屠依香が生まれた日
療養中で大学を休学している
色々な事情の中で依香の心身を癒やすのは霊峰の神社より峰仙寺の方が適切と父や妹等に判断され依香はこちらの寺に預けられていたのだ。
「体の方は大分良くなったようだな、依香」
「お兄様、ご心配おかけしました……」
銀嶺は依香と久々に顔を合わせた。
依香は銀嶺に近づきそう言って銀嶺の顔から目を逸らすように下を向いた。
「お兄様……私は、どのように、生きればいいのでしょうか……」
「流石に精神の方はまだ難しそうだな」
「……」
「兄として答えるのは難しい問いだな。どうしたものか」
祝家に産まれた子は怪異などを見る為の目を求めた為に視力が悪くなり、同時にそれが神の愛し子としての証となっている。
銀嶺の右眼の色弱の琥珀色の眼で依香の中身を注視すると溶けかけた依香が見えた。
そして銀嶺もその問いには言葉が詰まる。
「そうだな……ところで依香は僕が七つになる時、誘拐されて谷底に落とされて殺されそうになったのは知ってるかい?」
「えぇ……それで
依香は肯定した。その事件で依香も同様に政理の祖母の下で過ごすことが多くなり、二人には微妙な距離が生まれている原因となっている。
「父が誘拐犯に追い着いたときにはすでに僕は谷底に落とされてて、その後誘拐犯は山から出られなくなったらしいが」
「えぇ、お母様が取り乱してらしたとか」
実行犯の末路はお察しなので依香も気にも留めていない。
「僕は投げ落とされた時、ヤマの異界に招かれて全身骨折だけで済んだんだ。あの時僕は絶望してたんだよ。体のあちこちは今迄感じたことの無い痛みしかないし、助けてくれる人は異界に迷い込んで暫くするまで居なかったしで見捨てられたと思い込んでた。それでもヤマの異界で同じように谷底に落とされて
「えっ」
銀嶺は懐かしむように言った。
一方、依香は具体的にどんな怪我をしてたのかまでは当時の年齢的に知らなかった上にそんな事があったとは知らず目を瞠る。
「だからその後僕は預けられたお寺で修行したり、学校で勉強してやりたいことをするために大学を選んだんだ。そして今も山にあまり戻らず大都会でやりたいことをやっている」
銀嶺は地域で一番力を持つ神社の跡取りであるが、父親である当主が健在の為、誰かが急病にでもならなければ山には行事でしか帰らない状態である。
「だから、依香も好きにすれば良い、どんな風にだってなれる。死んだお祖母様の言う通りなんて生きる必要は無いし君を縛るものはもう無いんだから」
「お兄様……」
曇り無い眼で銀嶺は言い放つ。
亡き祖母に溺愛されては居たものの数多の階級の人と接し抑圧された環境に居た依香にとっては劇薬のようだった。
「新たな相棒とは上手くやらないといけないが、力になってくれるだろう。彼女は僕には辛辣な態度しか取らないが」
「あ、えぇ、あの人にはコンプレックスがあって、それで折り合いが付くまでは多分時間かかるようですわ」
憑坐体質の彼女に埋め込まれた怨霊の相棒は禍々しく銀嶺の事を睥睨するのみだった。
「あの人って……部外者みたいな言い方をして、人に名前を知られたら困る場所でもないのに依香も彼女を名前で呼んだらどうだ?」
「真貴さんは名前で呼ばれたがらなくて、そして『依香と一つになったのだからアタシはもう依香の一部だ』と言って聞かないのですよ」
「そうだったのか……」
依香は首を左右に振った。
それを聞いた銀嶺は顎に手を当てて暫く考えてから口を開いた。
そして不意に銀嶺の右眼は光を反射する。
「そうか、だったら依香の名前をもじってあだ名にして呼べば良いんじゃないか?例えば依香を音でイコウと呼ぶとかさ」
「あっはっはっはっは――」
「……いきなりどうした?」
銀嶺の提案に依香はピクッと反応し急に下品に大声で笑い出した。
銀嶺は怪訝な顔になる。
「……そうだね、思い出したよ。アタシはアタシの名前も見た目も大嫌いだったんだ。別にアタシは依香に取り込まれて消えてしまってももうどうでも良かったんだ」
「真貴さんだったか……その、禍々しい割には普通に話すんだな……」
銀嶺は実質怨霊みたいな惨殺された女性がスッキリしたような顔で笑っているのが視えた。
「ありがとう、アタシは依香での心の在処を見つけられた」
「……そうか、よかったな」
「でも怨霊のアタシには
そう言って笑った屠依香は般若のようなこの世の者と思えないほど恐ろしく美しい存在であった。
銀嶺には依香の精神が安定したのを感じた。
依香はかつて、事件に巻き込まれて生死すらも危うく精神の崩壊を始めて居る状態で発見され入院して一命を取り留めたのだ。
銀嶺や他の家族が慌てて病院に来た時は命の危機は脱していたが精神の崩壊を何故かほぼ怨霊が取り憑いて喰い止めているという状態であった。
依香が憑坐体質で変なモノに取り憑かれてしまわないようにというのもあり、祖母の溺愛もあって敢えて神社から遠ざけていたのだ。
そしたら大学でこの様な事件に巻き込まれてしまい、精神の崩壊を留めていたのは事件で既に惨殺された怨嗟を湛えた悪霊という始末で引き剥がすにも今だと精神が崩壊しかねない。
さらに安定した後に引き剥がすにしても癒着が進んで剥がれずどう足掻いても歪になるという始末。
実子がオオハミ様の手引きをして身体と精神を切ったり縫ったりと手術の様な事をしてどうにか外からはまともに見える状態にしたらしい。 禍々しい怨霊の真貴と癒着してさらに真貴の方は色々な箇所が縫われて居るのが視えた。
怨霊として暴走しないように、あくまで主体は依香である固定処置の為、
依香の服の上からは見えないが事件の際の傷の上に付けられた脇腹の傷はオオハミ様の眷属の証である。
依香自身身体の方もあちこち調整が入って、身体能力や治癒回復力が上がった代わりに依香はお腹がよく空くようになったらしい。
勿論禁呪や山で採取できる材料で作った毒薬などを多数使ったので半ば怪異が作り上げた作品ともなっている。
「さて、トイコとしてのアタシの活動は取り敢えず、事件の本当の後始末とアタシ自身がやって来たことを畳む所から始めるとするよ」
「そうか。トイコ、新たな依香の相棒を歓迎しよう。まぁ、危ない事はあまりして欲しくないが、依香本人がやりたいと言うのなら僕は強く止めないよ」
「では、私も色々な乗り物に乗って何処までも行くためにまず勉強致しますわ」
「え、依香?」
「やりたいことをやる為の手段を手に入れる為でしてよ」
「……そ、そうか」
銀嶺は先天性の色覚異常を持っていて免許が取れない。
だが、妹の依香は視力自体は片目が少し生まれつき悪い程度なので眼鏡なりコンタクトなりで矯正してすでに自動車普通免許は持っている。
「何に乗るつもりなんだ?」
「トイコのやる事を私が補助する為にもバイク、大型車両、重機、船舶、等調べて取れるものからいこうかしらね?」
「重機……?」
依香は外行きのお上品な微笑みを返すのみだった。
銀嶺は物凄く不安というか物騒さを感じていた。
依香なら取ると決めたら取れるだろうが具体的に何の為に取るのか不気味である。
「ではこれから免許について調べるのでお兄様ご機嫌よう」
「……お元気で、偶には連絡もくれよ」
フットワークも軽くなった妹に銀嶺は兄としての心配もしながらその背中を見送った。
暫くして大学に復学してエネルギッシュに活動し始めた依香に銀嶺は安心したものの、別の心配が生まれたりもしたのだった。
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