山奥の忘れ去られた放生池

「まぁ、戯れ言はさて置いて、こちら例の放生池ほうじょうちの調査結果資料ですわ」

「……あぁ、ありがとう。活用させて頂くよ」


 銀嶺とっては全く以て冗談じゃない前座はあったが話は進み、依香から封筒を受け取り謝意を述べる。

 そして注文したコーヒーとケーキがテーブルに置かれた。

 それを確認した依香は両手を合わせた。すると注視していても気付かないくらいのもやが手から生まれ直ちに霧散する。そして封筒の中身の説明を始めた。

 

「放生池の件ですが、ある意味本物でしたので一度お兄様にも見て頂く必要がありそうですの」

「あぁ、それなら都合を付けよう。詳しい内容はこれに書いてあるか?」

「勿論ですわ。調査には紫里さんと親戚の娘ほか女子高生三人の五人で行きましたけれど、放生池が此方の気持ち以上に凝っていて同行者が目を輝かせていましたわ」

「……大丈夫だったのか?」

「それについてはご心配無く、ただ若葉のが自力で真相を悟ったり、斉木の娘が心霊写真を量産してましたわ。後の宮島さんは紫里さんの面倒を見て下さってました」

「本当に大丈夫だったのか?」

「物理的な怪我も、怪異と接触したことで起こる精神的な侵蝕も起こっていませんわ」

「それなら良かった」

「ヌシが目覚めて紫里さんとおっぱじめようとしたくらいですわね、霧で有耶無耶にして引き剥がしましたわ」

「……駄目じゃないか」

「その夜に御父様に報告したらやはりお兄様が必要になるとおっしゃってましたの」

「……そうか、わかった。実家に帰る都合を付けよう、何日くらい必要なんだ?」

「遠出の用事を済ませるのにかかる時間しだいですわね、文書の提出はこちらから私のパソコンに送って頂ければ大都会で講義する合間でも最悪宜しいかと」


 銀嶺は目の関係でパソコンの光が苦手である。

 妹の依香はそこまででもなかったりする。

 依香は優雅にケーキを食べ出した。

 地方財閥の実質箱入り娘だった彼女にとってはこのケーキはチープな部類に入るだろう。

 別に彼女はスーパーのチルドスイーツも普通に食べるし好き嫌いはしない様に育てられても居るが。


「いや、どんなりのハードスケジュール構成にするつもりだ。だったら大学の夏休みなりにどうにかする。そこまでの緊急性は無いだろう?」


 銀嶺はいくつかの大学の民俗学の講義をしつつ、研究のフィールドワークや師匠に当たる教授の手伝いもしていてスケジュールが詰まっている。

 その為講義のあれこれを片付けないと長期間の時間の融通が利かないのだ。

 今は七月半ばで講義自体は大学の前期がもうすぐ終わるので今度は試験が始まる。

 銀嶺の講義においては最終講義にレポート提出で単位取得の判定をしているので、学生から提出されたそれなりの量のレポートの確認が待っている。


「自治体や警察にもお願いして取りも敢えず山崩れという事にして頂いて人に住んでないエリアから行き止まりの道を封鎖の看板を立てて時間稼ぎをしてますけど、どうしてもお猿さんが入ってきてしまう問題がありましてよ」


 お猿さんは看板を無視して立ち入る人間の事である。

 それ以外にもツッコミどころはあるが依香には銀嶺でも知らないツテや手蔓を多く持つので深くは追求しない事にしている。

 依香はコーヒーを一口飲み、少し目をキョロキョロさせた。


「何らかの被害が出る前に……要するに早めの方が良さそうだな」


 銀嶺は額を覆い左右に小さく顔を振る。

 銀嶺を見ていた依香の顔付きが雰囲気が攻撃的な物に変化した。

 そして依香はお行儀悪くテーブルに肘を突き頬杖を突いた。

 

「まぁ、お優しいこって、こっちは地元にいる間ならどうとでも都合はつけられるから決まったら報告してくれ、若様」


 ストレートというか明け透けでからかうような物言いにガラリと変わる、銀嶺も依香を注視して溜め息混じりに言った。都合のつけ方も最悪、金と圧力でどうにかしそうな物言いである。


「……トイコか。外であまり依香の姿でそう喋ると依香の評価が下がるし雰囲気と顔付きでバレないか?」

「事前に意識の靄を周りの空間にばら撒いたから防諜は問題無いわよ、まぁ若みたいなのが本気で意識したらすぐ効かなくなるけどね」


 銀嶺は山の社の跡取りとして認められる程の能力は持っていて、日常生活に弊害も既に及ぼしているが今は関係ない話である。


「……そうか、なんというか依香達は搦め手が得意だよな、僕にはそういうのは出来ないというか、寒すぎてバレるし」

「当主としての能力は若が兄妹で一番なんだから気にするだけ無駄だよ、アタシは人との駆け引きで使うから依香は使い所を弁えてるだけさ」

「兄妹でこうも違うとな……」

「依香は長い事政理家の屋敷に居たからねお祖母様の執着で、当主も義母に逆らえなくて辟易してたようだが」

「僕は僕でお寺に居ることが多かったからな……あまりにも命狙われすぎて」


 銀嶺と依香は兄妹と言えども一緒に過ごした期間が少すぎて良好ではあるが変な距離が生まれてしまっている。

 その為に数年前に生まれたと言うべき人格トイコの方が銀嶺にとって腹を割って直球に話すのに向いてるのは皮肉である。

 トイコが喋っているようでいて依香が喋っているときもあれば依香が喋っているようでいてトイコが喋っている時もあるので、銀嶺は依香の歪になってしまった霊魂を注視しながら話していた。

 溶けかけて踏み止まる妹の魂に怨霊同然の魂を無理矢理縫い付けて精神の崩壊を留めているそのような狂気の沙汰のソレは嘘はつけないからだ。


「しかし、今回の所は中々胸糞悪かったよ。若葉の子が視えるようになったトレーニングにしたのは悪手だった。コレについては依香の判断だから却って正解だと思ってるかもしれないが。」

「若葉の子が視えるようになった……例の藪医者の子か。まともで将来有望なんだっけ?」

「それはそう、しかも渡守列車の怪異事件で吹っ切れたのか一皮剥けた気がする。だけど、アタシよりも特段聡明過ぎて可哀想ね。アタシの妹なんてあんなちゃらんぽらんなのに」


 トイコと呼ばれる人格の元となった怨霊同然の魂は依香が巻き込まれた事件の被害者の一人で宮島真貴と言う女性だった。

 今回の調査に同行した宮島美貴の姉である。

 依香は常に上に立つ人間として育てられてきた部分があり、場合によっては人を駒として何の躊躇いもなくバッサリ使い捨てる事も厭わない気質を持っているのだ。

 それに対し依香自身に比べると粗野な物言いだが、人に寄り添うという意味ではトイコの方が人と向き合う性格をしている。


「……今度実子に頼んで彼女等と顔を合わせておくか」


 山の社の跡取りの銀嶺にとって一族の若い人材の把握は必要なのと例の女子高校生は三人共初対面ではないがまともに話したことも無いので今回の調査について聞いたりとか渡守列車について若葉の娘に訊きたいと思っている。

 怪談や都市伝説、民話は彼の研究分野でもあり、凡例を集めるのが仕事であり趣味でもあるのだ。


「まぁ、あの娘達は大丈夫だろうけど変に誤解されないように御三家跡取りとしての威厳を出しなよ」

「彼女等と歳がおよそ一回り離れてるから変なことすると彼女等の年齢的に僕捕まるんだが?」

「実子様同席なら問題無いと思うけど、一応ね」


 未成年の異性なのだからとトイコが忠告をする、依香だったらどうとでも出来ると気にも留めなかっただろう。


「……同席する人間食べ物でも使って増やすかな」

「ま、好きにしな」


 銀嶺も銀嶺で何気に酷いことを言っていたりする。

 依香も適当に答えていた。

 依香がケーキに雑にフォークを入れて口に入れる、同じ人物でも食べる姿だけでこんなに印象が変わるんだと銀嶺は内心驚いていた。


「ごめんなさい、お兄様。今日も、スケジュール詰まっててケーキを頂いたら時間的にもそろそろ本社行かないと行けないんですの」


 依香はコーヒーを飲んだ後、腕時計を見ながら言った。

 コーヒーを飲む姿は優雅で先ほどの姿は幻だったのかと錯覚しそうになる。


「そうか、上手くやってるんだな」


 銀嶺は依香に好きにやりたいことを見つけて生きれば良いと言った張本人である。

 依香は銀嶺とは別方面に抑圧されてきた人間である。

 怨霊と化してた真貴をトイコと名付けて安定させた後、依香は色々手を広げて楽しんでいるようだ。

 やがて依香はコーヒーとチーズケーキを完食し両手を合わせた。


「ご馳走様でした。久々にチーズケーキを頂きましたわ、久々に頂いたので美味しかったですわ」

「まぁ、相変わらずの薄給なんで、依頼の報酬以外は今だとランチかチェーン喫茶店のお茶請けセットの奢りしか気軽には出来ないが勘弁してくれ」


 まぁ今回はコーヒーセットだったが、と銀嶺は軽口を叩く。


「でしたら、今度お兄様に頼み事をする際にはディナーの予約をしてこちらから接待させて頂きますわ」


 どこか挑発的な笑みをしながら依香は兄に言った。

 兄は微妙な顔をして目を逸らす。


「……兄として、男として悲しくなるから辞めてくれ」


 性別の問題だけでも無いが、と銀嶺はぼやいた。

 依香は紙ナプキンで口元を拭いた。


「私は凡道グループに用があるから、ご機嫌よう、お兄様」


 凡道グループとは戦前からある財閥凡道家のOHMICHグループの事であり、兄妹の母方の政理家の親戚筋の会社である。

 元々依香は政理グループの遣いも兼ねて大都会に来たのだろう、依香以外としての他の用事も消化するのであろうが。


「ではまた元気にな」


 多忙な依香は去っていった、そして依香のまやかしの術も消え失せている。すると慌てて出ていった人間が居た。依香を監視していた人間が居るようだが、彼女が適当にあしらっているようだ。

 依香本人以外にはあまりこそこそと隠れていないのもあってお目付や警護の類の雰囲気がするが、どうなのかは銀嶺自身は分からない。もし、依香と敵対しているのなら本人が裏で何かしらの始末を付けるだろう。

 それを横目にすみませんと店員を呼ぶ。


「すまない、エスプレッソを頼めるだろうか」


 銀嶺は店員にコーヒーの追加を注文する。

 これからのハードスケジュールが決まってしまった事実から現実逃避する為に。

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