる。
やがて、表紙に何も書かれていないノートに行きついた。隠しやすくするためか、半分ほどページが切り取られて薄くされていた。
手に取ると、間に挟まっていた一枚の紙が落ちた。プリクラだ。いつだったか見た学ランの彼と姉が笑顔で抱き合っていたり、キスをしていたり、仲睦まじい様子が映されている。
ノートは日記だった。一つ一つ、古い順に読んでいく。日常の些細なことが散文的に書かれていた。
一通り読んで、また初めから読み直す。それを何度も繰り返し、やがてわたしは全てを知った。なぜわたしだけが母から暴力を受けているのか、なぜ姉とわたしはこんなにも違うのか、そして、姉と母が何を隠しているのか。
視界が揺らぐのを感じた。これでは、わたしはわたしすら信じられないではないか。足の先から血液が逆流してくるようだった。この身に流れる血が、ひどく穢らわしいものに感じられた。
呆然としていると、玄関の開く音がした。わたしはその場に膝を折ったまま、姉が入ってくるのを待った。
姉は部屋にいるわたしを見て一瞬だけ眉を顰め、わたしの手にあるノートを認めると、諦めたように笑った。
「読んだんだ」
床に散らばる教科書を拾い集めながら聞かれる。わたしは項垂れるように頷いた。
「……ここに書いてあること、本当なの?」
「本当だよ。まだあんたは小学生だから隠してたんだ」
「じゃあ……」
日記を開き、今から半年ほど先の日付に貼られたハートマークのシールを指さした。
「これも本当なの?」
姉は途端に顔を綻ばせて、満ち足りた顔をした。
「うん。それも、本当」
わたしは打ちのめされた気持ちで日記を返した。姉は日記を仕舞うと鞄の口を閉めた。手には母の香水の瓶が握られていた。
「これ、ごめんね。確かこのせいでお母さんから殴られてたよね。良い匂いだから、つい。ほら嗅いでみて」
香水を振られる。甘い匂いなのに、くどくない、芳しい香りが鼻腔を擽る。わたしでも良さが分かるくらいだ。人気ブランドなのだろう。千摘さんも同じ香水を使っていたことを思い出した。
「でも、もう戻しておくから。本当にごめんね」
姉は緩みきった頬をそのままに部屋を出て行った。
その後、家に帰ってきた母が、いつの間にか戻っていた香水と、わたしの体から発される匂いを嗅いで激昂したのは言うまでもない。
わたしは母に殴られながら、この生活の終わりを思い描いた。これさえ乗り切れば、千摘さんが救ってくれる。祈るような気持ちで、救世主の姿を瞼の裏に見て、わたしは彼女と同じ匂いのする自分を抱きしめた。
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