04 悪役令嬢、諭される。

【ニーナSide】


 上級魔法で圧倒していたクラウディアさまが――体勢を崩した。


「クラウディアさま⁉」


 慌ててメイド服から着替え、僕は六階から飛行魔法で飛び降りる。

 超高速で地上に降り立ち、倒れかけたクラウディアさまを受け止めた。


 クラウディアさまは詠唱の途中で、意識を失ってしまったらしい。紫色の光がふわりと消えて行った。

 しかも上からは見えなかったが、どうやら傷を負っているようだ。血の噴き出す脇腹に手を当て、小さく呟く。


「……治れヘルヤリ


 緑色の光が弾ける。簡単なヒール魔法だが、傷を塞げたようだ。


 大好きなクラウディアさまのカッコイイ戦闘に、つい見惚れてしまったのがいけなかった。

 彼女に痛い思いをさせた自分に怒りを覚えつつも、その元凶となる相手にまっすぐに杖を向けた。


「……よくもクラウディアさまを傷つけたな」


 あたり一体に魔法陣を展開していく。


「クラウディアさまの美しい肌に傷を残すなど、言語道断」


 僕は臆することなく杖を振った。


反射せよスペグラ


 黒髪の上級生が出しかけていた黒い閃光が跳ね返り、本人へ向かう。

 あたりに轟音が響き、土埃が勢いよく舞う。

 しかし――奴はふらつきながらも立っていた。


「ハッ……まだ倒れないか。さっさと終わらせよう。地に伏せろエリスガルディ!」


 次の瞬間、黒髪の上級生は、地面に吸い付けられるように倒れ込んだ。


「しばらく磔にでもされてろ」


 低い声で言い放ち、僕はクラウディアさまをお姫様抱っこの体勢で抱え上げた。

 愛おしい彼女は羽のように軽い。それに枝のように細かった。


「いつだって前を行くクラウディアさまの背中……あれほど大きかったのに。本当は……こんなに小さい身体だったんですね」


 クラウディアさまの白い頬に付いた、砂ぼこりを払う。


「大変申し訳ございません。二度とこんな傷は負わせないと誓いましょう」


 クラウディアさまの美しい金髪をひと撫でした。


「何があっても僕が貴女を守り、愛します。学園のどんな男にも気を取られないくらいにね」


 僕は地に倒れた生徒たちを睨みつけると、足早にその場を去った。




 ☨    ☨    ☨




【クラウディアSide】


 薬品の香り。背中に感じる硬いベッドの感触。

 ここは……寮の医務室だろうか。

 恐る恐る目を開けると、まぶしい朝日とドアップのニーナが出迎えた。


「ようやくお目覚めになったのですね」

「う、ひゃああ」


 私は飛び起き、ベッドの隅へと縮こまった。


「お、驚かせないでちょうだい! 心臓が止まるかと思ったわ!」

「心臓が止まるかと思った――それはこちらのセリフです」


 ニーナの両手が、私の肩を強く掴んだ。


「どうしてあんな無茶をしたんですか」


 静かに、でも確実に責め立てる声音だった。


「どうしてって言われても……あなたを巻き込みたくなかったからよ」


 嘘は言っていない。

 本編に影響が出るから・・・・・・・・・・、のオマケつきだが。


 しかしニーナは納得できないのか、にじり寄ってきた。


「もしかして……僕が不甲斐ないからでしょうか?」


 私は慌てて、ニーナの肩を押しのけた。


「ち、違う! 違うの。私は……」


 言うな。言っちゃだめだ。

 ルートが変わってしまうかもしれない。

 私は「破滅が待っていてもこの世界をハッピーエンドに導く」と決めただろう!


 ――そう分かっているのに。


 寝起きだからか。久々に死への恐怖を感じたからか。

 それとも久々に、自分に向き合ってくれる人に出会ったからか。

 涙と一緒に、言葉がぽろぽろと零れ落ちていく。


「私はそうしなきゃいけない、から」


 一度こぼれたあとは、堰を切ったように溢れ出した。


「私は未来を知ってるの。この世界が幸せになる方法も、不幸になる方法も」

「それ、は――魔法による予言や神託のようなものでしょうか」


 私は頷いた。


「そう捉えてもらっていいわ。とにかく……未来を知ってる私が、自由なんか求めちゃいけないのよ」


 涙を必死に拭いながら、ベッドシーツに目線を落とした。


「私はこの世界がハッピーエンドになるように、十年間『悪役令嬢』を演じてきた。その責任を取るためにも――最期は追放されて、事故死する予定よ」


 ニーナが息を呑む音だけが響く。彼の顔を見る勇気がなく、私はずっと俯いていた。


「事故死って――」

「詳しくは言えないわ。でもそれが私の末路なの。世界を幸せにするなら、必ずこのルートをたどらないといけない。今さら戻れないわ」

「……どうして事故のその先を、ハッピーエンドと言うんです?」


 ニーナの声は、ひどく冷たかった。思わず体がすくむが、なんとか口を開いた。


「ハッピーエンドよ。あなたたち全員が無事に卒業し、夢を叶え、幸せな未来を生きる。それはハッピーエンドでしょう!」

「いいえ。貴女は追放されて事故死する。そんな自己犠牲のどこがハッピーエンドなのか聞いているんです」

「そ、れは……」


 私――クラウディアを含んだ大団円ルートが、実装されていないから。

 そんなメタ的な答えしか出てこない。だから言葉が紡げなくなってしまう。


 そろりと顔を上げると、紫水晶のような瞳が私を捉えた。

 重い沈黙の中、先に口を開いたのはニーナだった。


「たとえ……何億人が幸せになろうとも、貴女の変わりはいませんよ」


 ニーナは私の手を掴むと、ゆっくりと手の甲を撫でる。落ち着かせるような動きだった。


誰かが犠牲になって・・・・・・・・・迎えるエンド・・・・・・が、本当に幸せだと思いますか。貴女と僕の立場が逆だったら、どう思いますか?」


 ……私は、何も答えられなかった。


「僕は、貴女が事故死する未来なんて見たくない。未来を覆して、貴女も幸せになれる世界を作りたい」

「……でも私は、あなたを散々おとしめてきた」

「奥様の命だったこと、存じていますよ」

「……それ以外にも、あなたに毒を盛ったり」

「おかげで解毒魔法が得意になりましたよ」

「……それに、失礼なことだってたくさん」

「ええ」


 ニーナはにこり、と笑った。


「それらもすべて、僕にとっては貴女との思い出・・・・・・・だ。僕にとって貴女は、誰でもない。貴女が目指している誰かじゃない。ここにいる貴女こそが、本物のクラウディア=キルケなんです」


 その言葉に、涙が頬を伝うのを感じた。

 撫でていたニーナの手が離れ、零れ落ちた涙をすくってくれた。


「そのすぐ泣くところも。本当は自信のないところも。全部貴女だ」


 初めて、クラウディアではない『自分』に話しかけられた気がした。

 そして初めて――自分の人生ルートが解放された気がした。


 しかし同時に、過去の『演技』が私の胸を締め付けた。


「それでも……私は私を許せない。暴言だけじゃない。手を上げたことだってある。私は十年間の愚行を、きっと許せないわ……」

「ふふ、クラウディアさまは頑固ですね。ではこうしましょう」


 ニーナは空いているほうの手を差し出した。


「これは贖罪です。貴女が演じた、悪行の罪滅ぼしです」

「罪、滅ぼし……」

「貴女の言葉を借りるのなら――責任を取ってもらいましょう。愚行を反省し、貴女を含めた全員がハッピーエンドになるよう努力する。それが貴女の責任です。それで、どうです?」


 ニーナはずいぶんと聡明な人間に育ったらしい。完全に言い負かされてしまった。


「……それなら、仕方ないわ」


 差し出されたニーナの手に、私は自分の手を重ねた。


「改めて、私はクラウディア=キルケ。この世界をハッピーエンドにしたい女よ」

「僕はニノ=アンブローズです。よろしくお願いします、クラウディアさま」


 え、と私は声を漏らしてしまった。


「ニノ? あなたのファーストネーム、ニーナじゃなくてニノなの?」

「えぇ。あの頃の奉公先にはメイドが多かったので。昔から女性名のニーナと名乗っていますが、本当の名はニノと言います」

「じゃあ本名はニノ=アンブローズなのね。……なんだかそっちのほうが似合うわ」

「ふふ、ありがとうございます」


 ニーナ――もといニノは、嬉しそうにはにかんだ。


 こうして悪役令嬢を演じていた私は、正ヒロイン――もとい女装男子のニノと一緒に、新しいハッピーエンドルートを目指すことになった。


「では、クラウディアさま」


 ニーナもといニノは一変して獲物を狙う野生動物のように、ぎらついた目でこちらを見た。


「僕は教えましたよ。クラウディアさまの秘密も教えてください」

「秘密……ってなんのことよ」

「もちろん貴女の知っている未来のことですよ。そして――さっきの敵のこともね」

「そ、れは……」


 教えられない。

 と言いたかったが、声が出ない。


 直感で分かる。


 逃げられない。

 彼の鋭く細められた瞳に捕らわれ、反論が空気となって口から漏れ出る。


「……そんなに怯えなくて大丈夫ですよ。部屋に帰ったら、たくさん教えてくださいね。……瞬間移動ハラハ・スキュティラ


 もう――どうにでもなれ。

 私は目を閉じる。

 瞬間移動魔法が掛かる感覚に、身を任せた。




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次回は6/28(金)の午前7時7分に投稿予定です(第1章完結保証)

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