第三章 一

 樋口ひぐちは隣町で車を借りると、山の奥深くにあるという私立中学校『マギ ルミネア』へ向けて車を走らせていた。

 昨年夏に起きた事件を追う内に、それから『マギ ルミネア』の名前を聞く度に、どうも胸騒ぎがしてならなかった。

 樋口の勘は正しくないのかもしれない。だが、もし——。

 『マギ ルミネア』跡地に向けて車を走らせているのは、それが理由だった。

 跡地に近づくにつれ、学校に一番近い村で車を停めると、人家に行っては『マギ ルミネア』の聞き込みを行った。

 多くの者が言うには、学校関係者は村民とあまり関わろうとせず、口さがない噂話がしょっちゅう村でされていたという。

 

 興味深いのは、畑仕事の手を休めて語ってくれた老婦の話だった。

「えらい議員の先生が擁護していたから表立って言わなかったけどね、学校の人には冷たい人が多かったよ。生徒の中には礼儀正しくて良い子もいたけどね、常識がないと言うか、ロボットみたいな子もいて」

 老婦の言葉に、樋口は、ほとんど間を置かず尋ねた。

「待ってください。ロボットみたいな、というのは、具体的にどんな子だったのですか」

「ああ。そりゃね、文字通り、感情を持っていないような無表情の子だったよ」

 げんなりした顔で、老婦が言葉を続ける。

「一度、先生が春先になって一人の子を連れて挨拶周りにやって来てね。少しも子どもらしいところがない子でさ。何を目指した学校なのか、疑問に思うこともあったよ」

「その子以外に同じような感じの生徒はいませんでしたか?」

 樋口が片手を動かしながら聞いた。老婦は首を振って言う。

「いいや、ふり返ってみると、他の子は挨拶をすれば、ちゃんと返してくれる子ばかりだった。冷たい感じの子もいたけど、駆け寄ってきて、孫みたいに話しかけてくれた子もいてね。何度か、学園祭のときに学校にお邪魔したことがあったんだよ。地域と交流するような学校じゃなかったけど、そのときだけは行って良かったなあ、と思ったね。みんな寮生活で寂しい思いもしているのか、積極的に話しかけてくれて」

 しんみりとした口調で老婦は言い、まだ何かあるかと言いたげに樋口を見た。

 樋口は腕を組み、だが、意を決したように口を開いた。

「——なるほど。あの学校で、事件があったと聞いたのですが」

 ああ、と老婦は言って、うなだれる。樋口の意外な質問と封じていた記憶。その二つが彼女の気持ちを大きく揺り動かしたことは想像に難くない。

「田塚という生徒が一人失踪して、行方不明になったことがあったと。その事件は未だに未解決のままですよね」

「ああ、そうだね……。大規模な山狩りまで行ったのに、まるで神隠しのようになって。ご両親の姿も見たけど、ありゃあ可哀想だった。こっちまで涙が止まらなくてね。わたしも協力したんだが……。結局、女の子は見つからないまま。悲しいことだけれどね」

 長いため息を老婦がついた。樋口は、しばし黙っていた。

 彼女の様子が落ち着くのを待ち、樋口は、一葉の写真を取り出した。

「この女性、見たことがありませんか」

 昨年夏に殺された掛浦輝恵かけうらてるえの写真である。

 髪が長く、ほっそりとした体形に、派手ではないが、人目を引くような顔つきの女性だった。

 老婦は写真を手に取り、少し近づけたり遠ざけたりしながら、しばらくの間、眺めていた。

「うーん……。いや、ないねえ。村に来た人の顔は忘れないものだけど。この人、学校と関係がある人なのかい」

「いえ。女性を目撃した人を探しているのですが、どうも違うようで」

 樋口は、老婦から写真を受け取ると鞄にしまった。

「学校がなくなってから、何か不穏な噂などを聞いたことはありませんか。たとえば、学校が姿を変え、密かに存続しているなんて言う噂は」

 今度の樋口の質問は老婦にとって、意外どころの話ではなかったらしい。目を驚きで見開いていた。

「なんだい、そりゃあ。いや、そんな噂は聞いたことがないねえ。村の誰かが言っていたのかい?」

「いえ、村の人ではありません。単なる噂話でして……。当時の報道でも、あの学校は一種の研究所としての面があったとされていますよね。近くに住んでいて、何か変だと思ったことはありませんでしたか」

「まあ、たくさんあるね」

 老婦が、わずかに顔をしかめて言った。

「さっき言ったように、生徒の中には変わった子もいたし、それに、職員室は遅くまで明かりがついていた。職員寮も学校に行く手前にあったのだけれどもね。そうそう、一時期、煙がもくもくと立ち上っていたことがあった」

「煙?」

 樋口が老婦の言葉に片眉を上げた。

「そう。どうもね、ある日、日が暮れる前ぐらいに生徒同士の喧嘩があったそうなんだよ。だけど、警察を呼ぶと大事になるから呼ばずに内部で解決したって話でさ。これは役場の鷲井さんに聞いたから確かな話でね」

「その煙は学校のどこら辺から上がっていたか、お聞きになってはいませんか」

「うーん、そのことについてはねえ……。ああ、確か」

 老婦はふり返って、当時、学校があった場所の方角を指さした。

 私立中学校『マギ ルミネア』は、今ではその校舎を目にすることは叶わない。解体され、村近くには、ただ何もない空地が、わずかな森林の影にひっそりとあるばかりだ。

「男子寮と校舎を結ぶ廊下付近、からだったね。こっちからは位置的に……ほら、あの、大きな杉がある近くだね」

 樋口は老婦が指さした先――校舎が存在していたらしき方角を眺めた。

「内部で解決したとのことですが、それ以上のことはご存じないですか」

「うーん……。いや、わたしらも学校のことはよく知らなくてね。そもそも、村と学校とは、あまり仲が良くなくてね。最初は違ったんだけどね。学校が、どうも隠していることが多くて。昔のことでもあるし、学校内のことは、良く知らないんだよ。悪いけど……」

「いえ、お気になさらず」

 樋口は人好きのする顔で微笑んだ。彼自身、その微笑みが他人の精神的な防御につけ入る隙を与えるくらいの魅力を備えていることを、甚だ自覚していた。

 老婦は少しばかり相好を崩す。

「最近でも、たまにマスコミが来て、あの学校のことを聞かれるけどね。ここまで話したのは、あんたが初めてだよ。年のせいかもしれないけど……。あの学校の卒業生は、ここを離れて派手に活躍しているそうだけど、誰一人、ここへやっては来ないよ。ましてや、自分は卒業生だなんて言いに来る人はいない。みんな思い出したくないんだろうね。わたしらも村の評判まで落とされて、当時は随分迷惑したもんだ。今じゃ、村の活性化のためとは言え、当時は間違った判断をしたとみんな、がっくりきているよ」

「そうですか——」

 樋口がうなずき、老婦の言葉が勢いづく。

「ああ、そうさ。村の若い人間にも、わたしら年寄りは良いように騙されてね。ひどいもんだ。聞いてくれるかい? 昔、村の若い人間がね——」

 老婦から聞き取れたのはそこまでだった。

 その後は唐突に村の若衆と嫁の愚痴が始まり、樋口は苦笑しながらも何とか話を切り上げると、探偵事務所へと引き返すため、車に乗り込んだ。



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