02 悪役令嬢、同居する。

「――お目覚めですか?」

「ハッ⁉」


 上から降ってきた声に、慌てて目を開ける。視界いっぱいに心配そうな顔のニーナが映った。


「ヒェッ⁉」


 慌てて上体を起こすと、そこは慣れ親しんだ女子寮の自室だった。


「クラウディアさま、本日よりお世話になります」


 ニーナはぺこりと一礼した。よく見ると彼女――いや、彼の後ろには段ボールがたくさん積まれている。


「なにその大荷物……しかもなんで? ここ私の部屋……?」

「理事長さま――いいえ、お父さまからお聞きになっていないのですか?」

「……特には」

「ええと、僕は今日からこちらに住みます。クラウディアさまとはルームメイトです」

「はア⁉」


 思わず声が裏返ってしまう。


「なっ、なんで私と……」

「僕の性別を知っているのは貴女だけだからです。秘密の共有ってドキドキしますよね」

「いっ、嫌な意味でドキドキしてるわよ。さっさと出ていって!」

「というわけで、よろしくお願いしますね」

「だから、よろしくしないわ! 出て行ってちょうだい!」


 思わず近くにあったクッションを引っ掴み、投げ飛ばした。しかしニーナは、造作なくそれを受け止めた。

 余裕そうに笑う顔が――ちょっとカッコよかったなんて言えない。


「危ないですよ、クラウディアさま」

「うるさいうるさい! 今すぐお父様に女装のこと……」


 私が通信魔法を発動するために杖に手を伸ばそうとすると、手首を強い力で掴まれた。


「……クラウディアさま。それだけはおやめください」


 ニーナは真剣な顔でこちらを見つめていた。

 ……ずるいぞ、綺麗な顔でそういう表情するの。ちょっとカッコイイとか思っちゃったでしょ。

 私が無言で目を反らすと、ニーナは手を離し、深々と礼をした。


「無礼なことをしてしまい、申し訳ございません」


 重い空気の中、ニーナは静かに切り出した。


「僕は天涯孤独な身なんです。メイドとして稼ぐためにずっと、女装してきました。女装がバレてメイドをクビになれば、すべて捨てて自国に帰らなければいけません」


 それは困る。絶対に悪手だ。ニーナがいなければ、本編が進まない。

 主人公が学園から去ったとなれば、どんなハッピーエンドも迎えられない可能性が高い。


 私はしぶしぶ頷くと、ニーナを睨みつけた。


「……分かったわ。女装については黙っておいてあげる。でも私の部屋でなくてもいいじゃない。協力者を増やすのも大切でしょう?」

「今年は転入生が多く、女子寮の部屋がいっぱいで……相部屋になっていないのがクラウディアさまの部屋しかなかったのです。ですから部屋替えになると、僕はしばらく野宿になってしまいます」


――野宿なんて言われたら、断れないじゃないか。


「そ、そう……」

「空き部屋ができれば出て行きますので、それまでご容赦いただければと」


 ニーナはぺこりと礼をすると、有無を言わせぬまま荷物を整理しはじめた。


 つまり決定事項だったということか。

 なんでお父様はそんな大事なことを言ってくれなかったのだろう。

 悶々としながら、荷物を整理しているニーナの姿を見た。


 段ボール……五個も一気に持ち上げてる……中身は本って書いてあるのに……。

 しかも……空の段ボール、両手で丸めて潰してる……(良い子のみんなは正しく畳みましょう)


 ヤバい、このままニーナを観察していると、ますます混乱してしまう。


 私はベッドに倒れ込み、目を閉じた。

 思考の海に落ちていく中――ハッと、あることを思い出した。




「――クローズドベータ、版?」




 乙女ゲーム『薄明のギムナジウム』は発売前、一部のユーザーにだけ先行配信された。

 それが、一部ルートのみ遊べる《クローズドベータ版》だ。


 配信時の私はまだこの作品のことを知らず、遊んだことはないけれど。このクローズドベータ版がSNSで批難轟轟だったのは有名だ。

『主人公が女装男子とか、いらないどんでん返しすぎる』

『乙女ゲームを遊んでいたのに、違うジャンルになった』

『こんな作品買わない!』などなど。


 その結果、私が遊んだことがある《製品版》では、女装男子設定は没になっていた。

 ハッキリ覚えてはいないが、ゲームの開発者インタビューでも「女装男子設定は無くした」と言っていた気がする。


 目を開けて、ニーナの様子を改めて見る。

 相変わらず、ニーナは「ふんっ!」と言って大きな段ボールを一瞬で丸めていた。



 ――やっぱり、この世界は《製品版》じゃない。

 ――《クローズドベータ版》、だと思う。



 やっとゲームの本編が始まったというのに。

 今まで十年積み上げてきた「本編通りに世界を動かし、ハッピーエンドにする計画」が崩れる音が聞こえる。なんだか泣きたくなった。


 主人公ニーナの性別が違う。あまりにも大問題すぎる。

 それに、悪役令嬢と対立するどころか、謎の重い愛を向けられている。これも大問題だ。

 さらにニーナが女装を告白してきたことで、秘密を私も守らないといけなくなった。嘘を隠していたなんてバレたらお父様に顔向けできないし、女装がバレたらニーナが学園から去ってしまう可能性もあるし――。


 先行きが不安すぎる。暗い心のまま遠くを見つめていると、どこからかいい香りが漂ってきた。


「クラウディアさま。入居のご挨拶と言ってはなんですが、お茶をしませんか?」


 その声のほうを見ると、いつの間にかニーナがロングのメイド服を着て立っていた。


「な……なによその服」

「お屋敷から持ってきたのですが……変でしょうか?」


 変と言うか……めっちゃ可愛いです。女装男子とか関係なく、似合いまくりです。

 私がこの寮に入っていなければ毎日見られたのかと思うと、ちょっと後悔するくらいには似合ってます。

 えっ、ベータ版ってこんななの? こんな差分があったのに没になったの?

 どういうことですか、開発者様。

 私はこの差分を製品版にも欲しかっ――。


「ごほんごほん」


 私は首を振り、よこしまな感情を振り払う。そして、クラウディアらしく口を開き――


「食べる」(誰があなたの作ったものを食べるとでも?)


 ああ~逆~カッコの形が逆ですわ高校~。

 クラウディア、心の声がストレートに出てしまいましたわ――。


 顔から血の気が引くのを感じる。しかしニーナは花が咲くように笑って、袖をまくった。


「分かりました! いきますよ」


 ニーナはどこからともなく杖を取り出すと、指揮をするようにリズミカルに振った。


お菓子屋さんクーキスミッタ


 同時にポポポン! と可愛らしい音が鳴る。空中に、たくさんのお菓子が生み出された。


 す、すご。

 何その魔法、初めて見た。可愛すぎる。絵本みたいだ。


 空中に浮かぶのは、クッキー、ドーナツ、タルトにカップケーキ。それぞれのお菓子は丁寧に作り込まれている。

 これほどの魔力操作、中級――いや上級に近い魔法だろう。

 さすが乙女ゲームの主人公。どんなイベントもこなせるくらいの魔法の才能があるらしい。


「お茶も入れましたので、ぜひ」


 ニーナはまるで執事のように、完璧なサーブをしてくれる。

 差し出されたティーカップには、湯気の立つ蜂蜜色の紅茶がたっぷりと入っていた。


「ふ、ふん! 食べ物を粗末にするなんて、キルケ家の教育方針に背いてしまうわ。だから今回だけよ!」


 口を尖らせながら、私は空中に浮いたクッキーを指でつまんだ。

 わざと一度ため息を吐いたあと――口に運ぶ。

 何度か咀嚼して、目を見開いてしまった。


「おいし……くない⁉」


 吐き出しそうになり、慌てて飲み込んだ。


「な、なにこれ⁉ めちゃくちゃしょっぱいじゃない! それに食感もグニョグニョしてるし……」

「見た目は良い感じなんですが、味がなかなか……」

「そんなもの食べさせるんじゃないわよ!」


 私は近くに浮いているカップケーキと棒付きキャンディーを手に取った。


 行儀は悪いが指でつつくと……ぐにゃりと確かな弾力があった。恐る恐る一口分だけちぎって食べると、やっぱりグミみたいな食感だ。

 味もしょっぱく、後から苦みが追いかけてくる。さらにちょっとだけゴムっぽい香りもする。


 ――サルミアッキ?


 前世で友人たちと面白がって食べた、凶悪なガムの味を思い出した。それから友人たちと映画に行って、別れた帰りに車に轢かれて――。

 噛んでいるうちに、前世の嫌な記憶が戻ってくる。

 なんとかゴクリと飲み込むと、ニーナは心配そうな顔でこちらを見ていた。


「申し訳ございません。お顔が真っ青に……」

「だ、大丈夫よ。このお菓子のせいではないから、たぶん」

「本当に申し訳ございません。クラウディアさまが喜んでいらっしゃったので……つい……」

「あれは魔法が珍しいなって思ってたからよ。それにケーキの形も、有名店のに似ていたから。学園の近所にあるんだけど、予約が取れなくて――」


 有名店、と言われてニーナは首を傾げた。


「そのお店、どちらでしょう?」

「アステルって言うスイーツ店で――」

「キャアアアアアアア!」


 突然の叫び声が外から響き、会話を遮った。私とニーナは思わず目を見合わせる。

 互いに頷き合うと、私たちは窓から身を乗り出した。

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