07 悪役令嬢、デートする。

 次の日。

 ニーナは用事があると言うので、私とニーナは外で落ち合うことになった。

 集合時間まであと十五分。ちょっと早すぎただろうか。


 ――お菓子が楽しみすぎて早起きしただけ。

 ――ニーナと一緒に出掛けるのが楽しみとか、そういうのじゃない。

 そうよ。

 私はクラウディア=キルケ。

 本来貶めるはずのニーナに、肯定的な感情なんて――!


 思考を振り払うように首を振って、私は別のことを考えることにした。


 一番初めに浮かぶのは、やっぱりバグについてだ。


 何度考えても、本編初日の入学式の日――あんな序盤にバグが発生するのはおかしい。

 開発者たちも気付かない、潜在的なバグだったのだろうか?


 でももしあの時、私たちがバグに気付かなかったら。

 あの場所で魔力暴走が広がって、下手をすれば世界が進行不能になっていたほろんだかもしれない。

 昨日、ニーナが言っていた話が頭に思い浮かぶ。


「国家転覆を目論むやからね……」


 バグを起こして世界を滅ぼしたい愉快犯なのか、それとも何かの目的があるのだろうか――。

 とにかく犯人がいるのなら、早く見つけ出さなきゃ。

 明日突然この世界が滅びる可能性だってあるのだから。


 そこまで考えていると、遠くから走る音が聞こえてきた。

 特別チケットをひらひらと掲げたニーナは、満面の笑みで私のもとへとやって来た。


「クラウディアさま! お待たせしました!」


 私はてっきり、ニーナは可愛い服を着てくるのだと思っていた。フリルたっぷり、リボンたっぷりの。だってメイド服もあんなに似合うし。

 しかし彼女――いや、彼が着てきたのはオーバーサイズの開襟シャツに、細身のスラックス。

 長い黒髪が美しくなびき、中性的な魅力を放っている。


 ――かっこいい。


 思わずこぼれそうになる言葉をなんとか飲み込み、平静を装った。


「……待っていないわ。今さっき来たところよ」

「では向かいましょうか」

「ええ、エスコートをお願いするわ」

「もちろんです」


 上機嫌で一歩先を進むニーナを見て、ふっと息を吐く。

 私は跳ねる鼓動を抑えながら、ニーナの後を付いて行った。


 丘の上に、可愛らしい白い屋敷が立っていた。

 その前でオレンジ髪のレオが満面の笑みで迎えてくれた。ウルフヘアを一つに縛り、服は黒いコックコートのようなものを着ている。

 よく店を手伝っているのだろう、コックコート姿がずいぶんと板についている。


「やっと来たか。待ちくたびれたぜ! こっちに来てくれ」


 レオが指さすのは、本店の裏のほうだった。


「え? 本店のほうじゃないの?」

「アハハ、悪いな。本店は予約で席が埋まってたからな」


 案内されたのは、本店の裏庭にある小さい建物だった。

 ドーム型になっていて、大判のガラス窓がたくさんはめ込まれている。柱には緑色の蔦が這っていた。涼しさ以外は、小さな植物園のようだ。


「どうだ? 離れのほうは、よほどの有名人が来ないと開けないんだぜ」

「……そんなところを使っていいの?」

「もちろん許可済みさ! じゃあ準備するから、二人は座って待っててくれ」


 私とニーナは頷き、椅子に向かい合って座った。

 雑談をして待っていると、貸し切りとは思えないほどの大量のスイーツが、カートに載せられてきた。


「修行もかねて、魔法で作ってみたんだ。早速食べてみてくれよ」


 カートの上のスイーツが勝手に移動し、私たちの前にふわふわと浮いた。


「クラウディアさま、私から食べますね。入っていないとは思いますが……一応、毒見を」


 ニーナはひそひそと話すと、近くに浮いていたショートケーキを小皿に乗せた。

 手際よく切り分け、口に運ぶ。


「これは――おいしいですね。クラウディアさまもぜひ」


 ニーナは人懐っこい笑顔を浮かべた。

 つまり毒は入っていなかったのだろう。私はどれを食べるか悩み、昔から好きだったザッハトルテを口に運んだ。


「……っ、おいしい! この味、もしかして……」

「はい、お屋敷で出されていたお菓子もこちらアステルのものでしたよ。名前を聞いて思い出しました」


 そう話していると、いつの間にか小屋を出ていたレオが、紅茶のカートを押して現れた。


「その顔、お口に合ったみたいだな! 良かったぜ」

「ねぇレオ、この店、昔は宅配とかもしていた?」

「お、よく知ってるな。そうだぜ」

「私の家のティータイムに、ここのケーキがよく出ていたの」

「そりゃ偶然だな! ……でも今は人手不足でな、この店を切り盛りするので手一杯なんだ。オレも普段は学校があるから、朝の短時間でどうにか出来るようにしたんだ」


 そう言って、レオはお菓子屋さんクーキスミッタを唱えた。

 すると精巧な『アステル』のお菓子がたくさん空中に現れた。


「すごい技術ね。ちょうどいいじゃない、ニーナ」


 私は目を細めながらニーナを見つめた。紅茶を飲んでいたニーナはハッとなって、顔を赤らめた。


「ク、クラウディアさま……それは私に……あの魔法をここで見せろと……?」

「恥ずかしいの? でも私を追いかけたいのでしょう?」

「ぐ……」


 存外、彼女――いや彼はプライドが高いらしい。

 でも、たまには私からも反撃しなくちゃ。だって私は、曲がりなりにも悪役令嬢――クラウディア=キルケなのだから。


 口をつぐむニーナをよそに、私はレオに話しかけた。


「レオ。ニーナはお菓子屋さんクーキスミッタが苦手なの。少し指南してあげてくれない?」

「いいぜ! どんな感じで苦手なんだ?」

「実際に見せた方が早いかしら。ニーナ、魔法を見せてあげて」

「……分かりました」


 ニーナはしぶしぶ杖を取り出すと、お菓子屋さんクーキスミッタを唱えた。

 空中に浮かんだお菓子は、見た目はレオが作ったものと負けず劣らずだ。

 しかしそれを手に取った瞬間――レオは大爆笑した。


「なんだこれ、全部グミみてぇになってる! しかも――ハハ! 味もまずい!」


 その様子を、ニーナはジト目で見つめていた。


「レオはなにが原因だと思う?」

「えーっと、そうだな……魔法は深層心理が現れるって言うだろ? ニーナ、アンタ優秀なのに思ったよりも見栄っ張りなんだな」

「だ、誰がっ……!」

「あとは多分、知識が足りてないんじゃねぇかな」


 そう言って、レオは小屋の隅からレシピ本を大量に持ってきた。


「ニーナ、薬草学は得意か?」

「まあレオよりは得意かもしれませんね」

「ハハ、そう怒るなよ。じゃあ、ケーキに使う材料の組成式を意識するといい。まずは中身を正しく作ることからな」


 そう言って、二人はレシピ本を眺めはじめた。

 しばらくすると、無数のお菓子が空中に生まれていく。


 レオとニーナが魔法の習得に夢中になっている間――私は小屋の外に出た。


 習得にはしばらくかかりそうだったし。

 ――ニーナの失敗作を試食させられるのが嫌だったからとか、そういうわけでは、ない。断じて。


 そうして見えた丘は、夕陽が照らしていた。私の知っている『背景イラスト』と同じで、明るく美しく輝いていた。


「……やっぱり、ここはゲームの世界なのね」


 周りに人がいないことをいいことに、私は一人呟いた。


 転生に気付いてから十年。

 ずっと独りで、この世界をハッピーエンドにするために頑張ってきた。

 やっと本編が始まったと思ったら――バグの発生。しかもこの世界がクローズドベータ版だと気付く始末。なんてお粗末だったんだと、過去の自分を殴りたくなった。


 落ち込んで背を丸めて歩いていると、ふと露天商が売っている鏡に自分が映っているのが見えた。

 それはまるで、前世の自分を思い出させるような姿で――


「ダメダメ。クラウディアはこんな姿勢で歩かないわよね!」


 両頬をひっぱたき、前を向く。ぴしりと背筋を伸ばすと、なんだか少しだけ視野が広がった気がする。

 気分を変えるため、私は近くの露天商の店を見た。

 しばらくして、アクセサリーを取り扱う店で、見覚えのあるものを見つけた。


「……っ、これ……! これください!」


 気づくと、私は緑色の石が嵌っているネックレスを買っていた。

 少し高かったが、アステルのチケットが無料になったのを考えると、トントンだ。

 ずっと欲しかったネックレスだ。

 礼を言いながら受け取ると、スキップしそうになるのを抑えてアステルに帰った。


 浮足立ってニーナたちのところに戻ると、ちょうどニーナがお菓子屋さんクーキスミッタを発動したところだった。


 ポポポン! と音を立てて空中に生まれたクッキーからは、この間は感じなかったない香ばしい匂いが漂った。

 レオはそれをかじると、私に向けてにこりと笑った。


 つまり「食べろ」ということだろう。

 攻略キャラクターであるレオとの関係は良くしておきたいし、仕方ない。

 覚悟を決め、私は近くに浮いていたクッキーをひとかじりした。


  サクリと音を立て、口の中でほどけていく。シンプルなバターの香りが口から鼻へと抜けていった。

 ――これこそまさに、アステルのクッキーだ。


「……驚いたわ。短時間でここまで上達するなんて」

「ああ、完璧だよニーナ! でも《宝探し》じゃ使えない魔法だけどな!」


 ハハハと笑いながら、レオは近くの椅子に座った。


「そういえば、週明けは宝探しね。頑張らないと」


 誇らしげな笑みを浮かべていたニーナは、首を傾げた。


「宝探しってなんですか?」

「ああ、校舎のあちこちに置かれた薬草を探すイベントだよ。高等科のクラス対抗で、見つけた薬草の数を競うんだ」

「クラス対抗なら、私たち最上位エアスタークラスが有利じゃないですか?」

「ええ。毎年最上位エアスタークラスが優勝しているの。今年も例に漏れないよう、頑張らなくちゃいけないわ」

「でも優勝したらなにかメリットがあるんです?」

「ハハハ、冷めてんなぁ」

「現実的と言ってくださいよ」


 なんだかレオとニーナの雰囲気が少しだけ良くなった気がする。

 私はホッと胸をなでおろし、説明をした。


「宝探しはね、薬草を見つけた人が、その薬草を持ち帰っていい規則なの。その薬草は高額で取引されるから、臨時ボーナスとしてはすごくいいわよ」

「小遣い稼ぎ、ですか。それはたしかにメリットかもしれません」


 するとレオは暗い顔でぽつりとこぼした。


「実はオレ、《宝探し》でもらえる薬草を絶対に持ち帰りたいんだよ」


 レオは少しだけ悲しそうに笑った。

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